糸井 | 原さんが子どものころに 転校をくり返してたっていうのは、 はじめて聞きました。 |
原 | ああ、そうですか(笑)。 |
糸井 | 小学校と中学校のあいだに6回も。 |
原 | うん。学校の名前、ぜんぶ言えますよ。 |
糸井 | そうですか(笑)。 しかし、それはまさに、 「いま思うといい経験」かもしれないけど、 けっこうキツかったんでしょうね。 |
原 | そりゃもう、イヤでしたよ。 とくに新しい学校にはじめていく日っていうのは ほんとうにイヤでね。 それでも、初日はおふくろがいっしょに ついてきてくれてたから、 ここで自分がイヤな顔してると おふくろが悲しむだろうなぁ‥‥ なんてことを思いながらね。 |
糸井 | いい子ですねぇ(笑)。 |
原 | そうなの(笑)。 心のなかは、もう前日の夜から、 ああー、また挨拶しなきゃいけないな、とかね。 みんなの前に出てね、どこどこから来ました、 なんてことを言うんだ、って、 イヤな気持ちになってるんだけど、 おふくろと廊下を歩いてるときには、 「いやー、きれいな学校だなぁ」って(笑)。 |
糸井 | ははははは。 |
原 | しかも、ぼくは身体が大きかったからね、 目立つんですよ。 だから、その、かならず、 やんちゃ坊主たちのターゲットになるんです。 |
糸井 | あー、最初にシメとこう、って。 |
原 | そうそうそう。 それでね、こっちは、何回も転校してるから、 まぁ、そういう意味では、慣れてるんですね。 |
糸井 | はい(笑)。 |
原 | で、もう、そうなっちゃうのは しょうがないってわかってるんだけど、 いちおう言うわけです。 オレは、ケンカなんかしたくない、と。 でも、あんたたちはしたいんだろ? だったら、誰がいちばん強いんだ? いちばんの親分が出てきてよ、って。 というのは、親分と最初にやらないと、 下っ端たちと何回もやらなきゃなんないから。 |
糸井 | ああ(笑)。 |
原 | そういうこともね、 自分の経験のなかで覚えていくわけ。 で、やるとなったら、一回やれば終わるんですよ。 ぼくはその、体力があったからね。 |
糸井 | そうか、基本の身体能力がずば抜けてるから。 |
原 | そうそう(笑)。 それはやっぱり、少しはね、 2、3発は殴られることはあったにしても、 でも、体力には自信があったから、 素手でケンカするっていうことには、 小さいころから慣れてましたし、 やるとなったら、まぁ、パパッと終わる。 |
糸井 | というようなことも、 6回転校しながら、まさに身につけていったんですね。 |
原 | そうですねぇ。 |
糸井 | しかし、転校のたびに、 そういう目に遭っていたということは、 そうとう目立ったんでしょうね、原さんは。 |
原 | ま、ぼくはね、非常にその、 容姿端麗で、スポーツができて、 目立ちましたから! |
一同 | (笑) |
糸井 | それはでも、野球選手になってからも 同じような部分があったでしょう。 「この目立つ新人にブツけてやろう」 くらいのことを思った人もいましたよ、きっと。 |
原 | まぁまぁまぁ、それはね、うん(笑)。 でも、そういうこともぜんぶ含めてね、 いい経験にするっていうことが とっても大事なような気がしますね。 |
糸井 | どんな経験も、大事にする。 |
原 | はい。 |
糸井 | そういえば、前に一度、 原さんにお話をうかがったときに、 野球というものに目覚めたのは、 原さんのお父さんが高校の野球部を率いて優勝して、 地元の炭鉱の町を一気に お祭り騒ぎにしてしまった (※原さんの父親、原貢さんは、1965年、 福岡県立三池工業高校の監督に就任すると、 当時無名高だったチームを 夏の甲子園初出場初優勝に導いた)という経験が すごく大きかったっておっしゃってましたよね。 それが、いまも自分のなかに活きてるって。 |
原 | あ、そうですね。 だから、やっぱり、ぜんぶ活きてますねぇ。 |
糸井 | お父さんが優勝して地元を盛り上げたことも、 6回転校して、そのたびに目をつけられたことも、 高校2年で全日本チームに入ったことも、 巨人の四番を長く打ったことも。 |
原 | はい、ぜんぶ。 |
(続きます) |
2013-04-09-TUE |