日比野 | イラストレーターでいうと、 ペーター佐藤さんとか、山口はるみさんの スーパーリアルなエアブラシで描く絵が、 ガーンと出て、 そして、湯村輝彦さん、 河村要助さんのヘタウマで、 「ペンギンごはん」が出てきて、 というあたりに僕がいて。 |
糸井 | いいねぇ、 露払いが、そんなにいて。 |
日比野 | 次のおもしろいもの、なに? 次のおもしろいもの、なに? っていうときに、 「ダンボール、なにそれ?」 みたいな感じで、歓迎してもらえたんです。 |
糸井 | しかも、立体のデカイやつね。 みんなびっくりしたもん。 グラフィック展でグランプリ取ったんだよねぇ。 ダンボール並べた日比野くんの個展、 オレも観に行ったなぁ。 オレはあのとき、はじめて美術作品を ひと目見て「欲しい」と思ったの。 それは、すごく印象深い出来事だったんだ。 絵や美術を、すごく簡単に 「欲しい」という気持ちで見たのが 自分にとって新しかった。 |
日比野 | ここに似合うようなもの、 なんか持ってくればよかった(笑)。 |
糸井 | その作品つくってる人の気持ちを 超えちゃう欲望が生まれちゃったんだから、 あれは、不思議で衝撃的な感覚だったなぁ。 グラフィック展あたりがいちばん最初? |
日比野 | いちばん最初は雑誌です。 「イラストレーション」という雑誌に チョイスというコーナーがあって その第1回の選者が 湯村輝彦さんだったんです。 「イラストレーション」読んで 「へえぇ、こんなのがはじまるんだ」 「湯村さんに作品見てもらえるんだ」 と思って(笑)、応募したんです。 イラストとダンボールの立体ものを持って 飯田橋あたりの、昔の玄光社まで行って、 作品を置いて来ました。 そしたら編集部から電話があって、 「選ばれました」 「やったー」 |
糸井 | 「やったー」と(笑)。 |
日比野 | 掲載された「イラストレーション」には 湯村さんの選評が書いてありました。 そのとき、ぼくは、 まだダンボールの平面を描いてなくて、 べニヤに絵を描いていました。 それがチョイスで選ばれたけれども、 湯村さんは、 「ダンボールできた立体のほうがおもしろい」 と書いていました。 |
糸井 | うん、うん。 |
日比野 | 公募の1回目だったから 平面に限るというルールがあるのが よくわかってなくて、 僕は作品を立体で出してしまったんです。 ページには立体作品も紹介されてて、 「これは受け付けません」 とか書いてある。 |
糸井 | ははははは。 |
日比野 | 「このような作品は受けつけませんので、 よろしく。でも、おもしろい」 あ、けっこう、湯村さんはウケてるなと思って、 そのあと代々木で展覧会をやったときに、 湯村さんに来てもらおうと思って DM出したけど、 ぜんぜん来てくれませんでした。 |
糸井 | 湯村さん、実は ひっこみじあんだからね(笑)。 |
日比野 | そうなんです。でも、最終日、 「イラストレーション」の編集部に 湯村さんの電話番号を訊いて、 直接電話してみました。 「ああ、そうか、今日までか。 じゃあ、いまから行くわ」 って、来てくれたんです。 僕は、搬出の時間をちょっと遅らせて、 待っていました。 そしたら、湯村さんが、 (奥さんの)タラちゃんと一緒に来てくれて。 |
糸井 | うん、うん。 |
日比野 | もう、あのときのうれしさは、 なんだろうな‥‥すっごくね、 応援してくれる、というのがわかったんです。 「やってくれるよな、これいいぞ、 おまえ、大丈夫だ」 というようなことを湯村さんは言ってくれて、 あ、いいんだ、湯村さんも喜んでくれた、 と、自分が思うことができたんです。 これは、すごく大きなできごとでした。 |
糸井 | 湯村さんは、基本的に 褒めない人だからでしょうね。 まず、イラストレーターでも コピーライターでもお笑い芸人でも 無意識のうちに、 新しい芽をつぶしたいというのは おんなじであって(笑)。 職人は、みんなそうです。 |
日比野 | ああ、そうですね(笑)。 |
糸井 | もちろん応援したいとか、そういう気持ちは ちゃんとあるんだけど、 「無意識で」そう思ってるところが どうしてもあるんです。 いいなと思えるものに出会ったときには、 ものすごく複雑な気持ちになるんだ、たぶん。 それを、超えていくのは なかなかないことだからね。 しかも、湯村さんは、厳しい人です。 だから、とってもめずらしいことだと 感じますよね。 (つづきます。) |
2009-02-10-TUE