夕方、男の子がひとりでやってくる。
皆が立ち仕事してる部屋の隅で、
私は男の子と向かい合い、
授業や行き帰りについてきく。
男の子は口のなかの小石を吐き捨てるように
ひと言ずつこたえる。
床にちらばった黒い言葉の断片が
まざまざ目にみえるくらいだ。
私はぼやかして夢のことをきく。
男の子は黙っている。

私は、自分が最近みたバカな夢のことを話す。
私イワシなんだけど泳いでたらアジに食べられて
その瞬間アジになるのね。
そんでまた泳いでたらマグロに食べられて、
気がついたらやっぱりマグロになってる。
マグロのまんま泳いでたら延縄にかかって、
冷凍庫に詰められて漁港へ運ばれる。
市場でセリにかけられて、問屋へ運ばれ、
ばらばらのブロックに解体されてお店へ出荷される。
夜になってお店に灯りがともり、
どうも私中トロらしいんだけど、
包丁でスッと引かれて板に載せられ、
ヘイ師匠、ってお客の前に出される。
カウンターに座ってるのは私の好きな落語家で、
何もいわずにパクって口に入れて、
その瞬間、私、その落語家になってるの。

男の子は何もいわず、じっとこっちを見てる。
何も他に見るものがないんで私を見てるって感じ。
立ち上がって、じゃあ明日も、と声をかけると、
わかんない、小さくつぶやいて椅子から降りる。
私は同僚と見送る。
自動ドアがウイーと開きウイーと閉まる。

夜はひとりで新宿の末広亭へ、
好きな落語家は出ないけれど、
いまは落語が必要、とおもって切符を買った。
散々だった。
ベテランはテレビの芸能ワイドみたいな話題ばかりで
受けを狙い、若手の出番はどれも、
落語家の役の芝居のオーディションなんじゃないかと
思うばかりだ。

そのうち思いついて席を立ち、
地下鉄に乗って足早にアパートへ帰る。
灯りをつけて、押し入れの上段の段ボール箱を開けると、
おんぼろのラジカセを出して雑巾で拭く。
遠い声が頭のなかで響く、
きたねえってんじゃない、
時代が付いてる、ってえんだ。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
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