第6回  「違い」を「すげぇな」と言えること。
 
関野 いま、ぼくは日本で
「暗闇」がなくなっていることが、
問題だと思っているんです。
糸井 はい、「暗闇」。
関野 アンデスやアマゾンにでかけると、
そこには本物の「暗闇」があります。
まさに「漆黒の闇」で、
火を消してしまったら、何も見えない。

手を伸ばしますよね?
そうすると、自分の手の先が見えない。

‥‥そういう、深い闇があるんです。
糸井 へえぇー。
関野 でも、日本ではいま、
そういう「暗闇」はありません。
山に登って泊まっても、街の明かりが見えちゃうし。

今、学生たちに「今日の月のかたちは?」
と聞いても、ほとんど知りません。
満月なら多少、
でも、三日月くらいなら、まったく見ていません。
糸井 ああ、そうでしょうね。
関野 だけど、アマゾンでは、
満月の夜はすごく明るくて、
旅ができるんです。
本も、文庫本の小さな字が読めます。

だから、生活のなかで
自然と月のことが気になるんです。
糸井 その感覚が教えてくれることは
きっと、大きいでしょうね。
関野 そうだと思います。
人類が、
「暗闇」のない生活をするようになったのは、
ほんと、最近のことですから。
糸井 そういうことでいえば、
「毎日お風呂に入る」というのも
みんな、大昔からやっていたことのように
思ってますよね。
関野 それ、ぼくも思ってました。

ぼくはいま大学で教えてるんですけど、
同僚が、ときどき埼玉の所沢のほうに
フィールドワークで
学生たちを連れていくんです。
そこは水がない場所で、
お風呂は一週間に一度だけ。
みんな入るから、
もう、最後なんてドロドロ(笑)。

だけど、そういう場所もあるんですよね。
糸井 きっと、会社や学校で、
「あの人、3日に1度しか
 お風呂に入ってないらしいよ」
という噂があったら、
みんなきっと
「エーッ」とか「キャーッ」って言いますね。

でも、ときどき、
「自分たちって、
 そこまでレディメイドな存在だったっけ?」
と思うんです。

もちろん、その人工的な世界で
たのしくやっている自分もいるんですけど。
たのしくやる自分と一緒に、
それを疑う自分も、両方あって。
関野 そうそう。
人工的な生活のことを疑う目も、
一緒に持っていたほうが、いいですよね。

‥‥品川に、芝浦屠場(とじょう)という
食肉にするために
ブタを1400頭、牛を200頭ずつくらい、
毎日殺してるような場所があるんです。
そこにぼく、毎年、
学生たちを見学に連れていくんですけど、
やっぱり「事前勉強会」をするんです。
何故かというと、それをやらないと
みんなが「キャーッ」とか、言うからなんですよ。
糸井 ああ、なるほど‥‥。
その「キャーッ」の姿勢って、
あまりいいものでは、ないですよね。
その先に、よからぬものがあるというか。
関野 そこで働いている人にとっては
「キャーッ」とか「かわいそう」とか言われるのが
いちばん嫌なんですよ。

だから、事前に、説明をして。
「なぜここに、こんな場所があって。
 豚や牛を殺している人が、どんな思いで殺していて。
 他の人からどういうふうに見られているか」
そういうことを、伝えて。
そうするとまあ、みんな、言わないですよね。
糸井 ああー。
関野 向こうの人はそのときに
「動物を見ないでくれ、職人を見てくれ」
と言います。

職人たちの手さばきって、すごいんです。
動物を一発で気絶させますから。

殺したら、血が抜けなくなるから
まずは気絶させて。
そして、それで大動脈を切ると、
血がバーッと飛ぶんです。
糸井 あ、まだ心臓のポンプが動いてるから。
関野 そう。生きてるから、血が出るわけです。

狩猟民が野生の動物を穫るとき、
血抜きはしません。
でも、日本人は血が嫌いな民族なので、
特に血抜きをします。
糸井 そのときの「キャーッ」のような、
血がでることにおののいている様子は、
向こう側から見ると、
すごくおかしな光景なんでしょうね。

職人の方のほうから見ても、
殺される動物のほうから見ても。
関野 だから、職人は
「かわいそうだと言うなら、肉を食うな」と
思っているらしいです。
糸井 そうですよね。
事実を事実として受け入れる、というところって
とても大事なところですよね。

その‥‥自分と生理が違おうが、なんだろうが。
関野 ぜんぜん生理が違う人って、
世界にはたくさんいますしね。

エチオピアの村に行ったとき、
痰や咳が出て、微熱があって
困ってるおじいちゃんがいたので、
ぼく、街まで連れて行ったんです。
自分はそのとき、顕微鏡を持ってなかったから。

それで、町のレストランで
一緒にご飯を食べていたんですけど、
そのおじいちゃんが、もよおしてきて。

おじいちゃんは、いつも、外でしてる人なんだけど、
町で、それはできないから、
そのときはぼくの泊まってるホテルに
連れて行ったんですよ。
トイレがあったから。
糸井 はい。
関野 そしたらおじいちゃんが、
烈火のごとく、怒りだして。
糸井 え‥‥?
関野 なにかというと、
おじいちゃんの怒りは、
「お前がした場所で、おれにさせるのか!」
ということだったんです。
糸井 あ‥‥へえぇー!(笑) そこなんですね。
関野 そう。そこだったんです。
たしかに、ちゃんと流してあるけど、
そこで「してる」んですよね。
「した」ということでは同じなんで。
糸井 なるほど(笑)。
関野 おじいちゃんはいつも
誰もしていない、まっさらな場所でしてるから、
自分はやっぱり
「人のしてないところでやりたい」と。

だからそのときは、もう、
「‥‥まいりました」と。
糸井 位置の概念にきびしい(笑)。
関野 そう(笑)。
糸井 関野さんはそんなふうに
自分とまったく価値観の違う人に出会ったとき、
喧嘩にならずに、
何度も何度もクリアしてきたわけですよね。
関野 クリアというか、
ぼく、軽蔑することないですから。
違いを見て、
「あ、すげぇな」と思っちゃう。
糸井 それ、とても大事な部分ですよね。
違うということで
怒る人、多いんですよね。
関野 そうですね。
逆に、違いをなんとか見つけて
差別するとか。
糸井 そう、そう。

‥‥いま、ここに
特別展「グレートジャーニー 人類の旅」の
パンフレットがあって、
『これから私たちは、
 どう生きていったらいいのか』
という大きな問いが投げかけられていますけど。
関野 あ、そうなんです。
そこが、展覧会のひとつのテーマでもあって。
糸井 その答えのひとつは、
違うやりかたで、うんこをしている人に、
「お、すげぇな」って言うことなんじゃないかなあ、
と思いますね。

‥‥って、そんなこと、
ぼく、聞かれてないですけど(笑)。
関野 (笑)
(つづきます)
 
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2013-04-01-MON
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