糸井 | 一昨年も宮崎に来ましたけれど、 今年はほんとにあったかいですね。 |
原 | ぽっかぽかですよ。 昨日なんか、選手たち、半袖だったですから。 |
糸井 | あー、そうですか。 |
原 | (二次キャンプの)沖縄は来られないんですか。 |
糸井 | いまのところ予定はないんですけど、 昔のぼくなら行ってましたね(笑)。 |
原 | 沖縄キャンプは、 今回、ほぼゲーム形式でやります。 |
糸井 | もう実戦形式ですか。 なんだか、例年、キャンプの仕上がりって 早くなってますよね。 |
原 | そうですね。 我々の頃はもう、どちらかというと、 徐々に仕上げて行って開幕に合わせる、 っていう感じだったですから。 いまの選手たちはもう、 スタートラインがこの時期です。 |
糸井 | そう、そのへんのお話は 今日うかがいたかったことのひとつなんですけど、 2月のこの時期に選手たちが スタートラインに立てているということは、 オフにしっかりトレーニングを していたということですよね。 そのあたりの自覚というか、動機というか、 いまの選手たちはレベルが高いなと思うんですけど。 |
原 | うーん、そう思いますね。 |
糸井 | いつごろからこうなったんでしょう? |
原 | 我々の時代と違うのは、 まず、「ポストシーズン」という区切りが 制度としてしっかりしているということですね。 我々のころは、1月7日、8日、というあたりから 「自主トレ」という名のもとに、 多摩川でふつうにチームとしての練習が はじまっていたんですよ。 |
糸井 | 「自主トレ」という名のもとに(笑)。 |
原 | はい(笑)。 それが、12月1日から翌年の1月いっぱいまでは、 コーチは指導してはいけない、という規約ができて、 「ポストシーズン」というものが確立された。 (※1988年『日本プロフェッショナル野球協約』に 以下の項目が定められた。 第173条:球団または選手は、 毎年12月1日から翌年1月31日までの期間においては、 いかなる野球試合または合同練習あるいは 野球指導も行なうことはできない。 ただし、コミッショナーが 特に許可した場合はこの限りでない。) |
糸井 | はっきりと決まりが変わったんですね。 |
原 | そうなんです。 |
糸井 | つまり、その期間は、 個人でトレーニングせざるをえないから、 選手はオフをどう過ごすかということと しっかり向き合うようになった。 |
原 | それと同時に大きいのは、やはりアメリカ、 メジャーリーグというものが非常に身近になった。 |
糸井 | ああー。 |
原 | そこで、夢が底上げされたというか、 自分のポテンシャルというものを 非常に追求する選手が多くなったんですね。 それまでは、野球選手の最高到達点というのは、 日本のプロ野球チームのなかでエース、 あるいは四番バッターというような位置だったものが、 もっともっと力をつけて、メジャーリーガーだとか、 あるいは日本代表チームに入るというふうに、 非常に、こう、世界が広がったわけです。 |
糸井 | そうなると、そこへ向けてのオフの過ごし方とか、 自覚も変わってくる。 |
原 | はい。 そのうえ、トレーニングの方法も進化してますし、 非常に勉強しやすい環境ができているということが 我々の時代とは大きく違うところですね。 |
糸井 | そうか、国際化が根っこにあるんですね。 しかも、ひとりでやる環境が整ってる。 |
原 | そうですね。 インストラクターであるとか、コーチも含めて、 非常にわかりやすく説明してくださる方が多く、 自分がドアをトントンとノックすれば、 開けてくれる人は多いですよね。 |
糸井 | たしかに、昔は、野球自体はにぎわってましたけど、 なにかを教えてくれる専門の人は少なかったですよね。 評判の接骨院があるくらいで(笑)。 |
原 | そうですね。 あとは、こう、仙人みたいな人がいたり(笑)。 |
糸井 | ああ、神秘的な治療をほどこしてみたり‥‥。 |
原 | よくわからないんだけど、 独特のトレーニングの方法を教えてくれたりとか、 そういう感じだったと思いますね。 |
糸井 | それが、ちゃんと言語にされてきたというか、 ここまでは説明できるっていう範囲が どんどん広がってきましたよね。 |
原 | はい。ですから、もう、選手達は、 近年、野球博士であり、 トレーニング博士であり、 なかには、栄養博士だったり、 あるいは、医療博士に近いようなね、 そのぐらいやっぱり勉強してきている。 |
糸井 | 選手自身がそういう専門家になってきたわけですね。 それって、たぶんここ10年、20年の進化ですよね。 |
原 | そう思いますね。 |
糸井 | 原さんの時代は、例えば、 水飲んじゃいけないだとかっていうのは、 もうなかったですか。 |
原 | 我々の世代は、そうでしたね。 ただし、ぼくのアマチュア時代の指導者というのは うちの父だったんですけど、 (※東海大相模高校、東海大学ともに、 野球部の監督は父親の原貢さんが務めた) 父の教えとしては、水は飲みなさいと。 |
糸井 | あ、そうだったんですか。 |
原 | ただし、いまのようにサプリメントが入ってるとか、 そういういい水ではなくて、 ヤカンに氷が入っているだけの水ですね。 下級生は氷の入ってない水。 そして、横に盛り塩がありまして、 その塩をちょっと舐めなさいと。 |
糸井 | へーー。それは、ずいぶん、先進的な。 |
原 | いまにして思えばそうですね。 また、当時の指導法としては、 選手が肩を壊すということで 「水泳は御法度」という時代でもありました。 しかし、うちの父親の指導は、 水泳、どんどんしなさい、と。 水泳して肩が壊れるぐらいだったら、 野球やったらすぐ壊れちゃうよっていう、ね。 |
糸井 | なるほど。 |
原 | また、ウェイトトレーニングも、当時は、 筋肉をつけ過ぎるとよくないということで、 禁じているところが多かったんですけども、 我々はベンチプレスを挙げてました。 ある重さを、30回挙げなければ、もう、 レギュラーとしてつかってもらえないということで、 みんなで挙げてましたね。 しかし、いま言ったその3点というのは、 自分の父親のことではありますけれども、 いま思うと、まぁまぁ正しいんじゃないかと。 |
糸井 | いや、お見事です。 |
原 | ええ、正しい指導だったんだなぁと。 当時の教え子たちは、みんなそれ言ってますね。 |
糸井 | まさにその逆のことが常識だった時代ですもんね。 それは、お父さんはどこで学んだというか、 身につけたんでしょう? |
原 | たぶん、学んだというよりも、感覚的なものでしょう。 |
糸井 | 直感なんですかね。 |
原 | たぶんそうだったと思いますね。 そのへんはよく訊いたことはないんですけども。 |
糸井 | まぁ、しかし、自分の指導者が そういう近代的な考えを持っていればいいですけど、 多くの場合はそうじゃなかったわけで、 いずれにせよ、以前の野球選手たちは、 監督だったり、コーチだったり、 上の人たちに従っていたわけですよね。 それが、いまの人たちは、明らかにスイッチしていて、 自分で自分のパフォーマンスを上げようとしている。 |
原 | そうですね。 そういう意味では、我々の世代よりも、 あきらかに勉強しているというか、 はるかに大人だという気はしますね。 |
糸井 | うん、うん。 |
(続きます) |
2013-04-03-WED |