2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.28

「もしもシェイクスピアが
いなかったら」

 1980年代後半、芝居に足を運ぶ回数がめっきり減ってしまった私にとって、その頃から活発に演劇記事を書きだした山口宏子さんは、貴重な情報源、演劇界への“窓”でした。とりわけ「世界のニナガワ」と呼ばれ始めた蜷川幸雄という存在について――。

 蜷川さんは何を考え、あのような挑戦的な趣向の作品を次々に仕掛けるのか。観客は何をおもしろがって観に行くのか。つまるところ、「蜷川シェイクスピアは何をめざすのか」を、読者にそれとなく問いかける記者のひとりが山口さんでした。

 今回の講義も、したがって蜷川演出の「らしさ」の由来、言いかえれば「日本人がつくるシェイクスピア劇とは何か」がテーマになりました。

 明治8年の仮名垣魯文(かながきろぶん)翻案の「葉武列土倭錦絵(はむれっとやまとにしきえ)」から、1970、72、73年のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の来日公演、スピード感のある小田島雄志訳の登場、東京グローブ座の開場(1988年)、そして蜷川幸雄にいたるまでの、日本におけるシェイクスピア上演史を「超高速」で振り返り、そこに屹立する「蜷川シェイクスピア」の特色やその背景について、山口さんはコンパクトに解説してくれました。

 一昨年、80歳で世を去るまでに、シェイクスピア戯曲全37作のうち、なんと31作を手がけた蜷川さんが、初めてシェイクスピアに挑んだのは、1974年の「ロミオとジュリエット」(日生劇場)です。実は、当初この公演に演出家としてイタリアから招く予定だったフランコ・ゼフィレッリが、ドタキャンしたことでたまたま転がり込んだ話でした。

 ゼフィレッリは、オリビア・ハッセーがヒロインを演じた大ヒット映画「ロミオとジュリエット」の監督をつとめていました。期待の大物が来日中止と決まって急遽、東宝は代わりの演出家を探します。何人かの若手が候補に挙がります。その時、京都で東宝プロデューサーの訪問を受けた蜷川さんは、「もしオレがやるなら、こうやるな」と語り始めたそうです。

 他の候補者が演劇論をぶつのとは対照的に、具体的に何をやりたいかをすぐに話したというのです。こうして白羽の矢が立ちました。今回、初めて聞いた話です。

 ところが当時、新宿の小劇場を拠点に反体制的な「アングラ演劇」でならしていた蜷川さんにとって、商業演劇と呼ばれる大劇場の世界は、ずいぶん勝手の違う「異文化」でした。山口さんが記しています。

<蟹江敬三や石橋蓮司らと、稽古初日から本番に近いせりふと動きで戯曲に向き合ってきた蜷川にはまず、稽古場の緩んだ空気が我慢ならなかった。 せりふを覚えていない。サングラスをかけたまま。スリッパ履き。殺陣では剣の代わりにホウキの柄を振り回す。蜷川は、「バカヤロー」を連発し、灰皿を投げつけた。時には靴も、椅子も投げた。「蜷川=灰皿を投げる」伝説はここから始まる>(山口宏子「シェイクスピアとともに大劇場へ、世界へ」、『蜷川幸雄の仕事』所収、新潮社

 白熱の稽古場は、その後も蜷川さんの代名詞になりました。この凄まじいテンションで作り上げた蜷川シェイクスピアのハイライト・シーンを、今回はこれも駆け足でたどりました。蜷川演出の特徴が、山口さんの見取り図のなかでくっきり浮かび上がります。

 先ほどの「ロミオとジュリエット」でいえば、「60人もの群衆がひしめく開幕、高い壁を使ったバルコニーの場など、『無名の人々』の視点、垂直軸の強調といった演出方法はすでに現れていた」(前掲書)と。

 そしてまた、「それまでのシェイクスピア上演とはまったく違う、速く激しい舞台を若い評論家は積極的に評価し、ベテラン評論家は強く批判した」()とも。

 前期の代表作「NINAGAWAマクベス」(1980年初演、日生劇場)は、登場人物の名前、セリフは原作のままに、時代背景を11世紀のスコットランドから安土桃山時代の日本に置き換え、衣装は和装、舞台全体は巨大な仏壇を思わせるセットにし、降りしきる満開の桜のなかで繰り広げられるサムライの悲劇に仕立てました。

 日本人の深い“記憶”と交錯させ、様式美と視覚的な効果によって、シェイクスピアを観客の心にじかにつなぐ演出です。

 その一方、シェイクスピアに対する微妙な距離感、批評性をはっきり示したのが、井上ひさし原作の「天保十二年のシェイクスピア」(2005年、シアターコクーン)です。蜷川、井上という1歳違いの「巨匠」たちが組んで仕事をしたのは、これが初めてです。

 ともかく原作『天保十二年のシェイクスピア』(新潮社、1973年)自体が、異様で破天荒な傑作です。「宝井琴凌(たからいきんりょう)の『天保水滸伝』をはじめとする侠客講談を父とし、シェイクスピアの全作品を母として、この作品は生れた」(エピグラフ)とあるように、シェイクスピア全戯曲の要素をすべて織りこみながら、江戸時代のバクチ打ちの任侠劇に仕立て上げた大作です。

 駄洒落、地口、語呂合わせなど、井上ひさし流のことば遊びがふんだんに使われ、猥雑さ、グロテスクな笑いをこれでもかと盛り込んだ奇想天外な筋立てです。

 1974年の初演(西武劇場、現・パルコ劇場)の際は、上演時間が5時間以上にも及び、観客が終電の時間を気にしながら途中で帰り始めたという逸話が残ります。

 その二人の過剰なまでのエネルギーがぶつかり合い、井上✕蜷川の相乗効果の凄みを見せつけた舞台の迫力は圧倒的です。今回は冒頭場面だけにしましたが、それだけでもじゅうぶん、この躍動感は伝わります。

 開演前、舞台にはロンドンのグローブ座を思わせるセットが組まれ、王侯貴族ふうの男女が行きかいます。そこに大音響が鳴り響くと、観客席の後ろから肥桶(こえおけ)をかついだ汚れた裸の男たちがなだれ込んできます。と思うと一斉に、「グローブ座」の解体に取りかかります。

 幕開き3分」という蜷川演出の勝負どころです。その時男たちによって歌われるのが、いかにも井上戯曲らしい皮肉とエスプリのきいた次の歌――。

<もしも――

シェイクスピアがいなかったら

文学博士になりそこなった

英文学者がずいぶん出ただろう

もしも――

シェイクスピアがいなかったら

全集、出せずに儲けそこない

出版会社はつくづく困ったろう

もしも――

シェイクスピアがいなかったら

創作劇に貧しく乏しい

新劇界はほとほと弱ったろう>

 近代以降、西洋から入ってきた芸術に日本人としてどう向き合うか、という大きな問いに対する二人の答えが、この歌詞と演出にあらわれています。

 グローブ座」をたてまつる気取った西洋礼賛への反発、反骨。偉大な劇作家シェイクスピアに対する最大限の敬意は払いつつも、それを茶化さずにはいられないバランス感覚。日本人にとって得心のいく、恥ずかしくない表現をシェイクスピア劇で手に入れるにはどうすればよいか――。

 これは明治以来、この国が宿命的に背負った課題です。西欧由来の芸術を日本のクリエーターはどう受容し、自らの表現としてどう定着させるか。

 死の1年前、蜷川さんの強い要望で実現した画家の山口晃さんとの対話が、最後に紹介されます。山口晃さんの『ヘンな日本美術史』(祥伝社)を読んだことで、「今度、“愚痴”を言い合いましょう」と蜷川さんが呼びかけたものでした(*)。

 また、先日の平昌五輪で金メダルを取ったフィギュアスケートの羽生結弦選手が、大会後の記者会見で、フリープログラムで映画「陰陽師」のテーマ曲「SEIMEI」を選んだことについて、「これまでの歴史を考えると、アジア人がフィギュアスケートで勝つことはほとんどなかった。フィギュアスケートはヨーロッパで発展し、日本に渡ってきた。そういうなかで、日本の音楽を基調とした曲で、金メダルを取ることができたのは、非常に意味がある」といった発言をしたことに、山口さんは言及しました。

 超高速」で日本のシェイクスピア劇を駆けめぐった後で、余韻のあるフィナーレになりました。

2018年3月29日

ほぼ日の学校長

*蜷川幸雄✕山口晃「西洋文化と向き合う僕たちの共通点」(『蜷川幸雄の仕事』所収)

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