シェイクスピアにつづくテーマは
日本の伝統芸能・歌舞伎です。
そして、この講座をとりまとめるのは、
ほぼ日サイエンスフェローの早野龍五。
物理学者でヴァイオリニストでもあり、
さらに毎月のように歌舞伎座に足を運ぶ
大の歌舞伎ファンでもあります。
その早野のリードで、
歌舞伎の観方・楽しみ方を
いっしょに愉快に学びましょう、
というのが、このゼミです。
実は早野、かつて東大で歌舞伎ゼミを主宰していました。
ちゃんと単位がとれるゼミです。
ほぼ日の学校のHayano歌舞伎ゼミでは、
難しい薀蓄(うんちく)は語りません。
まずは楽しく歌舞伎見物をすることが
なにより大事と考えるから。
でも、ちょっとだけ勉強すると、
絢爛豪華な舞台の見物が
もっと楽しくなること間違いなし!
さて、どんなゼミになりますやら。
まずは、フェローの早野が
頼みとする強力な助っ人お二人と
じっくり意見を交換しました。
お一方は日本芸能史を専門とする
矢内賢二・ICU上級准教授。
そしてもうお一方は、芝居を題材にした
落語・芝居噺を得意とする桂吉坊師匠。
では、ごゆるりと、
隅から隅まで、ずずずいーっと
お読みいただきとう存じます。
2.
現代と江戸の落差を
よじ登る
歌舞伎ゼミを始めるにあたり、
早野フェローがお力を頼む
矢内賢二さんと桂吉坊さんとの
お話はつづきます。
- 早野
- 矢内さんとは、時々歌舞伎座でもお目にかかります。
お仕事でいらっしゃるんですよね、歌舞伎座は。
- 矢内
- そうなんです。
東京新聞で劇評を書いているので、観なくてはいけない。
- 早野
- 観なくてはいけなくて観るのと、そうでなくて観るのとは、
やっぱり違うものですか。
- 矢内
- 観なくてはいけないと、辛いですよ。
寝るわけにいきませんし(笑)。
- 早野
- やっぱり眠くなりますか?
- 矢内
- なります。しょっちゅうなります。
- 早野
- 私もなります(笑)。
- 矢内
- さらに、その観たものを咀嚼して、
何百字か書かなきゃいけないわけですからねえ。
- 早野
- それは大変ですよね。
ところで、さきほどお話したように、
僕が歌舞伎を観はじめたのは
大学に入ってからですが、
矢内さんもわりと〝後天的〟?
- 矢内
- 平成になってからです。平成2年かな、初歌舞伎が。
大学1年生の時です。早野さんと同じように、
高校まで本物の歌舞伎を観るという
経験はありませんでした。
早野さんは歌舞伎との出会いが落語ですけど、
私の場合はドリフなんです。
- 早野
- ああ! ドリフターズ。
- 矢内
- 昭和50年代の前半ぐらいまでは、
テレビで歌舞伎のコントをやっていました。
カトちゃんが「白浪五人男」の
弁天小僧をやっていました。
ああいうのを通じて、何だかわからないけど、
歌舞伎というものが世の中にはあって、
こういうものなんだなっていうのを
カトちゃんに学んだんです。
そういう下地があったので、東京に来てから、
ちょっと一回観に行こうかと思ったわけです。
- 早野
- 歌舞伎コントね。
- 矢内
- 当時、落語をテレビでやることは減っていて、
芝居噺も聞く機会がなくなっていました。
- 早野
- そうですよね。
僕はよくこれを引き合いに出すのですが、
ドリフよりはるか前、
昭和29年に大ヒットした歌謡曲に
『お富さん』というのがありました。
- 吉坊
- 「死んだはずだよ、お富さん」。
- 早野
- そうです。
でも、あの歌詞を今聞いて意味がわかる、
あるいは場面が思い浮かぶ人は、
もうほとんどいないと思うんですね。
歌い出しの「粋な黒塀」って何? ですよね。
昭和29年には、芝居の「お富与三郎」の
幕開きの場面だと
みんなわかったからこそヒットした。
当時は、伝統が日常のなかに生きていましたね。
- 吉坊
- 大阪の漫才もそうです。
「宮川左近ショウ」とか「かしまし娘」、「三人奴」。
歌謡漫才の方々は、何回かに一回は、
「お笑い勧進帳」とかされましたもんね。
それが普通にテレビで放送されてた時代には、
やっぱり芝居が身近やったんでしょうね。
- 早野
- もう今はないです。というか、
やって、ウケることはないでしょうね、たぶん。
- 吉坊
- 僕自身、全然知りませんでしたもん。
昭和56(1981)年生まれですけど、
漫才ブームは終わっていましたから。
でも中学生のときに、桂米朝が人間国宝になったり、
横山やすしさんが亡くなったりして、
テレビで古い漫才や落語をやるようになって、
「こんなのあんのや」って思った程度でしたね。
歌舞伎というのは、完全に僕の生活から離れてました。
- 早野
- 僕は苗字が早野なんで、
どういう字ですかって聞かれると、
「あの勘平さんと同じ名字だよ」って言うと、
昔は通じたんです。
「仮名手本忠臣蔵(に登場する早野勘平)」を、
みんな知ってましたからね。
今はもう絶対通じません。
- 矢内
- 通じないでしょうね。
「かんぺい」といったら、
「間(はざま)」になっちゃう(笑)。
- 早野
- 昔なら通じたであろう
歌舞伎などに根差した伝統的なことが
通じない時代になったと思います。
ところで、吉坊さんが、
最初に歌舞伎をご覧になったのは、
いつ頃でした?
- 吉坊
- 最初は高校の特別授業でした。
- 早野
- あぁ、授業が最初っていう方多いですよね。
- 吉坊
- 僕は大阪府立東住吉高校の芸能文化科という、
ちょっと特殊な学科だったもんですから、
普通に学校の授業として行ってました。
ちょうど大阪松竹座のこけら落としですね。
中村鴈治郎さんの「お染の七役」とか、
亡くなられた中村勘三郎さんの「狐狸狐狸ばなし」、
市川團十郎さんの「毛抜」とか。
正月歌舞伎が團十郎・鴈治郎の二枚看板で、
坂東玉三郎さんが「阿古屋」とかやってましたね。
豪華絢爛な時代ですね。
- 早野
- いいですねー。
少し話は戻るんですけど、
伝統に根ざしたことが通じなくなるなかで、
「現代人が理解するには、ある程度の勉強が必要」と、
書かれた矢内さんの思いが
僕はよくわかる気がするんです。
詳しいところは授業でやっていただくことにして、
少しかいつまんで、
なぜ「とにかく観て下さい。楽しんで下さい」と
お書きにならなかったかをお話しいただけますか?
- 矢内
- うーん、難しいですね。
- 早野
- でも、それをまさに語りたかったわけですよね。
- 矢内
- そうなんです。
初心者向けの解説本とか講座とかがあって、
「どうぞ気軽な気持ちで観て楽しんで下さい。
華やかな舞台を楽しんで下さい」って書いてありますけど、
やっぱりそれだけでは厳しいと思うんです。
たとえば客席で観てると、
幕開きのチョンパ(暗いなか緞帳があがり、
拍子木のチョンという音につづいて
照明がパッとつく)とか、
ワーッと盛り上がるんですね。
おばさま方が「きれいね、きれいね」って喜んでいる。
でも10分、15分経ってくると、
テンションがグーッと下がってくる。
さらに、セリフの応酬が始まると、
最低レベルまで落ち込んでいくんですね。
「きれいね」っていうのは、
その一瞬はきれいですけど、
それが維持できることはない。
ディズニーランドのパレードと一緒で、
最初は感動するけど、
何時間も観ていられるかっていうと厳しいですよね。
- 早野
- なるほど。
- 矢内
- 歌舞伎の場合、ある程度複雑な人間関係があって
ストーリーが進んでいくっていうことになると、
舞台に出ている人たちが
どういう論理で動いてるかが頭に入っていないと、
最後のほうで吉右衛門が大見得を切ったとしても、
その見得の立派さが伝わらないと思うんです。
背景に理解がないと。
こういうことを言うと嫌われるんですけど、
やっぱり勉強が必要であると言いたいわけです。
では、勉強とはどういうことかというと、
「この人はどういう立場の人で、
今何をしなきゃならなくて、
ところが敵はこういうことを言っていて、
その娘はこういう立場にあって‥‥」というのを、
筋書きを読んで知っていないと、
一瞬の快楽で終わってしまうと思うんです。
- 早野
- ええ、そうですね。
- 矢内
- 歌舞伎にとって「あっ」という驚きは、
まずそれが大事なんですけれど、
劇場で3時間4時間観て、きちんと味わおうとするならば、
お勉強して下さいね、と私は言うんです。
- 早野
- うん、うん。
- 矢内
- 文楽とか、落語もそうかもしれませんが、
文字から知識を得て鑑賞することに、
抵抗を示す人が世の中多いんですね。
「芸術はそういうもんじゃない。感性で見るもんだ」って。
でも、じつはそうじゃないとずっと思っています。
美術もそうですよね。とくに西洋絵画なんて、
聖書をある程度知ってないとわからない。
ストーリーとか、舞台上の人が何を考えているかが、
すごく大事だと思うので、
それを何とか現代の言葉で説明したいと思って書いたのが
『ちゃぶ台返しの歌舞伎入門』なんです。
- 早野
- ええ。
- 矢内
- たとえば『寺子屋』が
残酷であると言う人がいるんですね。
とくに外国の人に多いですけど。
「こんなことはあり得ない」というわけです。
- 早野
- 子どもを身代わりにする話ですね。
- 矢内
- はい。主君の子の身代わりに、
自分の子の首を人に討たせるわけです。
たしかに現代ではそんなことあり得ない。
けれど、それを見て、
なぜ感動する私がいるのかというと、
彼らが今、どういう立場なのかを
理解しているからだろうと思うんです。
武部源蔵がいかに厳しい立場にいるかを知らないと、
首を斬ったり、子の母まで殺そうとする気持ちは、
やっぱりわからない。
- 早野
- 知らないとわからないし、
松王丸がなぜ自分の子どもを
身代わりとして送り込むかもわかりませんよね。
- 矢内
- はい。現代と江戸の人たちの間には
ものすごい落差があるわけで、
感覚だって発想だって違うわけです。
しかも、それがお芝居のうえで虚構化されている。
江戸時代の人があんなふうに生きていたわけでは
全然ないんですよね。あれはフィクションですから。
その落差を、こっちからよじ登らないと、
江戸の人たちの気持ちはわからないと思うんです。
それは、古典全部そうだと思います。
和歌だろうが、万葉集だろうが、芭蕉だろうが同じです。
- 早野
- はい。
- 矢内
- この「よじ登る努力」が大事だと思うんですけど、
「芸術は、そういうもんじゃない」っていう声を
あちこちから聞くのが、もう業腹(ごうはら)で。
「いや、そうじゃないだろう」と、
訴えたかったわけです。
- 早野
- わかります。
Hayano歌舞伎ゼミは
こんな講座です。
2018年7月から2019年2月まで
毎月1回開催します。全9回。
11月にはみんなでそろって
歌舞伎座に見物に行きます。
講師は矢内賢二さん(ICU上級准教授)、
桂吉坊さん(落語家)、
福田尚武さん(舞台写真家)、
辻和子さん(イラストレーター)、
成毛真さん(実業家)、
岡崎哲也さん(松竹常務取締役)。
スペシャルゲストも登壇予定です。
ゼミを主宰するのは、
ほぼ日サイエンスフェローの早野龍五です。
詳細は以下からご覧ください。
「ほぼ日の学校」
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