この展覧会で、
「物」がたくさんのパワーを持っていること
はじめて意識しました。
ベルギーを拠点に活動されている作家、
マーク・マンダースさんの国内美術館では初となる
個展「マーク・マンダース -マーク・マンダースの不在」へ行きました。
「建物としての自画像」というアイディアを軸に、
自身とは別人である、架空の芸術家として名付けた、
「マーク・マンダース」という人物の自画像を
「建物」の枠組みを用いて構築しています。
単体でも十分に魅力的な彫刻やオブジェたちの、
配置で人の像を表現していて、展示全体が
ひとつのインスタレーション作品となっています。
と、ひと通り説明しましたが、
この独創的な構造の作品世界をお伝えするには、
まず、マンダーズさんご本人の
メッセージを読んでいただくのが良いと思いました。
それがこちらです。
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「物は最も強い瞬間を
とらえることができるものだと思う。
感染症、戦争、季節…と、移り行く世界の中で
物はそのままの状態であり続けます。
私が芸術を本当に愛する理由はそこにあると思っています。
200年前と今とで作品の見方は違ったとしても、
その作品自体は変わっていません。
物が同じに留まっているということは、とても美しい。」
「物を作ることで時間を共有することができるし、
共通点を見出すことができます。
エジプトやギリシアの彫刻には、
様式化されたような、凍結した時間があります。
動きを止めるというようなローマの彫刻とは異なる時間が。」
「実際の物を使って書くことができていて良かったと思っています。
紙に書くのではなくて。
これをやればやるほど、物の言語というものが
非常に重要であると確信するようになってきました。
例えば、彫刻や物を見ると時には
作り手の頭の中や心の中を翻訳することができます。
そういうものは、言葉そのものよりも
ダイレクトに語りかけてくると思います。」
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今回の展示では、個々の作品には
キャプションなどは全くついていませんでした。
(ハンドアウトで作品名や材質は知ることができます)
言葉の情報が無いことで、作品そのものと
直接向き合っている感覚が強かったです。
マンダースさんのメッセージを読んで、それが
「物の言語がダイレクトに語りかけてくる」
という体験だったことに気がつきました。
そして、全体を通して
物の言語は言葉よりも饒舌であることを知りました。
私は、展示室を進みながら、
マンダースさんが、作品で構築している
「人の像」は、そもそもどんなものだろう?と考えていました。
すると、人間の存在は
様々な要素が、複雑に積み重なって
生み出されているものだ、という考えが浮かび、
そしてそれを、言葉で表現しきるには限界があることも感じました。
私にしても、ほぼ日で働いている一面もあれば、
家で猫をナデナデしている一面もあります。
さらに、もっと奥の方には
いろんな経験や感情が隠されています。
悲しい別れや、嬉しい出会い、
志や、夢みていること、
漠然とした不安や焦燥感、そして自尊心。
自分しか知らないこともあれば、
自分以外が知っていることもあります。
たくさんのあれこれが、
対立しながらぐるぐると渦巻いて、
私を形作っている気がしています。
そんな、言葉にしきれない人間の複雑な要素が
マンダースさんの彫刻やオブジェには、
内包されているようでした。
マンダースさんの彫刻やオブジェは、
それぞれが全く異なる様々な性質を持っています。
今作ったばかりにみえる粘土の艶と、
風化して脆く崩れ落ちていまいそうな質感、
ピンと張り詰めた糸と、弛んだ糸、
それらには、力強さと脆さ、緊張と緩みなど
対極にあるようなイメージが湧きましたが、
一人の架空の芸術家を構成する物として配置されているのです。
私の中でいろんな経験と感情が
ぐるぐると対立しているのと似ていて、
架空の芸術家マーク・マンダースの存在に説得力を感じました。
私はこの、展覧会でマーク・マンダースさんのことを知りました。
物がもつ魅力を自分の感覚を頼りに感じる展覧会で、気がついたら、とても大きく、ユニークなこの世界の虜になりました。
まだまだ、お伝えしたいことはありますが、
その魅力は、やはり言葉では書ききれません。
会場に足を運んで、架空と現実が混交する
不思議な世界を体験してみるのはいかがでしょう。