第3回 たまらないプライベートの時間。

糸井 この映画を、きょうに合わせて
2、3日前に観たんですよ。
で、散歩でぶらぶらしてると、
ふっと思ったんだけど、
冬が近づいてくると、町から色が消えるんです。
花も、いくらも咲いてたんですよ、
夏やら春やらは。
だけど冬が近くなると、
どんどんなくなって、
赤い色とかピンクの色が
ほんとにありがたくなるんですね。
目にね、呼吸がらくになるくらい
ピンクの色が素敵に見えるんですよ。
その艶やかさというか、
花は何の意味もないんだけど、
お前がいてよかったなあっていう、
小っちゃい雑草みたいなものがあるんですよ。
で、この色なんですよォ。
貧しい村にね、人類の知恵として
来たんじゃないかっていうぐらいの色なんですよね。

吉本 やっぱり中国の奥地っていうか、
あすこらへんのルポみたいなのがありますよね。
すると驚く。
え? 何でこんなお洒落な色に
組み合わせしてるのとか。
糸井 ほんとだね。
吉本 あれすごいなあと思っちゃう。
糸井 そうだねえ。ああいうものが全娯楽に、
天秤ばかりでかけられるほど
大きな要素なんだろうね。
きれいなんだよなあ。
吉本 それでその布地は自分たちで織ったりしてて、
どうしてこんな色ができるんだろう、
と思うくらいな色を、
普通におばあさんとかが織ってるんですよね。
だから不思議だなあと思っちゃって。
他が何もないから、
やっぱり色がすごく大事なことなんだなあ
っていうふうに思ったんですけどね。

糸井 どっちかっていうと、
鮮やかさのない日常があって、
そこに楽しみとして何をするかっていったら、
結局顔の表情だとか、服の色だとか、
そういうことなんだろうねえ。
この前にさ、『あの子を探して』
っていう映画をつくってて、
そこでつくった方法論が
このなかに生きたんじゃないかな。
あっちの主人公の女の子は、
もっとチャン・イーモウ好みの強さがあって、
「やなものはやだ」っていう、
ある種の近代性があったりするんだけど、
こっちの子はもっとふわふわとしてる。
吉本 ほんとに山奥の、まあ時代も昔だし、
まったく世間と隔絶して生きている。
糸井 だから時代をずらしたところで
できたことだよね、やっぱりね。
吉本 現代として撮ると、
嘘でしょう、みたいになっちゃうから。
糸井 僕は、このあとで『あの子を探して』を観たんで、
あっちも良かったな。違う味だけどね。
吉本 そうですね。
糸井 つい自分のなかに持っている、
チャン・イーモウが叩き出してつくったみたいな
いいものが浮かび上がってくるよね。
もうつくれないかもしれないね、
こういうものはね。
吉本 こういうのはもう絶対、
あのおじさんはだめだと思います(笑)。
糸井 そうですねえ。やっぱりここをこう触ると、
人はこういうふうに喜ぶぞ、みたいなのを、
ほんとにわかりきっちゃって、
大ぜいを動かす方法がわかっちゃった。
これは少ない人数の‥‥。
吉本 ものすごくプライベートな方向に
向かってやってるっていうか、
自分の宝物みたいな感じでつくった感じが
するんですけどね。
糸井 そういうことってきっとあるんでしょうね。
作品をつくってる人にはね。
だから何だろう、配慮とか、事情とかって、
やっぱりだめだよね。
いやらしいもんね、この映画のほうがずっとね。
吉本 やっぱり本能じゃなくちゃ(笑)。

糸井 本能だもんね。
もう撮影の合間とかどうしてたんだろう。
吉本 けっこうあっと言う間に撮れちゃったのかなあ、
みたいな気がするんですよね。
ロケハンも十全にしてあったような気がする。
糸井 ああ。
吉本 私、やっぱり学校の風景とか、走る丘とか。
糸井 こう下りてきて、とかね。
吉本 あれはもうロケハン十全ていう感じがするのね。
カメラの走り方と、あの子の走り方とね。
糸井 ジグザグに下りてくるのと、縦に下りるのと。
それって『あの子を探して』とかで
練習してるよね(笑)。
この子に息を切らせるのを、
ずっと追ってる自分というのは、
たまらないプライベートの時間だよね。
吉本 もう恍惚としてたんじゃないでしょうか。
糸井 そうだろうなあ。
吉本 最初は、そんな乙女チックな感じがしたんですよね。
でもやっぱりどんどん締めつけられてきて。
糸井 チャン・イーモウのつくり手としての
面白い部分を想像しての話っていうのは、
いくらでもできちゃうんだけど、
やっぱり表現のなかに、お母さんとか、
あるいはお父さんの教育に対する熱情だとか、
そういうところでも僕は何度も泣いた。
これはお父さんがつくった教科書だよ、
っていうのもあったじゃない?
ものを覚えたり、知識や知恵やらを
積み上げていくことっていうのは、
ある時代にとってものすごく大きいことで、
貧しさから抜け出る方法としてあれがあるんだよ、
みたいな。チャン・イーモウって
どういう育ち方したんだか知らないけど、
本気ですよね。
吉本 チャン・イーモウって、
毛沢東の下放に遭って、
ずっと田舎にいたんですよね。
ほんとに貧しい農村に暮らしてて、
もともとは西安かなんかの
基本的にはお金持ちの息子だったんですけども、
貧しい生活を余儀なくしたっていう人なんです。

糸井 はあぁ。
豊かさもある程度知ってる人が、
そこで貧しさを見たんだ。
そこをつなぐ何かに自分がなったんだ。
なるほどなあ。
吉本 だからここのお父さんと
お母さんの生活っていうのは、
もしかしたら自分がやられて、
そこで仮の親に育てられた人たちへの
メッセージだったかもしれない。
糸井 そうですねえ。

(つづきます!)



2008-02-22-FRI

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN