こどもの頃のある日、
父が「ダリ」の画集を家に持ち込みました。
うちの父はコピーライターで、
デザイナーさんたちもいるような事務所に勤めていたので、
そこの引っ越しで放出された資料本を
持ち帰ってきたのだと思います。
私の人生で、はじめてくらいに、
絵本でも図鑑でもない、
文字のたくさん書いてある本でもない
画集というものが登場した瞬間でした。
しかも、その画集ときたら、
時計が木に引っかかってたり、
ぐんにゃりまがっていたり、へんなところにまつげがあったり、
足だけばかに長い馬がいたり、顔の中に顔があったり、
しかもそれがべよーんと伸びててつっかえ棒がされている、
というような不思議な絵が
次から次へと展開されているものでした。
その後、父はさっさと死んでしまったので、
経済的事情もあり画集が家に増えることはなく、
私はその画集を結構長い時間鑑賞してしまったので、
自分の好みは、その‥‥不思議で不穏で変な空気の漂っている
一筋縄ではいかないものに固定してしまいました。
ショーン・タンさんの絵にも、
そういうすんなりとはいかないような、
おかしな不穏さがあって、すごく良いのです。
今回の展示で観ることのできる作品の中でも
『内なる街から来た話』のシリーズと
『油彩–観察的小品』のシリーズが特に。
(って、ああ、ただ、好みの話をぐたぐだとしているだけですね)
『内なる街から来た話』のシリーズは
かなりサイズの大きな作品群です。
ちなみに、その中の「クマとその弁護士」という絵は、
そごう美術館での展示の前、
練馬の「ちひろ美術館・東京」で展示が行われていたときに、
糸井重里が見て気に入り、
著作『かならず先に好きになるどうぶつ。』のカバーに
絵を使わせてもらうことのきっかけとなったものです。
絵ももちろんすばらしいのだけれども、
そこに添えられた物語もぜひ読んでみてください。
文章見て、絵をみて、「そうだよねー」とおもってにやけて、
ぼんやりと佇んで、時がじゃんじゃん過ぎていきます。
(‥‥もっとその種類の絵がみたいとおもったら、
ぜひ、書籍『内なる街から来た話』を買うのじゃよ‥‥。
そこには、もっと多くの絵と物語が収録されています。
そして、絵を手元に置いておきたいと思ったら、
物販コーナーにいくと、ジークレという、
精密な複製版画を販売しているので、
それを買うのじゃよ‥‥。
私はいつかそれのあのねこのページの絵がほしいのじゃ‥‥。)
そして、『油彩–観察的小品』のほうといえば、
今度は、小ぶりなサイズの風景画です。
視線を向けると、
それまで聞こえていたノイズがピタっと止まって
無音になるような感覚のある静かな絵です。
そして、距離をもって絵をみると写真のようにみえるのに、
近づいていってもディテールは描かれていないので、
脳の理解が追いつかず、
目がおかしくなったのかと誤解するような
なんだか妙な感覚があります。
自分のふたつの感覚が、不思議な感じになるので、
絵に近づいたり遠ざかったりしてたのしんでいると、
時がじゃんじゃん過ぎていきます。
すんなりと順路の「次」へはいけないのです。
もちろん、他のブロックも、
すっと絵をみて次へ進むということには
ならない気配ですので、
行くときは、たっぷり時間をとって
のんびりたのしんでいただくのが
よいかと思います。
で、せっかく横浜まできたのなら、
シーバスに乗って山下公園までいって、
中華街でご飯をたべてくるのまでセットでぜひどうぞ!