乗組員のもとじさんから、
とても熱のあるおすすめを受けて、
私も、千葉市美術館で開催中の
「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」
へ行ってきました。
タイガー立石さんについて詳しくは、
もとじさんがとても分かりやすく
ご紹介してくださっています。
まずは、こちらの記事をどうぞ。
私は、鮮やかな色彩の作品に目がありません。
会場の一番はじめに展示されている
「ネオン絵画 富士山(1964年/2009年)」
をみて、すぐ好きになりました。
しかし、立石さんの魅力は
もっともっとたくさんありました!
展示される約250点の作品・資料は、
「なんだろう?」
と興味をかきたてられるものばかりで、
会場を後にする頃には、
すっかり虜になっていました。
立石さんは、
アーティストとして活動する中で
名乗っていた名前が、
3つもあったそうです。
本名である、立石鉱一。
漫画や絵本の筆名である、タイガー立石。
そして晩年のペンネーム、立石大河亜。
なぜ名前を変えられたのか
私は、疑問を抱きました。
アーティストとして活動するには
ずっと同じ名前を名乗っていたほうが、
覚えてもらえるだろうし、
いろいろな面で好都合なことが
多いように思えたからです。
さらに、立石さんは
名前を変えるだけではなく、
家のお引越しも
たくさんされたそうです。
そして、作品の表現方法も
絵画、漫画、彫刻、絵本と
多岐に渡っていました。
印象に残っている
エピソードがひとつあります。
立石さんは、漫画家として
日本での活躍が
約束されていた時期に
全てをなげうって、
ミラノへの移住を決断し、
絵画制作をスタートさせたそうです。
なんだか、いろんな場面で
安住を拒絶していることが見て取れます。
その一方で、作品で表現したいものは、
デビューから遺作に至るまで
一貫しているように感じました。
目まぐるしく変化させている
ご自身の周辺環境とは正反対です。
作品からは、
幼少期や、漫画家としての経験、
世の中の政治的な動きなど、
立石さんが人生の中で、
見て感じて、得たであろう
様々なものの影響がみえます。
それらは、どんどん蓄積されて溶け合い、
歳を重ねるごとに作品たちの、
複合的な魅力が増しているようでした。
蓄えていくには、
しっかりとした土台がなければいけません。
立石さんはアーティストしての核が、
ご自身の中でしっかりと
定まっていているのだと考えました。
そして、その揺らがない核こそが、
立石さんというアーティストの
存在証明となっていることに気がつきました。
私が疑問を抱いていた、
名前の問題は軽々と跳ね除けられて、
かっこよさに思わずため息がでました。
もしかしたら、ご自身の中で燃える
創作の炎を絶やさないために、
周辺環境の変化を、
刺激として求めていたのかも?
と考えつきました。
より一層、凄みを感じました。
最後に、
展示をご覧になる皆様には、
年表にもしっかりと
目を通していただくのをおすすめします!
立石さんが感動した書籍や映画、
時代ごとの政治や社会の動きが、
細かく記載されています。
これは、同時に
作品に登場するモチーフや、
影響を与えているものとの
出会いの記録でもあります。
作品のルーツを探る感覚で
楽しむことができますよ。
経験の蓄積を感じる作品を生み出した、
タイガー立石さんだからこその
楽しみ方だと思います。
もとじさんの記事と合わせて
繰り返しのお知らせになりますが、
「大・タイガー立石展」は千葉市美術館で、
7月4日(日)までの開催です。
その後、青森県立美術館、高松市美術館、
埼玉県立近代美術館・うらわ美術館に巡回します。
ぜひどこかでご覧いただけたらと思います。