糸井 |
何語でしゃべってもオッケー、
あらゆる言語を訳せる機械があったら‥‥いいなぁ。 |
原 |
でしょう?
もちろん、翻訳というのは、
PUCの機能のなかのひとつですけどね。 |
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糸井 |
コミュニケーションのための道具、というのは、
メールとか、テレビ電話とか? |
原 |
そういったものをイメージしてもらえれば、
遠くないでしょうね。
でも、PUCの大きな特徴は、
今のコンピュータとは比べものにならないくらい
操作性にすぐれているということ。
ようするに、われわれって
コンピュータに、自分を合わせてるじゃないですか。 |
糸井 |
ああ‥‥起動ボタンを押してから
あんなにも、じぃーっとおとなしく待ってる道具って、
他にないもんね、よく考えてみると。 |
原 |
それに、突然「フリーズ」したりとか
文章を書いてたらソフトが「落ちちゃった」りとか、
そんな家電、他にないでしょ?
ふだん、われわれは、
使ってる途中に不具合を起こすような製品を
不良品と呼んでいるんです。 |
糸井 |
そういわれてみれば。 |
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原 |
だから、今のコンピュータは
とうてい「使いやすい」とはいえません。
でも、わたしの考える「PUC」は、ちがう。
今のコンピュータみたいに
設定や操作、メンテナンスが面倒じゃなくて、
電話やテレビみたいに
直感的に、かんたんに扱うことのできる、
コミュニケーションの道具。
使ってることを意識しないくらいな、ね。 |
糸井 |
へぇ‥‥。 |
原 |
まだ、どんなかたちになるのかもわからないし、
試行錯誤の段階なんですけれど、
近いうちに、完全なものにしたいと思ってます。 |
糸井 |
超えるべきハードルが、まだあるんですね。 |
原 |
われわれ人間と同じような自由度を備えて
ものごとに対処できるよう、
データを再定義する必要があるでしょうね。
それって、「かたち」や「色」を認識できる
「オブジェクト指向データベース」のさらに先の世界。 |
糸井 |
じゃあ、また、そういう勉強をしてる人を
探し出してきて‥‥? |
原 |
うん、資金を出して
いま、研究を進めてもらっているんです。
1995年から5年くらいかけて
世界中をまわって‥‥
とうとう、1999年の12月に見つけたんですけどね。 |
糸井 |
どこにいたんですか。 |
原 |
イスラエル。 |
糸井 |
こんどはそんなところに。‥‥はぁ(笑)。 |
原 |
なんだか発掘してるみたいだね。 |
糸井 |
まさしく(笑)。 |
原 |
で、シリコンバレーに移り住んでもらって、
7年間、研究開発をやってもらったんですけど、
できそうなんです、もうちょっとで。 |
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糸井 |
もうちょっと? |
原 |
基礎的な第1段階は、ほぼできあがってる。 |
糸井 |
じゃ、ほんとにできるんだ? |
原 |
できる‥‥できると思う。 |
糸井 |
すごいなぁ! |
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原 |
もちろん、できない可能性だってあります。
ありますけれど、
わたしは、わたしのためにやってるから。 |
糸井 |
その動機は、強いですよね。 |
原 |
たとえば、わたしが70歳くらいになって、
英語なんか忘れちゃったとしても、
日本語さえ、ふつうにしゃべれれば‥‥。
その、ちっちゃなわたしの道具が、
わたしの話す日本語を、
英語にも、フランス語にも、ドイツ語にも、
イヌイット語にも、
リアルタイムでキレイに訳してくれるんだ。 |
糸井 |
ほんと、うれしそうに話しますね。 |
原 |
これを、世界中のみんなが持ったら?
国際会議の場でも、
「どんな言葉でしゃべってもけっこう、
この道具さえ持ってれば、
何語から何語へでも翻訳できます」と、
そういうことが、実現できるんですよ。 |
糸井 |
うん。 |
原 |
外国語を翻訳することの難しさからくる
いろんな誤解や、
コミュニケーションの難しさからくる
もどかしさを、
取り除くための技術を実現したいんです。 |
糸井 |
暮らしのなかのやりとりとはちがうから、
こころにフィットするかどうか、
さっきの言葉でいうと
「届く」かどうかはわからないけど、
限りなく近いところまでは、いくでしょうね。 |
原 |
いくと思います。
少なくとも「わかる」ところまでは。
とくに、論理的にやりあう議論なら、
かなり微妙なニュアンスまで伝えられるはず。 |
糸井 |
‥‥今まで、原さんの話をうかがってきて
おもしろいなと思うのは、
だいたい「弱い立場の武器」になる仕事を
やってらっしゃるじゃないですか。 |
原 |
ああ、そうですかね。 |
糸井 |
その「すごい翻訳機」だって、
おもに「非英語圏」の人が国際的な場に
参加するための道具でしょう。 |
原 |
今は、参加したくてもできないからね。
英語がしゃべれなければ。 |
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糸井 |
前回、お話を聞かせてくださった
最先端の映像技術の「XVD」も、
バングラデシュの「遠隔医療・遠隔教育」に
役立てるわけですよね。 |
原 |
うん。 |
糸井 |
原さんが関係しているNGO「BRAC」の
マイクロクレジットなんか、もう典型ですし、
アフリカの「スピルリナ」だって、そう。
ぜんぶ「持たざる者の武器」じゃないですか。 |
原 |
ああ、なるほど、「持たざる者」のね‥‥。
その視点は、わたしがずっと考えてきた問題に
つながってるかもしれないな。 |
糸井 |
というと? |
原 |
つまり「会社は誰のものか」って問題。 |
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糸井 |
ああ‥‥以前、
岩井克人さんの著書(『会社はだれのものか』)でも
そのことについて、対談されてましたよね。 |
原 |
もっと言うと
決して「会社は株主のものじゃない」ってこと。 |
糸井 |
うん。 |
原 |
ごぞんじのように、
今、主流なのはアメリカ型の考えかたです。 |
糸井 |
ようするに、株主資本主義ですね。 |
原 |
「会社は株主のものだ」と言ってしまうのは、
経済学の理論としても、いちばんわかりやすいし、
それゆえに「声が大きい」んです。 |
糸井 |
でも、原さんは、そうは思わないわけですね。 |
原 |
会社というものは、
人材や、テクノロジーなどの資産を用いて
思いっきり稼ぎ、
その儲けを使って従業員、社員に報いたうえで、
何らかのかたちで
社会に貢献するのが、使命だと思うんです。 |
糸井 |
それを「誰のものか」ということで言うと? |
原 |
そこではたらく従業員のものでもあり、
お客さんのものでもあり、
取引先や仕入先のものでもあり、
それが属する地域社会のものでもある。 |
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糸井 |
なるほど、多層なんですね。 |
原 |
そして、それらとまったく同列に、
という意味でなら、
長期的に株式を持ち続けてくれる
株主のもので「も」あると、言えるでしょう。
<続きます!>
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