まだ東京では桜が咲く前なのだが、
六本木の「国立新美術館」ではお花見がはじまった。
『ダミアン・ハースト桜』という展覧会だ。
このイギリスの現代美術の作家は、これまで、
なにかと「凄い」作品を制作し発表してきた人だ。
ぼくも詳しいわけじゃないけれど、
どうして知っていたかといえばつまり、
これまで人の感受性に「なかった感じ」を
呼び起こさせるような作品がとても有名だったからで。
しかも現代美術界を代表すると言われている作家だ。
ダミアン・ハーストと、ジェフ・クーンズと、
なにかと話題のバンクシーは、ぼくには、
有名なプロスポーツ選手のようにも見えている。
で、ダミアン・ハーストの東京での展覧会が、
切断された牛でも鮫でもなく、
演劇の背景のように大きな桜の絵だというのだ。
なんだか、その試みに付き合ってみようと思うしかない。
展覧会だけれど、たぶんほとんど写真撮影はオッケー。
ぼくも、めずらしく満開の桜の前で自撮りなどした。
「桜が咲いていて、きれいだね」という
ごくごく平凡な感性をそのまま掬い取るような絵画が、
やっぱり「なかった感じ」とつながってしまうのだ。
考えてみれば、ただの牛をただ切断したら、
ただの牛じゃない作品になってしまうのと、同じかもね。
もともと「桜」には、こういうところもあったよな、とか、
つい「なかった感じ」を反芻してしまうのが可笑しい。
(2022年3月5日「今日のダーリン」より)