プロ野球選手の孤独。  ──原辰徳の考えるチームプレー。
第1回 大人になった野球選手たち。


糸井 WBCというのは、
チームを率いる監督にとっても
特別なステージですよね。
そうですね。4年前のWBCで、
ぼくも監督として日本代表というのを
はじめて味わいましたけど、
やっぱり、独特なものがありました。
糸井 いろんな思いがあると思うんですが、
なにがいちばん先に立つんですか。
「負けちゃいけない」という思いなのか、
「勝ちたい」なのか‥‥。
うーん、「勝つ」「負ける」ということは、
あんまり考えなかったですね。
糸井 あら。
もちろん、勝つことが目的であることは、
もう、間違いないわけです。
そういう意味でいえば、「勝つ」という以外ない。
「負ける」なんていうのは、
頭の片隅にもなかったから、
そういうふうに言えるんですね。
糸井 なるほど(笑)。
「勝つ」以外にないわけだから、
「勝つ」、「負ける」ということは考えない。
そうです、そうです。
しかし、その、「戦いざま」というものに対しては
気をつかいましたかね。
糸井 「戦いざま」。
生き様の「ざま」ですね。
そうですね。
戦う、道のり、といいますか。
大会がスタートしたら、
そのあとの筋書きがどうなるかというのは、
これはもう、誰にもわからない。
糸井 はい。
ですから、思ったのは、
「27のアウトを取る」こと。
あるいは、「27のアウトを取られる」こと。
というなかで、どうやって進めていくか。
糸井 はーー。
その、アウトの取り方と、アウトの取られ方においては
やっぱり、きちんと理にかなった、率の高い方法で、
進めていかなくてはならないと、
そういうプレッシャーはすごくあったと思いますね。
糸井 その、経験したこともないような、
空中でもがいているようなプレッシャーの中で、
監督として、支えになっていたものって、
なにかありますか。
それは、まぁ、あの、
ぼくは高校、大学と、野球をずっとやってこられたこと。
そして、ジャイアンツという球団で、四番として、
まがりなりにも長い年数、戦うことができた。
それから思えば、こんなことは、
なんというかな、まだラクだと。
糸井 ああーー、そうですか。
選手としてグラウンドに立ち続けてきたことのほうが
よっぽどキツかったってことですね。
やっぱり、そこの礎(いしずえ)は大きいです。
まぁ、こういう言い方が
いいかどうかわからないですけど、
それに比べたら、って感じですね。
糸井 そうかぁ。
だから「そのことを思えば」みたいな気持ちになると、
たいていのことには、ニコっとしながら向かえますね。
糸井 実際に経験した、数々のキツいことが
いまの自分をつくってるっていう。
ですね。
たとえば、高校の3年間とか、大学の4年間。
‥‥やっぱり高校ですね、
大学の4年よりも高校の3年間。
ただ、その、やってる最中はね、
「プロ野球選手になりたい」という、
夢に向かってやってるから、なんてことはないんです。
あとで思うと、あれが支えになっているという感じです。
糸井 なるほど、なるほど。
あとは、ジャイアンツというチームの
四番を打っていたという経験ですね。
我々のころは1シーズンが130試合でした。
そのなかで、1試合、1試合、打席に立つ。
キツい試合のあと、寝て、
朝、目が覚めて、「また試合だ‥‥」と思う。
しかし、それは、ぼくが自分で
「四番を打ちたい」と望んでやってきたことですから、
それを思うと、やれるんです。
しかし、あとで思うと、なかなかね(笑)。
糸井 すごいことなんですねぇ、
ジャイアンツで四番を打つというのは。
「そのことを思えば」、
たいていのことは笑顔で立ち向かえる。
はい。
「そのことを思えば」っていうものが
あるかないか、ということは、
その人にとって、とても大切なことだと思いますね。
糸井 原さんのなかには、それがあるんですね。
さっき出た、転校の話もそうですけど、
選手としても、晩年、ケガがあったりとか、
原さんはたくさんのハンデを黙って背負っていて、
それがすべて、のちの自分に活きているというか。
はい。そのとおりですね。
糸井 過去が蓄積されたのがいまの自分ですよね。
そうすると、やっぱり、
いろんな面を経験した人ほど強さは出ますね。
そうですね。
だから、いろんなことを経験して、
それを支えにするというか、
それを「いい経験」にしないといけませんよね。
だから、あの、自分が経験したことを
悪く言う人っているじゃないですか。
糸井 うん、うん。
なんでそんなふうに言うのかな、って思いますね。
だって、悪いことだって、いいことですよね。
糸井 ほんとうにそうですねぇ。
ねぇ。
(続きます)

2013-04-08-MON