糸井
筑摩で着々と仕事をする傍ら、
赤瀬川さんや伸坊と
おもしろく仕事をしていくわけでしょう?
松田
そうですね。
赤瀬川さんを通じて宮武外骨に出会い、
外骨を復活させようとしたりしました。
それはそれでおもしろいんですが、
飽きてくるというか、つまんないんです。
「なんでいま外骨ですか」
「外骨のどこがすばらしいんですか」って
繰り返しインタビューを受けているうちに、
もういいや、ってなってきた。
糸井
研究っておもしろくないんですよね。
(みやたけ・がいこつ 1867〜1955年)
ジャーナリスト、編集者、文化風俗研究家。
『滑稽新聞』など多くの雑誌を発行し、
風刺に富んだユニークな記事は、
明治時代、民衆の人気を博した。
松田
ほんとうにそう。
振り返っているだけじゃつまんない。
外骨の説明ばかりさせられるのは嫌だから
次に「考現学」をやろうということになったとき、
いま考現学的なことをやっちゃって、
「実は昔にもありましたよ」と言おうって
漠然と思うようになりました。
みんなで話して「路上観察」という方向になって
せっかく集まったんだからと、京都行ったり
東京歩いたり、それが本になったり。
糸井
おもしろいね。
いつも先を見てない行動が。
松田
うん。ただ
予感はあるんです。
糸井
予感はあるけど、
景色ははっきり見えているわけじゃない。
だけどこっちに歩いていこう、という気分だね。
おもしろいことをするときって
必ずそうですね。
松田
ええ。そのときにおもしろければいいんです。
糸井
同じところに停滞しているのも嫌だし、
後ろを振り返って
どれだけ研究が綿密になったか見るのも、
ぼくらは嫌いです。
うっすらとした向こうに歩いていくような
ほのあかりの世界がいちばんです。
松田
糸井さんの広告の世界もそうだと思うけど、
よく「仕掛ける」とか
言うじゃないですか。
糸井
うん。
「仕掛ける」は、ないよね、ないない。
松田
仕掛けるって、ぜんぜんないですよね。
ただ、例えば路上観察学会だったら、
本にしたらまずおもしろいと思うし、
本を作るんだったら売りたいし、という流れです。
路上観察学会という名前だから
路上で発会式やろうとか、
みんなが冗談を言うわけですよ。
学会だから学士会館がいいなぁとか。
糸井
あれは、冗談のようにみんなで
学士会館の前にいたんですよね。
1986年6月10日、路上観察学会は
東京・神田の学士会館にて発会式を行なった。
男性はモーニング着用で出席。
松田
そう。あそこで、
マスコミを呼んだんです。
みんな貸し衣装のモーニングで。
糸井
報道されたときには、
仕掛けっぽく見えたかもしれないけど、
あれは作家が文章に凝っているのと同じですよね。
モーニングという形容詞を着たり、
学士会館を副詞的に使ったり。
松田
そう。凝ったことが結果的には
売り上げにつながったり、
その後のいろんなイベントに
つながったりするんだけど、
別にいいんですよ、そこで終わっちゃっても。
そこがおもしろければいいんです。
ただし、おもしろいと、
次が必ず出てくるんですよね。
糸井
うん。コブみたいに余ったところが
次につながっていくんだ、という感じはあります。
「やり損なった」とかね。
松田
こだわることはこだわるくせに
みんな飽きっぽいから
そんなにひとつのことを
ずっとやりたいわけじゃない。
これは続いても2〜3年だろうなと思ったのが
20年、21年目になってる。
糸井
イメージは2〜3年なんですね。
松田
そうです。
みんな飽きるんだけど
集まっているとおもしろいから
冗談ばっかり言うわけ。
冗談を言っているうちに
建築史家の藤森照信さんが建築をはじめたんです。
「学者なのに、家を建てていいの?」
って、みんなが思って、
見に行ったら、すばらしいんですよ。
みんなで「いい、いい」って言った。
糸井
うん、うん。
松田
そうしたら藤森さんは、
壁に手の跡が残るようなことをやりたいのに、
職人にやらせるときれいに仕上げちゃう、
って言い出す。
じゃ、みんなで手伝おうということになって、
それが「縄文建築団」になる。
友が友を呼び、自然発生的に集まった
素人を中心とした建築集団。
松田さん、藤森照信さん、
赤瀬川原平さん、南伸坊さんが中心メンバー。
糸井
そのあたりの活動も
一貫して松田さんが
幹事役のようなものですよね。
松田
いや、一貫してはいないです。
それぞれに事務方の人がいるので。
糸井
でも、たいがい主要メンバーは
「遅れて来てアッハッハ」
という人ばっかりですよね。
松田
そう(笑)。
まあ、実務能力はあるっていうふうには
言われてます。
居酒屋さんで「生ビールでいきましょう!」って
言う程度の、しかたなくついた
実務能力かもしれませんね。
(続きます!)
2007-06-26-TUE