はじめてのかたは こちらのプロローグからご覧ください。 |
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ーー | 岡山大学の大学院を受験するために、 どういうふうに勉強をされたんですか? |
尾崎 | もう必死ですよ。 仏文研究科の試験科目は、 英語と、専門科目のフランス語と フランス文学なんですけど、 私には自分の勉強部屋なんてありませんから、 家族みんなが寝静まった後に 台所で勉強をしました。 勉強をはじめたとき、 入試まで4ヵ月しかなかったんです。 |
ーー | たった、4ヵ月‥‥。 岡山大学って国立ですし、 ただでさえ難関ですよね。 |
尾崎 | そうですね。だからもう最初に 近所、親戚、友だちとの付き合いを この期間だけパシーッと全部 ストップさせていただいたんです。 結婚式とかお葬式だけは行かなくちゃ いけないんだけど、そこでもこっそり勉強して。 |
ーー | お葬式でも勉強を? |
尾崎 | 今思うと、ありえないんですけど、 お骨を拾う間に、ばばばばっと 単語帳をめくって(笑)。 |
ーー | すごいです。 たしかに1分1秒でも惜しいですもんね。 |
尾崎 | 先生に「がんばれ」と言われたし、 もう自分が行くしかない! と 思いこんでるから(笑)。 |
ーー | 猛勉強された結果、4ヵ月後には‥‥ |
尾崎 | 合格しました。 |
ーー | うわぁ、すごい!!! 発表はお一人で見に行かれたんですか? |
尾崎 | ええ、いつも一人です。 合格者の番号が貼り出されているんですけど、 もう、見るときは心臓バクバク。 それで、合格したのはいいんだけど、 主人と子どもたちにどう言おうかと悩みました。 「合格しちゃったけど、どうしようか」 みたいに紙を見せたんです。 まぁ「どうしよう」と言ったけど、 こっちは最初から行く気なんです(笑)。 |
ーー | (笑) |
尾崎 | それで、44歳にして 大学院生になったわけですけど、 当然ながら大学院に入ってからも 勉強は続くわけです。 朝は子どもたちの弁当と 自分のを作ってから大学に行って、 帰宅後も晩御飯の支度とか いっぱいやることがあって、 なかなか勉強する時間がないんです。 だからもう、子どもの学校の三者面談とか行っても、 自分の勉強をしていました。 進路指導の待ち時間、子どもはボーっとしてて、 私は横で勉強して‥‥。 |
ーー | そんなときまで。 |
尾崎 | ええ、勉強しないと 授業についていけなくて。 それで、子どもたちには 「ママ以上しなくていいけど、 ママくらい勉強しないと大学入れないよ」 と言ったりして。 |
ーー | お子さんにしてみたら 最高のお手本が身近にいるわけですね。 でも、どうして、 そこまでがんばれるんでしょうか。 |
尾崎 | やっぱり小さいころから 自分の憧れが「海外」だったからでしょうね。 実家は、愛媛県の新居浜にあるんですが、 小学生のとき、父親の知人が ヨーロッパで映してきたスライド映像を 観る機会が度々あったんです。 自分のいる景色と全く違う その映像にものすごく惹かれて 「いつか行くぞ」と、 強烈に思ったのを覚えています。 |
ーー | いつか、海外に。 |
尾崎 | ええ。なんだかわからないけど 昔から「ジパングの時代!」みたいな イメージをずっと描いていたんです。 だから高校卒業後は、東京の大学の 英文科へ行きました。 「とにかく海外へ出たい!」と、 まるで明治時代の「文明開化」のように 海外だ、海外だ‥‥! と思っていましたね。 |
ーー | じゃあ、大学卒業後の進路には 海外に関するお仕事を 考えたりされたんですか。 |
尾崎 | いえ、それができなかったんです。 私たちの世代は‥‥ と、世代で一括りにしてはいけないし、 そうじゃない人もいるんですけど、 少なくとも私は、 「女の子は結婚して家庭に入って 子どもを育てるもの」 というふうに育てられてきました。 「結婚か仕事か」みたいな 選択肢さえなかったんです。 だから、英語だ! とか、外国だ! と思いながらも そんなことは女の人がやっても無駄だし とにかく結婚しなくちゃ、と 思い込んでいたんでしょうね。 卒業後、都内の私立高校で 英語の非常勤講師を2年間やって、 四国に戻ってお見合いをして、 ここ丸亀市に、嫁いできました。 |
ーー | じゃあ、それからは、 ずっと「主婦」を。 |
尾崎 | そうです。もう、ずーっとです。 で、主婦をやってみたら 「これって、私が求めてたことなんだろうか」 という気持ちが、やっぱりどこかにありました。 「妻」や「嫁」や「母」に 望んでなる人ももちろんいるけれど、 「私自身は、なんなんだろう」って モヤモヤした気持ちを抱えていたんです。 まぁ、よくある話ですよね、こんなこと。 でも、フランス語をはじめたことをきっかけに、 少しずつ、気持ちが変わってきました。 というのも、自分がフランス語を覚えている、 その時間だけは「自分自身」なんです。 心の中にはずーっと、 小さいころ描いていた外国に対する 夢のようなものが残っていたのかもしれません。 |
ーー | 外国に行きたい、という夢が‥‥。 |
▲大学院生時代に、シスターと一緒に。 |
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尾崎 | はい。 そして、そのころ父の死に遭遇したんです。 人生には限りがあり、 私に残された時間も、もうそれほどない。 今やらなければいつやる? という思いが強く募ってきたんです。 大学院という選択をしたのも、 遠い昔、自分が小学校、中学校、高校時代に 憧れていた外国に近づきたいといった情熱と 父のことが重なり合って グッグッグッと動き出したんでしょうね。 「ジパング!」「文明開化!」と思って 大学院に行ったって、そこは岡山県だし、 物理的に「海外」に近づけるわけじゃないんだけども。 でも、そこから、 人生がどんどん予想もつかなかった方向に 変わっていったんです。 |
▲岡山大学大学院にて |
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(つづきます) |