赤、緑、オレンジ、桃色、青、黄色。
とりどりの色に輝く、光の花。
ちゃぶ台もドミノも蚊取り線香もそこには見えず、
206の部屋は、ふしあなの丸い輪郭に縁取られた、
巨大な万華鏡に変化していた。
観覧車みたいに一定の速さで、左回りに、
ゆったり、ゆったり、と動いている。
ちらちらと光の粒が転がり、
見つめているうちに私の部屋、205までが、
ふしあなの丸い輪郭に切り取られ、
私自身、光の生きた粒になって転がっていく。
ヒクン、小こむらがえりのリズムで全景が脈打つ。
こちら側の、蛍光灯の黄色も冷蔵庫の白も、
ほうれんそうの緑やビール缶の黄金色も、
すべてがちりぢりに、音のない花火みたいに広がって、
左回りで、ゆったり、ゆったり、と回りつづける。

光の花弁が開き、呼吸のようにすぼまる。
まどろむような回転のさなかで私は、
ふしあなのことが、ほんの少しわかりかけてきた気がする。
大家さんの手紙。
こむらがえりと義妹のおなか。
等伯と迷路とドミノ倒し。
ふしあなはからかったりなんかしない。
視野に忽然とあらわれる
まぼろしの黒点なんかではけっしてない。

ふしあなはたぶん、私のために、開いてくれている。

ゆっくりと目を離すと万華鏡はごく自然に遠のいていく。
押し入れから這い出し、
引き出しの奥の輪ゴムで留めた束から
Sさんのところのカードを選び出す。
身がすごく軽いのは、万華鏡で気がほぐれたか、
あるいは知らず凝り固まっていたからだが、
左回転でゆったりとほどかれたせいだろうか。
神社でもらった歯ブラシを
猫くちびるに入れてていねいに磨く。
灯りを消してふとんに入っても押し入れの奥から、
瞬くような光がしばらく部屋のこちら側まで
漏れだしている。

翌朝出勤前に電話すると、
懐かしい声でSさんの奥さんが出る。
母も弟も元気です、と伝えると、
ソウ、と喜び、
で、あなたは、ときかれる。
ゼンゼンダイジョウブデス、とこたえる。
Sさんは学会でパリにいっていて留守だそうだ。
事情を話すと奥さんは、
マア、とやはり絶句し、
来週には戻るから、すぐ電話させます、といってくれる。
男の子の学校にも連絡しておく。
父親からはまだ電話がない。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
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