ほぼ日刊イトイ新聞
アイヌを撮り続けて発見したのは、「自分」と「写真」だった。
撮影:池田宏

写真家・池田宏さんに聞く、アイヌのこと。

10年以上にわたって、
アイヌの人たちのところへ通っては、
写真を撮り続けている、池田宏さん。
縁もゆかりもない土地、
見ず知らずの人たちのあいだに、
なんにも知らないままに飛び込んで、
いろいろ失敗し、ときに拒まれながら、
やがて、受け容れられていった、池田さん。
アイヌの人たちと仲良くなるうちに、
「アイヌってなんだろう?」という疑問は
じょじょに薄れゆき、
アイヌの人たちを撮影していく過程で、
自分自身を「発見」する。
その営みに生まれた写真を見ながら、
これまでのことを、話してもらいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。どうぞ。

第1回
唯一、撮り続けているテーマ。

──
池田さんの作品のなかでは、
やっぱり、
アイヌの「人」の写真に惹かれるんです。
池田
ああ、ありがとうございます。

写真って、
すごくわかりやすく「写る」ものなんで、
そこにいる人が、
単純にフォトジェニックっていうか‥‥、
美しい人、多いですから。
──
拝見すると、おじいさんとかとくに、
魅力あるーってお顔の人、多いですよね。

ニッコリとかは、あまりしてませんけど。
池田
いわゆるニコパチの写真を撮りたいとか、
そういう気持ちは、あまりなくて。

もちろん、
それがダメだとは思ってないんですけど。
──
ええ。
池田
自分が魅了されているアイヌの人たちの
「ああ、かっこいいな」
「撮りたいな」と思うところって、
美しかったり、
力強かったりするような部分が多いので、
写真も、そういう表現になります。
──
いま、池田さんは、北海道へは、
どれくらいの頻度で行かれてるんですか。
池田
まあ、年に6回から7回くらいですかね。
2ヶ月にいっぺんは行ってるので。
──
滞在期間でいうと‥‥。
池田
1回の滞在で、1週間から10日ほどです。

お世話になっている方の家や、
友だちの家に泊まらせてもらってます。
──
最初、アイヌの集落を訪れようと思って、
どこへ行ったんですか。
池田
2008年に、まず「二風谷(にぶたに)」
という集落を訪ねました。

二つの風の谷って書いて、二風谷です。
──
はい、二風谷。
池田
空港からクルマで千歳、苫小牧を過ぎて、
襟裳岬沿いに
40分くらい走ったところの町から、
さらに
日高山脈のほうへ北上していくんですが。
──
ええ。
池田
アイヌ伝統の彫り物や機織りなんかで
有名なところですけど、
集落の規模としてはちいさいところで。
──
そこには、縁とかゆかりとか‥‥。
池田
ないです。まったく。
──
アイヌの人の集落といっても、
アイヌ以外の人も、住んでいますよね?
池田
もちろん、ぼくらと同じ和人も住んでますよ。

たとえば、アイヌの観光地で有名な阿寒、
あそこには「アイヌ部落」と書かれた看板が
デカデカと立ってたりしますが、
和人もアイヌの人も両方、住んでいますから。
──
いきなり、見ず知らずの二風谷を訪問して、
うまいこと写真て、撮れたんですか?
池田
いま思えば、本当に失礼極まりないのですが、
自分は、アイヌについて、
ほとんど何にもわかっていないままの状態で、
行っちゃったんですよね。
──
そうなんですか。
池田
二風谷には、アイヌ語で「チセ」という、
昔の家屋を復元した茅葺きの家が建っていて、
そのなかでは、
木彫り、機織り、刺繍など伝統工芸の実演を
やってたりするんです。

で、そのとき、そこのアイヌの女性に対して、
「アイヌの人って、いますか」
という意味のことを聞いたんですけど、
何というか、すごく、拒否反応をされました。
──
それは、どうしてですか。
池田
写真を撮る撮らないのまえに、
自分の聞き方とか、言葉が、なってなくて。

つまり、そのとき、自分は、
「純粋なアイヌの人って、いるんですか?」
という聞き方をしてしまったんです。
──
純粋な。
池田
こういう質問って、たぶん、これまでに、
たくさんの日本人が、
投げかけてきた質問なんだと思うんです。
──
アイヌの人たちに向かって。
池田
そうです。アイヌの人を取り巻く環境には、
差別だったりとか、
まだまだ根深いものがあるんですけど、
自分みたいな、いち観光客が、
何にも知らないままに、
さんざん、失礼な質問をしすぎてるんです。
──
それも、悪気もなく。
池田
そう、だから、自分の言った
「純粋なアイヌの人って、いるんですか?」
という聞き方が、彼女にしてみれば
ウンザリするほど
「はあ、またか」な感じだったんでしょう。

その人には、すぐさま、
「じゃあ、純粋な日本人って、何ですか?」
と聞き返されたんです。
──
それに対して、池田さんは、何と‥‥。
池田
答えられませんでしたね、何にも。

当時の自分にしてみれば、
ものすごいカウンターパンチなんですけど、
つまりは、彼女が、
そう聞き返さなければならなかった理由を、
わかってなかったんです。
──
つまり‥‥。
池田
アイヌの人たちの歴史、
それは公に語られている教科書的な歴史から、
表立っては語られない個人史までが、
彼女のあの言葉の中には、
含められていたんだなと、あとになってから。
──
そういうスタートから、
以降、どんなふうに関わっていったんですか。

ご自身の不勉強からとはいえ、
初っぱなそれだと、くじけそうな気もします。
池田
そうですね、その出来事以外にも、
「無知だったから、失礼にあたった部分」は、
本当にたくさんあって、
怒られることも多かったんですけど、
でも、通ううちに、
「共通言語」を共有できるようになりました。
──
共通言語。
池田
ぼくたちが、ふだんの生活をするなかでは、
他人を傷つける言葉って、
できるかぎり、避けるはずじゃないですか。
──
ええ。
池田
自分は、アイヌの人たちとの間で、
そこの部分を共有できてなかったわけです。

「え、この言葉も傷つけちゃうの?」
という経験が、たくさん、あったんです。
──
では、そういう「失敗」を、
ひとつずつ重ねていって‥‥の繰り返しで。
池田
そうですね。
だから最初は、写真なんかぜんぜん撮れず。
──
途中でやめようとは思わなかったんですか。
池田
うーん、最初のころのことは、
ちょっともう、定かではないんですけど。
──
ええ。
池田
今はもう、
仲のいい人たちがたくさんできているし、
やめようというのは、ありません。

それに、北海道へ行ってない間は、
別のテーマで撮ろうとしてたんですけど。
──
はい。
池田
続かないんですよ、なんだか、どれも。

自分は不器用で、
ふたつのことを同時に進められないので、
どれも中途半端になっちゃって。
──
途中で終わっているテーマが、ある?
池田
超終わってますね、そんなのばっかり。

でも、そういう自分でも、
唯一、撮り続けることができているのが、
アイヌの人たちなんです。

撮影:池田宏

協力:スタジオ35分

<つづきます>

2018-04-17-TUE

© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN