糸井 | すれっからしな部分というのは、 おとなだから正直に言って、 僕だって絶対持ってるわけで。 そういう意味でこの映画を語ったら、 チャン・イーモウ監督が この子(チャン・ツィイー)に 目をつけたときの映画、ですからね。 |
吉本 | たしかに(笑)。 |
糸井 | コン・リーと事実上結婚していながら、 この若い女の子が出てきたわけですよ。 で、この子に目がいってしまうという 自分を表現してるんですよ。 さらに、すごくすれっからしに言えば。 で、あの雪国とか、山の緑と白と茶と、 その景色のなかに、このピンクを置いちゃったら、 もう欲情せざるを得ないじゃないですか。 で、衣装の設定とか、色彩の設定から、 俺はこの子が好きだぁって、 もうたまらなく表現されてるわけですよ。 それって、そこまでしちゃうと、 ついてっちゃうよね。 もうチャン・イーモウってさ、 いかついおじさんで、 前々からどろどろした映画つくってますよね。 それが、好きな女の子がこの子になって、 一緒に描く絵がこれだ、っていう。 |
吉本 | わかる、わかる。私も、 これかぁって思った。 |
糸井 | でしょ。で、一々自分のなかのそういう成分を、 自分なりにぽんぽん、ぽんぽん叩いて、 浮かび上がらせては 表現に持ってってるっていう。 ‥‥好き、それが(笑)。 |
吉本 | いや、ほんとにチャン・イーモウの この女の子に対する愛がものすごくって。 |
糸井 | すっごい。 |
吉本 | だから一つ一つのこの子の動作は、 すべて彼の愛ですよね。 |
糸井 | 愛ですよねえ。 この子がどう見えたらいいだろう、 っていうことをチャン・イーモウは考えていて。 で、やっぱりおとなだから、 狡いところっていうか、 おとなは骨の部分というのは 絶対に失っちゃいけなくて、 ぐずぐずになったら、 俺がただ好きで撮ってると 思われちゃうぞっていう緊張感があるわけで。 文化大革命を、一本、筋にして、 僻地に来た若者が呼び戻されてというのと、 教育っていうものの持っている 意味みたいなものを ものすごく強く出していて。 恋愛映画じゃない筋を ちゃんと一本立ててるじゃないですか。 |
吉本 | それがないとただの やわやわなものですからねえ。 |
糸井 | 逆光で見るお猿の男女の話になっちゃうのを、 なんかそう思われたら困るんだっていう緊張感で、 どっちも成り立たせちゃった っていう気がするんですよ。 チャン・ツィイーって、 「この平野のなかのこの子」っていうふうに、 僕のなかには残ってますね。 |
吉本 | チャン・ツィイーって、 えーっと思うような変貌を遂げていった 女優さんの一人ですよね。 |
糸井 | そうですねえ。 これがデビュー作で、 後に活劇やってますからね、すぐに。 |
吉本 | でも、この可愛らしさはこの年じゃないと、 もう絶対に来ない。 ほんとに僅かなあいだだけのものなんですね。 |
糸井 | もうちょっと成熟しちゃうと、 走るシーンが似合わなくなるんですよ。 |
吉本 | うん。 |
糸井 | アメリカ映画の人たちが走るときって、 筋肉のバランスで走るじゃないですか。 かっかっかっと音のする、 サンドラ・ブロックが走るとかね、 それは男と拮抗する走りですよね。 でもこの子がもうちょっと年とってから走ると、 活劇に行くしかないんだけど、 いい具合に成熟一歩手前みたいなところで、 走りがエロチシズムになんないんですよね。 |
吉本 | ひたむきさが前面に出て。 |
糸井 | あと、わりとふわっとした服を 寒いから着てくれてるんで そのへんも良かったですね。 |
吉本 | そうですね。 |
糸井 | ボディ・コンシャスは困りますよね。 |
吉本 | コン・リーみたくね(笑)。 だからほんとの一瞬の魅力を 凝縮させて出したなっていう。 |
糸井 | 出してますねえ。 |
吉本 | この人が出したわけじゃなくて、 チャン・イーモウが出したんですけど。 |
糸井 | お膳立てというのが微妙に、 二度目観てあらためて すごいなと思ったんだけど、 チャン・イーモウが、 自分が惚れられたいわけで、 その役をさせるあの先生が、 中国人にとっては魅力的な人なのか どうか知りませんけど、 すごく二枚目じゃないんですよ、 刈り上げの。 あいつだったら俺のほうが良くないかっていう。 |
吉本 | ごく普通の人ですよね。 |
糸井 | あの立て方も見事じゃない? あれをキムタクがやってたら、 「なんだよー!」って。 |
吉本 | 上手ですよね。 |
糸井 | 上手。で、あの人から、 「この子を僕も好きだよ」っていう表現も、 ものすごく上手ですよね。 抱いたりしないじゃないですか。 で、いちばん激しい愛の表現が、 簪みたいなピンをくれたことと、 帰ってきてくれたこと、この2つですよね。 そこも上手ですよね。 日本の映画なんかで、 今テレビでやってたら、 もう抱きしめて2時間みたいな、 で、とうとう何もしませんでした、 みたいな、そういう話にしちゃうよね。 距離も、北京かなんかから来るわけでしょ。 あの山奥に。 おばあさんがさ、結婚には反対なのにさ、 お茶わんを直してあげるじゃない? ‥‥あ、泣きそうですね。 |
吉本 | そう。ほんとにそう。 それでお弁当持って、 その置き方が微妙なんですよね。 |
糸井 | 小さい女の子の狡さもちょっと出して。 |
吉本 | ほんと可愛らしくしてあるのね。 それからご飯のつくり方のあの湯気とかね。 |
糸井 | うまいねえ。だから退屈な時間がなかったね。 良かった。で、あのお父さん、お母さんが、 昔の話ですよってしたお蔭で、 表現がしやすくなったことがいっぱいあって、 そんなのないでしょうっていうところを、 昔話だからっていうことで、 ファンタジーをつくりやすかったんですね。 陽炎ゆらゆら、みたいに見せてるところも全部、 これは昔話で、私はそれを想像したんですよっていう 仕掛けになってるんで。 |
吉本 | できるんですね。 |
糸井 | できるんですよね。このやり方は、 その後のいろんな小説が 幽霊を出したりなんかしたことと近くて、 とってもいい話のつくりですね。 |
吉本 | そういうふうに表現できるっていうか、 きついところがなくね。 |
糸井 | そうですね。 (つづきます!) |