アパートの階段をおりていると、
赤茶色でスイカ大のドッジボールが、
てん、てん、と階段を落ちてくる。
まるで後をついてくるみたいに。
両手で受けとめ、ちょっとの間考えて、
胸に抱きとめたまま地下鉄に乗る。
舗道を、てん、てん、と弾ませて歩いていると、
自分の一部もボールになった感じがして
なんだか楽しくなってくる。
赤ん坊は、自分のものとは思えない
制御のつかない出来事やからだの一部に怯え、
ヒクン、ヒクンとふるえながら、
泣きわめいてばかりいるように外からは見えるけど、
じっさいはこんな風に、
からだごと弾んでいるっていう感じも
あるんじゃないだろうか。
赤ん坊にとっては毎日が、
芝浜の、沖から寄せくる朝の波みたいな真新しさで
ざぶざぶ押し寄せてくる。
それだけでなく、赤ん坊のほうからも、
新しく変えた畳みたいな光と香気を放ち、
この世に、てん、てん、てん、てん、
転がりつづけていくのだ。

午後三時半、男の子が来る。
待合室の隅で父親の電話の話を伝える。
表情を変えない横顔に、
寿限無って知ってる? と笑いかける。
「じゅげむ?」
「そう、じゅ、げ、む」。
それは落語の世界でもっとも祝福された赤ん坊の名前、
長生きを祈って、お父さんが和尚さんに相談し、
とにかく長い長い、長ーい名前を赤ちゃんにつけた。
いまから唱えるから聞いてみて。いい? 

じゅげむ、じゅげむ、
五劫のすーりーきーれ、
海砂利水魚のすいぎょうまーつ、
うんらいまーつ、ふうらいまーつ、
食う寝る処に住む処、
パイポ、パイポ、パイポのシューリンガーン、
シューリンガーンのグーリンダーイ、
グーリンダーイのポンポコピーの、
ポンンポコナーの、長久命の長助!

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
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