ふわり、しゃくやくと同時に煙もゆらぐ。
安堵しながら両方を重ね合わせて見つめ、
いまさらながら気づいたことがある。
自分の部屋にあるものをザッと頭に浮かべ、
四つんばいで本棚の前へ行く。
この春にいって、こんな気持ちの静まる絵が
この世にあるのかと思った長谷川等伯展の図録。
内側に織り込まれた「松に秋草図」の
パノラマページを開き、
戸を開け放した押し入れの前に、
衣装ケースにもたれさせて立てかける。
ちょうどよく、ふしあなの向こうから眺められるように。

翌日、立ち仕事が終わったあと図書館へ寄った。
植え込みのあじさいに小学生がふたりしゃがみこみ、
そんな顔で何に見入っているかとおもったらでんでん虫。
最近ではちょっとめずらしい。
渦を巻いた殻をかつぎ、緑色の茎を下向きに、
ゆっくり、ゆっくりと這い進む。
殻のらせん構造は、
右巻きがほとんどだと読んだことがあるけれど、
いま私たちが見つめているのは
左巻きらせんのかたつむりだ。
だからか、あるいはしばらく見なかったせいだろうか、
目の前のかたつむりはすごくひとりに見える。
ひとりだからこそ、
いずれやってくる他の仲間との邂逅を楽しみに、
目玉をぴんと突き立て、
左巻きの家をときどき背負い直して、
緑の道をにじりにじり進んでいくように見える。
かたつむりはオスとメスが同体だ。
いろいろ面倒なことがなくていい。
ピン、と中くらいのこむらがえりがふくらはぎを走り、
アッ、アッ、私が声をあげてしゃがむと
小学生ははっとした様子で立ち、
アスファルトの向こうへ手をつないで走り去る。

借りていた本を返し、軽く足を引いて
美術史の棚へいくと、
誰にも読まれそうのない本の題が、
ふわり、ふわりと浮きあがり私の目に飛んでくる。
蝶の群れのように舞う題字のなかで一冊、
いまにも力尽き落ちていきそうなのを、
右手をスッと伸ばしてすくいとる。
「京都絵師忍法帖」。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
いしいしんじさんのプロフィールはこちら