ごく薄い本なので机についてめくってみると、
狩野派と長谷川派が、それぞれ伊賀と甲賀の忍者を雇い、
暗殺合戦を繰り広げたという
きいたこともない学説が書かれている。
新興の長谷川等伯一派がのしあがろうとするのを、
当時主流だった狩野派が裏金と術策をつかってはばんだ。
そこで等伯の長男久蔵が甲賀忍者を雇い、
狩野派の首領、四十八才の狩野永徳を毒殺させた。
三年後に久蔵が二十六才で亡くなるけれど、
これは狩野派が伊賀忍者を使って暗殺した、
と著者は書いている。
忍者がどうだったか、
それは本当は私にはわからないけれども、
金箔でも水墨でも等伯の絵にはすべて、
この世にはもういない、
目にはみえなくなってしまった人たちに
見てもらおうという透明なまなざしが注がれていて、
人混みのあいだで、絵の正面に立った私にはそれが、
こんなにも気持ちの静まる絵、
という風に見えたのだった。
私がこの世から歩み去ったあとも、
この松と秋草、この楓、この松林は、
きっと向こうからでも見えるんじゃないだろうか。

豊臣秀吉が五十三才で初めて得た息子、鶴丸が、
たった三才で亡くなり秀吉はうちひしがれる。
等伯はその菩提を弔うため、という依頼で、
巨大な楓図に着手する。
鶴丸の死の翌年、将来を期待された絵師でもある
息子久蔵が急死する。
楓図は完成し、その同じ年、
秀吉の次男秀頼が生まれている。
秀吉が亡くなったあと、
等伯は徳川家康に召され江戸に向かう。
到着した二日後に病死する。
その翌年に次男が亡くなる。
等伯たちの楓や桜や松は
それでもこの世に立ちつづけている。

読み終えた「京都絵師忍法蝶」を棚に戻してから、
寄ってくる蝶を手の甲にとまらせるように、
誰からも読まれそうにない本を三冊えらぶ。
そして大判の本のコーナーでもう一冊手に取り、
合わせて四冊を窓口に差しだす。
スーパーで豚バラとキャベツ、
具材を買ってアパートに歩いて帰り、
晩ごはんは豚の生姜焼き、なめこ汁、
冷や奴にはやりのラー油をかけたもの、春菊のおしたし。
ビールはまだ飲まないでお茶にして、
食べ終えてから、お湯が張られるまでのあいだ、
借りてきた本のページをさらさらめくる。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
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