第3回 「やりたくて、できる最高のもの」をやろう。
 
糸井 学生時代に関野さんが出かけたアマゾンは、
当時、なにかを知りたいと思っても
何もわからなかった場所ですよね。
関野 そうですね。
さらに、そのときは、
向こうの町に行ってみても何もわからなくて、
結局、現地を訪れるしかなかったんです。
糸井 現地、つまりアマゾンの奥地に。
関野 そうなんです。
糸井 ‥‥あの、アマゾン川に足を入れると、
ピラニアが襲いかかってきて
骨になるまで肉を食われるというのは、
嘘なんですよね?
関野 そうですね、キスはしてきますけど。

凶暴な種類もいるみたいだけど、
少なくともぼく自身は、
毎日、ピラニアのいる川で泳いでました。
普通の身体だと、心配ないみたいです。

怪我などで「血」が出ていると、
魚たちにとって「食べ物だ」という
サインになるみたいですけど、
逆に「血」がなければ、
「なにか変なものが入ってきたな」くらいの
感じなんだと思いますね。
糸井 ピラニアのお話もそうですけれど、
アマゾンのことって、
当時もですが、おそらく今も
日本のぼくら、
思っている以上に、何も知らないですよね。

でも、若き日の関野さんは、
そんな、ものすごく何もわからない場所に、
飛び込んでいかれた。
関野 その、アマゾンの
「日本とは、まったく異なる環境」が
ぼくには魅力的だったんです。
糸井 ‥‥と、いいますと?
関野 ぼくは自分を、生まれ育った場所と
ぜんぜん違う場所に放り込んだら、
ちがう「自分」が見えるかもしれない、
と思ったんですよ。

アマゾンは、もう、
まったく知らない場所ですから。

たとえばアマゾンでは、
知識があれば、飢えることはまずないんです。
本当に食べられるものが、たくさんあるんです。
糸井 あ、そうなんですか。
関野 ええ。そんなことも、
行ってみてはじめて知りました。
糸井 関野さんが、アマゾンへ行って、
具体的に「これをやろう」とか
思われていたことって、ありますか?
関野 ‥‥当時、冒険家の植村直己さんが、
アマゾン川を
いかだで下っていたんです。

ただ、それは、けっこう川の中流からだったので、
「どうせなら、ぼくは
 河口から一番遠いところから下ろう」と
計画を立てて行きました。
糸井 関野さんの発想は、
基本的にスケールが、大きいですね(笑)。
関野 ぼくはいつも
「自分がやりたくて、できる最高のもの」を
「目標」に設定するんです。

もちろん、
実際にやって、できなかったような場合には
譲っていくこともありますが、
でも、できるかぎり譲らない。
糸井 できる最高のものを「目標」にして、
譲らずやっていく。
関野 ええ。
それと「夢」ってあるでしょう?

ぼく、自分がやれる可能性があることしか
やろうと思わないから、
いつも「夢」はなくて「目標」だけなんです。

‥‥「夢」って、できないから「夢」なわけで。
糸井 ああ、そのお話、よくわかります。
「夢」って、
実現させる責任をとらずに言うもの
なんですよね。
関野 そうそう。だから、ぼく、
「夢はなんですか?」とか聞かれても
「夢はないんです」と答えてしまうんです。

実際、「目標」を考えるほうが、
たのしいですよね。
糸井 関野さんがそういった「目標」に取り組むときの
「定番のアプローチ法」
のようなものって、ありますか?
関野 「定番のアプローチ法」‥‥。
それでいえば、まず、
ぼくはたぶん、特別な能力って持ってなくて、
他人と比べたら、
「体力」も「知力」もぜんぜん優れてないんですね。
そういうのは、とても「ふつう」なんです。
糸井 関野さんも、ご本人の実感としては、
「ふつう」の人。
関野 でも、ぼくには武器がひとつあって、
それは「時間をかける」ことなんです。
やりたいことが一回で実現できなくても、
ぼくは「時間」をかけてクリアするんです。
糸井 ああ、なるほど。
関野さんがもともと「グレートジャーニー」を
「30年かかってもやっていた」
という話も、そうですね。
関野 そうそう。
ぼくの目的は「やること」ですから、
「時間」がかかってもいいんです。

「やりたいこと」が一度でできなくても、
ぼくはぜんぜん気にならなくて、
つい、繰り返しちゃうんです。
やれるまで、やっちゃう。
糸井 きっと、どうしてダメだったかを考えて、
やり直したりも、されるでしょうし。
関野 そうなんです。
そうやって、失敗しても気にせず
成功するまで続けてたら、
それは、成功するしかないですよね。
糸井 つまり「サドンデス」ですよね。
それは、ぼくもよくやっている
「アプローチの方法」です。

‥‥いまちょっと、その考えていきかたに
「同時代の空気」を感じました。
関野 ああ。「同時代の空気」は、あるでしょうね。
糸井 つまり、ぼくらには、
現代のような素晴らしいマニュアルは
ほとんど手に入らなかったじゃないですか。

でも、マニュアルが無かったからこそ、
関野さんも、ぼくも、
「できるまで、やってみる」という
アプローチを選ぶようになったのかな、と思ったんです。

‥‥ぼくは時代論は好きじゃないし、
それが良かった、という話では、
まったくないんですが、傾向として。
関野 マニュアルはなかったけど、
そのぶんぼくは、
「どんな人や、どんなものからでも
 学ぶことができる」
という教えをもらった気がします。

誰からでも、何からでも。
生きていると、
学ばせてもらうことばっかりじゃないですか。
糸井 わかります。
関野 旅の準備段階でも、している途中でも、
出会う人みんなが「師」になってくれたし、
究極を言えば、
アマゾンぜんぶが
ぼくにとっての「師」になってくれました。
糸井 「師」って結局「自分の体系」のことだから、
自分が学ぶことができれば、
なんでも、誰もが「師」になるんですよね。

逆に、こちらに学ぶ気がなければ、
どんなにすごい人であろうと、
「師」にはなり得ないですし。
関野 まあ、自分の来た道を振り返ると、
なんでこんなにじたばたしたんだろう、とは、
よく思うんですけど。

‥‥ぼく、大学生を、14年やってて(笑)。
糸井 それは、「時間」をかけましたねえ。
関野 無駄なことしたかな、とも思うんだけど。
でもね。
糸井 いや。そのじたばたした歴史が
「グレートジャーニー」の関野さんを作ったのも
事実でしょうし。
関野 きっと、そうなんですよね。

(つづきます。)
 
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2013-03-27-WED
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