糸井
関野さんはどうして
「グレートジャーニー」をはじめようと
思われたんですか?
関野
ぼく、もともと、
20年間、南米に通っていたんです。
糸井
「グレートジャーニー」の前に?
関野
そうなんです。
22歳のときからずっと。
それで、意外かもしれませんが、
アマゾンやアンデスの人たちって、
背格好、顔、しぐさ、性格など、
ほんとに日本人とそっくりなんですね。
糸井
あ、そうなんですか。
関野
はい。だからぼくは、ずっと
彼らの姿を見ながら、
「いつか、この人たちのルーツをたどる
旅をしよう」
と思っていたんです。
‥‥知識としては知っていたんですが。
糸井
ユーラシア大陸から、ですか?
関野
ええ、大昔、
ベーリング海峡が陸続きだったときに、
そこを渡ってやってきたんです。
ただ「知識として知っている」のと、
「体験として理解する」のは
違いますから、身体でわかりたくて。
糸井
それが「グレートジャーニー」に
つながっていく、と。
関野
まあ、そういうことを「やりたいな」と
思いながらも、
なかなか、やるに至らなかったんですが‥‥。
ただ、南米に20年くらい通っていると、
ぼくは自分が、
新鮮な目を持てなくなったことに
気がつきはじめたんです。
糸井
あ、南米に対して。
関野
たとえばぼくは、いろんな人を
南米のあちこちに案内していたのですが、
連れていくたびに、
みんな「すごい‥‥」と、感動してくれます。
でもその横でぼくは、
「どうしてみんな、
この程度のことに、感動してるんだろ?」
なんて、考えるようになっていました。
糸井
面白く思えなくなったんだ。
関野
さらに、何人もから
「同じことばかり言うようになってるよ」と
言われたりもして。
糸井
それは、
「ちょっとマズいな」という感じですね。
関野
そんなとき、ある人から
「韓国でも、インドネシアでも、
いちど別の国や地域に行ったら、
南米がもっと、クリアに見えるんじゃない?」
と、そんなアドバイスを受けまして。
糸井
はい、はい。
関野
「じゃあ、せっかくの機会だし、
ずっと行きたいと思っていた旅をしたいな」と。
糸井
ああ、それで、
「グレートジャーニー」に。
‥‥それにしても、
いっきに世界のあちこちを
8年3ヶ月かけてめぐる旅に行く、というのも
なかなか思い切りが良いですね。
関野
ぼく、もともと、なんでも、
一気に行ってやろう、という「性格」で。
糸井
あ、「性格」(笑)。
関野
ぼく、
いちばんはじめに訪れた外国も、
22歳で訪れたアマゾンなんですよ。
それも、1年以上いて。
糸井
はじめからアマゾンに1年以上ですか。
それもすごいですね。
しかし‥‥どうしてまた?
関野
ぼく、小さいころから、
やりたいことがずっと抑えられていたんです。
ひとりで山登りも「ダメ」。バイトも「ダメ」。
「勉強しろ」とも
まったく言われませんでしたけど、
末っ子の5男で、ものすごくかわいがられてて。
それが、きゅうくつできゅうくつでしょうがなくて。
糸井
その反動で、アマゾンへ?
関野
大きく言えば、そういうことです。
とりあえず、大学に入ったら、
勘当されてでも海外に出てやろうと、
ずっと思っていました。
糸井
‥‥飛び出してやるぞ、と。
関野
だから大学に入学してすぐに、
まずは、探検部を自分でつくりました。
だけど自分が作ったから、教えてくれる人がいなくて、
先輩がほしくて、社会人の山岳会に入って。
あと、早稲田の探検部の準部員になって、
一緒に合宿に出かけたりもしました。
糸井
どんどん行動をはじめられたんですね。
関野
ええ。
それで当時、早稲田の探検部の人たちが、
ナイル川──つまり、
「世界でいちばん、長い川」へ通っていて。
糸井
ああ、世界でいちばん、長い川。
関野
それを横目に見ながら、
「じゃあぼくは、
世界でいちばんでかい川だ」と。
糸井
「じゃあ、いちばんでかい川だ」(笑)
‥‥意地を張った、とか?
関野
いえ、単純に、
アマゾン川があいてたんです。
糸井
関野さんは、大学にはあんまり‥‥?
関野
ほとんど行ってませんでした。
1年の3分の1は山か川に行って
トレーニングをしてましたし、
もう3分の1は、アルバイトをしてました。
あと、学生紛争の年代で、
大学が、閉鎖されたりもしてましたから。
糸井
そうですか。
関野さんの生まれ年は‥‥1948年?
関野
1949年生まれです。ただ、早生まれで。
糸井
実は、ぼくもその学年なんです。
関野
あ、同じ学年ですか。
糸井
ええ。だから今の話のリアリティは
とてもよくわかります。
関野
ぼくは授業に出ていなかったけど
今の学生よりも、ずっと本を読んでいました。
糸井
そういうことですよね。
わかります。
勉強でも遊びでも、なんでも、
当時はみんな、
自分で探して、自分でやるしかなかった。
関野
そう。その状態のなかで、
ぼくは自分が見つかっていなかったから、
アマゾンに行ったんです。
糸井
その気分も、なんとなくわかります。
関野
あとぼくは、先生にめぐまれまして。
入ったゼミの先生が、すばらしかったんです。
法学部でしたが、
「法学部だからといって、法律をやる必要はない」
という人で。
糸井
ああ、いいですね。
関野
その先生自体、
「国際私法」が専門でしたが、
法律は大学院ではじめて学んだという人で。
だから、
「実学は、社会に出てからやればいい。
大学では『ものの見方』や『考え方』を学ぶのが
いちばん大切だから、
まずは本をたくさん読みなさい。
そして、友達と、たくさん語り合いなさい」と。
そういう教えを受けました。
糸井
それは、とてもちゃんとした教育ですね。
関野
ただ、厳しい先生だったから、
ぼくらの学年は、
ゼミに2人しか集まらなくって。
それも、
法律をやりたくないのが2人揃っちゃって、
ぼくは「アマゾンをやりたい」と言うし、
もう一人は「インドをやりたい」と言う(笑)。
糸井
アマゾンと、インド(笑)。
関野
だけど、その先生は、
「ちゃんとやるなら、
好きな事をやるのはかまわない」
という人だった。
だから、ぼくら2人は
隔週で交互に調べたことを
レポーターとして発表させられました。
厳しい質問も受けました。
そうやって一緒に学び、送り出してくれたんです。
糸井
‥‥本当に、いい先生ですね。
言っていることと、やっていることが
ぴたっと合ってらっしゃって。
関野
その先生から、
「将来、なにか発表したときには持ってくるように」
とも言われていたので、
ぼくはいまでも
本を出すたびに、その先生に持っていくんです。
‥‥いまはもう、80歳くらいの先生ですけど。
糸井
ええ、ええ。
(つづきます。)
2013-03-26-TUE
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN