湯船に身を浸しているあいだ、別に予感なんてなかった。
小こむらがえりがふとももの裏で
軽くヒクヒクつぶやいただけだ。
見えなくなってしまった人のことを少し考える。
そしてその取りまく光のことをぼんやり頭に浮かべる。
ドライヤーの風を髪にあて、スウェットの上下に着替え、
冷蔵庫から缶ビールを出して押し入れにもぐる。
ひと口すすってふしあなにそっと右目を当てる。

予感はほんとうになかった。
けれどもふしあなの先、
ちゃぶ台の上に置かれたものが見えたとき、
ああ、やっぱり、と腑に落ちた感じがした。
あるべきものがまだそこにあったと
安堵するような気持ち。
それはふしあなを覗く、
毎晩の気分の芯に通じているものだった。
ふしあなのむこう、ちゃぶ台の上には、盆栽があった。
こちら側で開いておいた図録のパノラマページ、
「松に秋草」と、その盆栽の松はそっくりだった。
盆栽でなく、等伯が見ている現実の松を、
私もいま見ているのではとさえ、
ふしあなに目を当てながらほんとうに感じた。
秋草は添えられていなくとも、
部屋のたたずまいそのものがどことなく秋だ。
小こむらがえりが松の枝振りに沿って
ゆったりと私のからだをまわっている。

日曜日、206のカレンダーにつけられた丸が
いちばん濃い紫色の日、地下鉄駅の改札口で
母、義妹と待ち合わせる。
あじさいで有名な神社までは歩いて三分。
義妹のおなかはアメリカのマンガの満腹な人みたいに
まるまる膨れている。
三十年と少し前、隣を歩く母の中を
私もこんな風にいっぱいにしてた、
そう考えるとからだがするする裏返りそうな感じになる。
あじさい祭は終わっても花はまだ見頃。
義妹は顔を近づけ、
瞳に薄紫の色を映しながらおなかに鼻音でに話しかける。
母はちくわ越しに見るように
小さな花弁のひとつひとつを呆れた顔で見つめている。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
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