糸井 | この映画を、きょうに合わせて 2、3日前に観たんですよ。 で、散歩でぶらぶらしてると、 ふっと思ったんだけど、 冬が近づいてくると、町から色が消えるんです。 花も、いくらも咲いてたんですよ、 夏やら春やらは。 だけど冬が近くなると、 どんどんなくなって、 赤い色とかピンクの色が ほんとにありがたくなるんですね。 目にね、呼吸がらくになるくらい ピンクの色が素敵に見えるんですよ。 その艶やかさというか、 花は何の意味もないんだけど、 お前がいてよかったなあっていう、 小っちゃい雑草みたいなものがあるんですよ。 で、この色なんですよォ。 貧しい村にね、人類の知恵として 来たんじゃないかっていうぐらいの色なんですよね。 |
吉本 | やっぱり中国の奥地っていうか、 あすこらへんのルポみたいなのがありますよね。 すると驚く。 え? 何でこんなお洒落な色に 組み合わせしてるのとか。 |
糸井 | ほんとだね。 |
吉本 | あれすごいなあと思っちゃう。 |
糸井 | そうだねえ。ああいうものが全娯楽に、 天秤ばかりでかけられるほど 大きな要素なんだろうね。 きれいなんだよなあ。 |
吉本 | それでその布地は自分たちで織ったりしてて、 どうしてこんな色ができるんだろう、 と思うくらいな色を、 普通におばあさんとかが織ってるんですよね。 だから不思議だなあと思っちゃって。 他が何もないから、 やっぱり色がすごく大事なことなんだなあ っていうふうに思ったんですけどね。 |
糸井 | どっちかっていうと、 鮮やかさのない日常があって、 そこに楽しみとして何をするかっていったら、 結局顔の表情だとか、服の色だとか、 そういうことなんだろうねえ。 この前にさ、『あの子を探して』 っていう映画をつくってて、 そこでつくった方法論が このなかに生きたんじゃないかな。 あっちの主人公の女の子は、 もっとチャン・イーモウ好みの強さがあって、 「やなものはやだ」っていう、 ある種の近代性があったりするんだけど、 こっちの子はもっとふわふわとしてる。 |
吉本 | ほんとに山奥の、まあ時代も昔だし、 まったく世間と隔絶して生きている。 |
糸井 | だから時代をずらしたところで できたことだよね、やっぱりね。 |
吉本 | 現代として撮ると、 嘘でしょう、みたいになっちゃうから。 |
糸井 | 僕は、このあとで『あの子を探して』を観たんで、 あっちも良かったな。違う味だけどね。 |
吉本 | そうですね。 |
糸井 | つい自分のなかに持っている、 チャン・イーモウが叩き出してつくったみたいな いいものが浮かび上がってくるよね。 もうつくれないかもしれないね、 こういうものはね。 |
吉本 | こういうのはもう絶対、 あのおじさんはだめだと思います(笑)。 |
糸井 | そうですねえ。やっぱりここをこう触ると、 人はこういうふうに喜ぶぞ、みたいなのを、 ほんとにわかりきっちゃって、 大ぜいを動かす方法がわかっちゃった。 これは少ない人数の‥‥。 |
吉本 | ものすごくプライベートな方向に 向かってやってるっていうか、 自分の宝物みたいな感じでつくった感じが するんですけどね。 |
糸井 | そういうことってきっとあるんでしょうね。 作品をつくってる人にはね。 だから何だろう、配慮とか、事情とかって、 やっぱりだめだよね。 いやらしいもんね、この映画のほうがずっとね。 |
吉本 | やっぱり本能じゃなくちゃ(笑)。 |
糸井 | 本能だもんね。 もう撮影の合間とかどうしてたんだろう。 |
吉本 | けっこうあっと言う間に撮れちゃったのかなあ、 みたいな気がするんですよね。 ロケハンも十全にしてあったような気がする。 |
糸井 | ああ。 |
吉本 | 私、やっぱり学校の風景とか、走る丘とか。 |
糸井 | こう下りてきて、とかね。 |
吉本 | あれはもうロケハン十全ていう感じがするのね。 カメラの走り方と、あの子の走り方とね。 |
糸井 | ジグザグに下りてくるのと、縦に下りるのと。 それって『あの子を探して』とかで 練習してるよね(笑)。 この子に息を切らせるのを、 ずっと追ってる自分というのは、 たまらないプライベートの時間だよね。 |
吉本 | もう恍惚としてたんじゃないでしょうか。 |
糸井 | そうだろうなあ。 |
吉本 | 最初は、そんな乙女チックな感じがしたんですよね。 でもやっぱりどんどん締めつけられてきて。 |
糸井 | チャン・イーモウのつくり手としての 面白い部分を想像しての話っていうのは、 いくらでもできちゃうんだけど、 やっぱり表現のなかに、お母さんとか、 あるいはお父さんの教育に対する熱情だとか、 そういうところでも僕は何度も泣いた。 これはお父さんがつくった教科書だよ、 っていうのもあったじゃない? ものを覚えたり、知識や知恵やらを 積み上げていくことっていうのは、 ある時代にとってものすごく大きいことで、 貧しさから抜け出る方法としてあれがあるんだよ、 みたいな。チャン・イーモウって どういう育ち方したんだか知らないけど、 本気ですよね。 |
吉本 | チャン・イーモウって、 毛沢東の下放に遭って、 ずっと田舎にいたんですよね。 ほんとに貧しい農村に暮らしてて、 もともとは西安かなんかの 基本的にはお金持ちの息子だったんですけども、 貧しい生活を余儀なくしたっていう人なんです。 |
糸井 | はあぁ。 豊かさもある程度知ってる人が、 そこで貧しさを見たんだ。 そこをつなぐ何かに自分がなったんだ。 なるほどなあ。 |
吉本 | だからここのお父さんと お母さんの生活っていうのは、 もしかしたら自分がやられて、 そこで仮の親に育てられた人たちへの メッセージだったかもしれない。 |
糸井 | そうですねえ。 (つづきます!) |