── | 真冬のパリの極寒の深夜に シャワールームの「水漏れ」に見舞われ、 ひとり、 孤独な戦いを強いられていたトビーさん。 |
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TOBI | 孤独で絶望的な戦いを、ね。 |
── | 水道工事の人は、なんで来ないんですか。 |
TOBI | (ため息まじりに)パリって街はね‥‥。 |
── | ええ。 |
TOBI | 200年以上も前の管がまだ使われていたり、 排水管が詰まりやすいんです。 洗濯機やバスタブから 大量の水が流れることを想定して つくられていないので、細いんですよね。 |
── | なるほど。 |
TOBI | だから、あちこちで、しょっちゅう、 水のトラブルが発生しているんです。 |
── | そうなんですか。 |
TOBI | そのため 水道工事の人が「引っ張りダコ」なんです。 いつ電話しても予約がいっぱいで やっと来たと思ったら 殿様商売なもんでふんぞり返っている始末。 |
── | えー。 |
TOBI | つまりパリ生活では、ある意味においては、 誰より「配管工事の男」が ヒエラルキーの頂点に君臨しているんです。 |
── | 旅行ガイドブックに載っていないパリの顔。 はじめて知りました。 |
TOBI | 機嫌を損ねて手を抜かれたり、 何もしないで帰られた話は、よく聞きます。 だから、お菓子やビールを出したり、 「そのジーパン、カッコいい!」 とか、ご機嫌を取ったりするほどなんです。 |
── | いろいろ、たいへんなんですね‥‥。 |
TOBI | ぼくの家には、発生から3日目、 つまり1月9日の午後になってようやく 水道工事の男が来たんですけど、 案の定ムスッとして、機嫌が宜しくない。 |
── | ははあ。 |
TOBI | こっちはすでに丸2日以上、 各種生活排水とか ナスのヘタ、コーヒー豆、パン屑などの生ゴミと 24時間体制で格闘していたんですが、 最後の力を振り絞り 必死で、お世辞の言葉を探しました。 しかしその男は、ガリガリに痩せこけて 頭頂部はバーコード調、 息は酒くさいわメガネは曲がってるわ タックが2本も入った ケミカル・ジーンズは履いてるわで‥‥。 |
── | どこか一箇所でも褒めたら 「バカにしてんのか!」と怒られそう。 |
TOBI | しかたがないので 「これは日本のガトーでマンジュウと言います」 と、もみじ饅頭を差し出してみたんですが 「甘いもの嫌い」と、素っ気なく断られました。 |
── | トビーの気に入られ大作戦、撃沈。 |
TOBI | そこで、 とにかく今の窮状を訴える作戦に 切り替えました。 するとその男は、 あからさまに面倒くさそうな顔をして 洗面台の下のS字の管を外し、 コンコンと数回、軽く叩いただけで 「よし直った」 と言って、立ち上がったんです。 |
── | えええ。 |
TOBI | もう、早く家に帰りたいだけなんです。 そんなところじゃなくて 建物全体の排水管が詰まってるはずだと 必死にアピールしたんですが 「いいや、ちょっと押してみたら 詰まってたゴミが流れていったから 絶対に直ってるはずだ」 と「150ユーロ」の請求書を置いて 帰ってしまいました。 |
── | 150ユーロといったら 日本円にして約2万円‥‥で、水漏れは? |
TOBI | 直ってるわけないんですよ。 適当にチョイチョイ見ただけですから。 しばらくしたら、 あの、若くてハト胸のボリビア女性が 早めの泡風呂に浸かったらしく、 例のお花畑のような香りの泡水が‥‥。 |
── | ブクブクと。 |
TOBI | いや、そのときにはもう、 「シャシャシャシャーアアアアッ!」 という、 容赦のない音に変わっていました。 |
── | 毒ヘビの威嚇みたい‥‥。 ともあれ、詰まりのレベルが 次のステージへ進んだ感じがします。 |
TOBI | そう、管の詰まりが 一滴たりとも排水の通過を許さないらしく、 排水口から、 汚水がものすごい勢いで噴射され 隣のリビングの床まで泡だらけに‥‥。 |
── | 状況は、さらに絶望的に。 |
TOBI | そこでぼくは、 「ぼくの家の排水口から、 あなたたちの家の汚水が溢れてます。 だから水を使わないで!」 という貼り紙を貼ってみたんですが、 とくに効果はありませんでした。 |
── | 貼り紙作戦も、ダメと。 |
TOBI | で、そのような状態ではあったんですが、 そのとき、5日後の1月14日に、 少し大きめのお仕事が入っていたんです。 それは、Toog(トゥーグ)という フランス人ミュージシャンが主宰していた、 「死と再生」をテーマにした エレクトロのクラブイベントなんですけど、 そのイベントのラストのところで ゾンビになって踊ってくれ、というもので。 |
── | ゾンビになって? レ・ロマネスクとして? |
TOBI | そう。 |
── | いろんな仕事があるもんですね‥‥。 |
TOBI | Toogさんが、ぼくたちのライブを見て 「ピーン!」と来たらしいんです。 |
── | 彼らにならゾンビを任せられる‥‥と? でも、ゾンビの踊り得意なんですか。 |
TOBI | いえ、やったこともありません。 いいですねーと適当に笑いながら答えたら 翌日にはチラシやホームページに、 「ゾンビダンサー:レ・ロマネスク」と クレジットされてしまいました。 |
── | まるで「ゾンビ専門」かのような。 |
TOBI | そう、そんなふうに書いてあったら 観るほうも 「プロのゾンビダンサーかよ!」と 思うじゃないですか。 だから、家の中の悲惨すぎる状態を ひとまずはさておいて ゾンビの踊りの振り付けを 考えなければならない時間もあったんです。 |
── | フロアの期待に応えるためにもね。 「仕事」というのは ときに、つらくて過酷なものです。 |
TOBI | 汚水汲み出しの合間にアイディアを練り、 結果として マイケル・ジャクソンの『スリラー』に オマージュを捧げつつ、 中島みゆきの『わかれうた』のように 道に倒れて誰かの名を呼び続けるような‥‥ そんな踊りが完成しました。 |
── | ははあ。 |
TOBI | さらに、ゾンビの衣装も自前だったので、 パリの北の方にある 激安のお店で古着を仕入れてきて 血糊を塗ったり、 カッターでボロボロに切り刻んだり‥‥。 |
── | 水道工事の人を探しつつ、 朝晩には、溢れ出る汚水を汲み出しつつ、 ゾンビダンスの準備をしつつ。 |
TOBI | そんな、シャワーを浴びることさえできない ヘドロのような生活を続けていると、 いろいろ、わかってくることがありました。 |
── | ほう。 |
TOBI | まず、毎朝、決まって「7時10分」に モーニング・シャワーを浴びる人がいる。 その人はココナッツの香りのする ボディーソープを愛用しているんですが、 きっかりその時間に 「ココナッツ臭のする泡を含んだお湯」を 溢れさせてくるんです。 |
── | トビーさんちにね。 |
TOBI | なので、水漏れの発生から数日後には 朝7時に目覚まし時計をかけ、 7時10分までには バケツを持って排水口の前で待ち構え、 溢れてきたそばから、 手際よく 水を汲み出せるようになっていました。 |
── | トビーさんの朝も その人のシャワーとともにはじまる、と。 |
TOBI | 排水は、それ以降「冷水」となります。 洗顔したり、歯を磨いたり、 野菜を洗ったりなど、 人というのは、 朝はお湯よりも冷たい水を多く使い、 逆に夜は お風呂などお湯ばかり使うんですね。 |
── | そんなことを身をもってたしかめた人って なかなかいないでしょうね‥‥。 |
TOBI | さらに、上の階の誰かが 水道の蛇口をひねる「キュッ!」という音に 身体全体が、 敏感に反応するようになったんです。 |
── | え、その音を聞き取れるようになった? |
TOBI | そう、そしてその「キュッ!」のあとには、 かならず「シュッ!」という、 水が水道管を這い上がる音が続くんです。 さらに、それから10秒後に 排水口から シャーシャーシャーと水が溢れてくる‥‥。 |
── | 何かもう「異能の者」ですね。 |
TOBI | キュッ! シュッ! 10秒後にやつが来る! これは、水漏れが起こる「サイン」ですから、 絶対に聞き漏らさなくなりました。 |
── | それを数日で身につけたというわけですよね。 人間ってすごいです。 |
TOBI | そして「浄水は10秒後に必ず下水となる」 という、 絶対的な人間社会の法則を学んだんです。 |
── | その法則に気付いた人が 有史以来、いったい何人いたでしょうか。 |
TOBI | しかし、さすがに5日目6日目になると 心身ともに疲れ切っており 昼夜を問わず、 何度も何度も階段の踊り場から上階へ向けて 「水を使うな!」 「今おまえの使った水が溢れている!」 と大声で叫んだりするように‥‥。 |
── | トビーさん、そんなにも追い詰められて‥‥。 |
TOBI | 誰も聞き入れてはくれませんでした。 きっと気のふれた可哀想な人として スルーされていたんだと思います。 |
── | せつない‥‥。 |
TOBI | とくに1月11日の土曜の夜がひどくて 深夜の3時すぎまで 洗濯機の水、台所の水、お風呂の水などが かわりんばんこにやってきて、 朝方の5時くらいに ようやく汲み出しを終えたんです。 |
── | 2時間後には「7時10分のシャワー」が‥‥。 |
TOBI | 「エへ、エへへへへ、 これで、今夜もようやく解放された」 みたいに、涙と奇妙な薄ら笑いとを ごちゃ混ぜにしながら やっとベッドに倒れ込んだと思ったら お花畑のような香りのする、 あの、ボリビア女の泡風呂の水が ベッドのすぐ下にまで‥‥。 |
── | なんと! |
TOBI |
そのとき、 自分のなかの何かがブチッとキレるのが わかりました。 ぼくは部屋から飛び出すや、 「水を使うな! 水を使うな! 水を使うな!」 と叫びながら 狂人のように8階へ向かって階段を駆け上がると 途中の6階の一室から‥‥。 |
── | ‥‥から? |
TOBI | そう‥‥6階の一室から、 でっぷりと肥えてみごとに禿げ上がり、 頬をほんのりピンク色に染めたオッサンが バスローブ一枚の姿で出てきたんです。 |
── | まさか‥‥。 |
TOBI | そう、毎晩、お花畑のような香りのする 泡風呂に入ってたのは、 その、バスローブを巻いた 肥えて禿げたオッサンだったんです。 ぼくは毎晩、この人の「縮れ毛」を 人差し指と親指でつまんで トイレに捨てていたのかと思うと‥‥。 |
── | ‥‥‥‥ヒィッ! |
TOBI | ほとんど、正気を失いかけました。 |
<つづきます> |
2014-09-18-THU |