小さなころに、画用紙を前にして絵を描いたことがある。
そりゃ、あるよ、だれだってあるだろう。
男の子だったらクルマだったり飛行機だったりを描くし、
女の子は、大きな目の少女と家とお花を描いたりする。
他にも、いろんな描くものがあるはずだけれど、
子どものころの絵は、スタンプのように似たものになる。
さて、あなたも、わたしも大人になった。
画用紙があって、絵の具でもクレヨンでも、画材がある。
なんでも好きなものを描けばいい。
近くにあった花瓶のようすや、コップや猫を描くのかな。
外に出かけて、緑の目立つ景色を描くのだろうか。
あるいは、同居している人だとか、じぶんの顔を描く?
つまりは、絵で見たような絵を描くことになりそうだ。
そうでなければ、かつて練習したことのある
アニメやマンガの主人公などの絵を描くこともあるな。
だいたいは、どこかにあったような、
つまりは絵で見たような絵を描くことになるだろう。
絵を描くといっても、なにを描くかさえも思いつかない。
それが、だいたいの人たちにとっての絵を描くことだ。
つまり、残念ながら、あなたもわたしも、
なにを、どう描いていいのかさえわからないのである。
それは、もしかしたらペンと原稿用紙を前にして、
「ウソでもホントでも、好きなことを書いてごらん」と
言われたときと、同じようなものなのかもしれない。
どんなデタラメでもいいとしても、
もともと書きたいことがあるわけじゃなかったし、
どんなふうに書いていいのかもわからないのだ。
ここまで、ぼくが書いてきたこと、同意してくれるかな?
人は、好きなものを描いてよいとしても、描けやしない。
ああしてやろうも、こうしてやろうも思いつかない。
それを、ちゃんとわかった上で、東京都現代美術館に行く。
『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』
という展覧会をやっている。
見たこともないような絵があって、
たくさんの絵の描き方があって、
それが洪水のように会場から溢れ出しているのだ。
人間って、こういうことができるんだと目眩がしてくる。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
渋谷パルコ8階と4階のほうは、もっと大丈夫な感じですよ。
※2021年7月17日の「今日のダーリン」より