205号へ帰り、灯りをつけ、洗面台で顔を洗う。
少し息苦しく、血管が狭まった感じがする。
お風呂に湯を張って浸かると、
よく働くこびとの郵便夫みたいに、
小こむらがえりが全身の内側を
ヒクヒクヒクと駆けていく。
風呂上がりの晩ごはんは、
肉じゃが、小松菜のおしたし。
乾いた喉の表面をビールの泡が
コロコロコロと落ちていく。
皿を洗い、缶ビール片手に押し入れにもぐる。

ちゃぶ台は相変わらずそこにあり、
一輪挿しが載っている。
フワッとそこに落ちてきた感じのさりげなさで
大輪のしゃくやくが入っている。
部屋の向こう側は、
昨日まではたしかふすまだったけれど、
今日は夏座敷用の葦障子が四枚入っている。
私は目をこらし、部屋の四隅をよくよく検分する。
206に関しては、ちょっとずつ狭くなってきてる、
というようなことはない、
風通し、そしてしゃくやくのおかげだろうか、
より広く感じるといってもいいくらいだ。
ふわり、しゃくやくがかすかに揺れる。
ヒクン、小こむらがえりが走る。
昨日までは気づかなかったが、
南側の壁にカレンダーがかかっている。
もちろん今月、六月の絵柄は
グラデーションがうつくしいあじさいの接写、
今日の日付、十六日を薄紫の丸が囲み、
そして十七、十八、十九と、
丸の色はだんだんと濃くなっていく。

ふわり、しゃくやくがまた揺れる。
私は二本目の缶ビールを取ってきて、
少しずつ口に含みながら、
206のそれまで目につかなかったところを、
長いちくわを覗くみたいに眺めてみる。
飴茶色の茶箪笥の引き出しの鉄の取っ手、
積み上げられた菓子箱は五つ、
天井から下がった蛍光灯の傘はプラスティック。
いま気づいたけれどちゃぶだいの向こうで、
ひと筋の煙がらせんを描きながら立ち上っていて、
私はハッと胸を衝かれ、息をのんで見つめたら
それは蚊取り線香の煙だった。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
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