糸井 | 1980年だったか81年だったかな、 中国は、名目があれば 観光客が入れるっていう時代になったんですよ。 で、さっそく、冬に、 団体旅行で行ったんだけど、 今よりものすごく、もっと貧しかった。 町を自由に歩くとかっていうのも やりにくいくらいだったんだけど、 それなりに自由に歩いてて、 わあ、道に迷ったかなあみたいな路地のところに、 駄菓子屋があったんですよ。 そこで道を訊こうと思って、 中国語はよくわかんないけども店に入ったら、 そこのおばさんが、 寒いからお湯をあげるって、 魔法瓶のお湯をみんなに、 7、8人でいたんですけど、くれるんです。 でもちゃんとした湯呑みっていうのは 3つぐらいしかないんですよ。 あとはひび割れてたり、欠けてたりで、 いちばんすごいのは、 絆創膏でつないでるんですよ。 それでお湯をもらうんだけど、 温かくてありがたいんだけど、 ぽたぽた、ぽたぽた落ちるわけ。 そんときに、なんとも言えない気持ちになって。 ぽたぽた落ちる湯呑みでもらってるお湯に、 ありがたいやら、いろんなことを感じて。 その思い出がこの映画の中に、 僕、入っちゃうんですよ。 つないだ食器のなかにね。 あれは何と言ったらいいんですかねえ。 よく言われる貧しさと豊かさの話っていうのが、 遠く深いものになっていて、 汚しをかけてないんですよね。 貧しさって、汚しをかけるんですよ、 下手なドラマだと。 顔まで汚れてるんですよね。 みんなぼろぼろの服着せて、汚すでしょう。 あんなものはないんですよ。 ここでも、あのくらい食えてるし、 そこがリアルですね。 |
吉本 | ちゃんと美味しいお料理つくってね。 |
糸井 | そうなんですよね。 |
吉本 | お布団畳んでね。 |
糸井 | そうなんですよね。そこなんだよ。 |
吉本 | 小っちゃな部屋のなかに入ったときに、 きちんとした、整然と暮らしてますという、 気持ちがいいっていうか、 心地よいものがあるんですね。 そういうところがちゃんと伝わってきて、 良かったなあと思う。 |
糸井 | それはやっぱり監督が田舎に 暮らしたことがあるっていうことが 重要かもしれないですね。 これを観たあとで、僕、 『大地の子』とか観てるんですけど、 戦乱とかを描きたいから、 もうちょっと汚すんですよね。 |
吉本 | ほんと茶色でしたよね。 |
糸井 | そうですね。まあ時代も違うんですけどね。 でもここの、粗末だけれども丁寧っていう、 その感じの表現というのは これからもっと観たいですね。 それこそインドネシアへ行って、 お土産で蚊取り線香置きとか買ってくると、 こっちの値段にすれば安いけど、 向こうにしてみれば十分高くて、 どっちにも通じるきれいさがあったりするっていう、 あのあたりの、金額じゃない貿易が、 文化的にいっぱいできてる感じしますね、 この映画のなかでね。 それから最後の、 旗も自分で織ってるじゃなですか。 「買えばいいじゃん」て言うじゃない、息子が。 そうするとお母さんが、それはだめだと、 徹夜して織ってますね。あれいいよねえ。 |
吉本 | なんか生活に潤いがあるっていうか、 深みがあるっていうかね。 そういうのでとっても面白い映画だなあと思って。 それで、カボチャが並んでるんですけど。 |
糸井 | ああ、いいねえ。 |
吉本 | これなんて、みんなお洒落にやってるようなものが、 生活としてあるんですよね。 |
糸井 | 色目として置いてますよね。 日本でも、干し柿を干してる風景なんて、 あれ絶対暖簾ですよね。 ああいう色のものが下がってるっていうのを、 干してる人たちがある嬉しさをもって たぶん干してると思うんだ。 |
吉本 | 絶対に、見たところのかたちで干してますよ。 じゃないとあんなきちんと、 簾のようにきちんとはしないでしょう。 |
糸井 | しないですよね。 |
吉本 | 大根だってそうですよね。 |
糸井 | そうですよね。ああいうところで、 どっかでカッコよかったり、 美しかったりするというセンスを、 実用のなかに溶かし込んでるというのが、 買えるようになっちゃうとなくなるなあ。 |
吉本 | そうねえ。 これを観たすぐあとに、 中国に旅行があったんですね。 それで山間をずーっとバスで行くんですけど、 そのなかの一つで、 山壁に穴を掘って住んでいらっしゃる方々が 同じなんですよ、お家のなかが。 |
糸井 | はあぁ。家の建具、様式だけが違うんだ。 |
吉本 | 山間の壁面を掘って。 でもこういう表玄関なんですね。 それでずーっと山道を行ってたら お家があったんでびっくりして、 聞きに行ったんです。 そしたらおじいちゃんとおばあちゃんが いたんですけども、 見ていいって言ってなかに入れてくれて。 もうほんとに同じ。清潔なんですよ。 洞穴生活なんだけど、 きちんとベッドっていうか、 お布団を置く場所があって、 空気取り、明かり取りもちゃんとあるし、 あとお台所はこういう土間に、 バケツなんですけど、 きちんとお箸とかなんとかが 並べてあるんですよね。 |
糸井 | うーん。 |
吉本 | なんか頭が下がるっていう感じかしら。 |
糸井 | 何だろう。他人の仕事を おカネで手に入られるっていう良さは もちろんあるんだけど、 そうじゃない何かを鍛えたくなりますね。 鍛えるしかないですよね、もう今になっちゃね。 僕は、年とるごとに、だんだんと、 誰でもできるけど、根気の要ることっていうのに どんどん興味がわいてくるんですよ。 そのうちの一つは、豆を煮るっていうことです。 これは絶対誰でもできるんですね。 一生懸命やればいいだけだから。 時間がかかるのと、丁寧にやんなきゃならない。 で、誰でもできるから料理として は腕が要らないんで、 自慢にならないんですよ。 ただ一生懸命やると 必ずできるっていうことを、 ある程度ついてて、 ストーブにのせてみたりしながら、 面倒見てるっていう時間が ものすごく好きなんですよ。 俺でなきゃだめだとか、 俺が解決するぞ、とかということを 要請されながらみんな生きてるけど、 実は誰でもできることっていうのを 捨てすぎちゃったなあと。 それで今こういう映画をもう一回観ると、 その部分のところにもっと丁寧に 人が生きてるっていうのが じーんとくるんだよね。 最後の、車だったらすぐじゃんというのを、 お葬式の列をつくって、 ただ担いでくるっていうのは、 誰でもできるどころじゃなくて、 あれシンボルですね。 あれと布をかけるっていう。 あそこもう一回泣いたね、俺。 |
吉本 | なんかやっぱり丁寧に生きてるっていうのが 伝わってきますよね。この映画はね。 |
糸井 | 何に追われてるんだって訊きたくなるよね、 今の自分に。 それで、実はこの子は 学校に行ってないんですよね。 もうおとなになっちゃったからなんですよね、 きっと。 |
吉本 | そうですね。 |
糸井 | で、字読めないんですよね。 |
吉本 | だから先生に憧れたんだと思う。 |
糸井 | そうなんだよね。 いや、お父さんの声が好きだったっていうのは たまんない台詞だなあ。 あれは脚本書くだけの人には 思いつかないなあ、と思うな。 唄のように聞こえてたんだろうね。 |
吉本 | これはチャン・ツィーを見て、 それで脚本書いたんでしょうかね。 |
糸井 | どうなんでしょうねえ。 この子だって、 都会から連れてきたわけでしょう。きっと。 |
吉本 | 脚本があって探したって感じじゃないんですよね。 |
糸井 | じゃないですよね。 (つづきます!) |