面白くて笑ってばかりだったんですけど、
伊集院光さんと糸井重里の対談があったんです。
公開対談でね、そう、
「ほぼ日の學校」の!
テーマが一応「学校」なんですけど、
関係なさそうな話がどんどん出てくるんです。
円楽師匠の話や『粗忽長屋』の話になったり、
伊集院さんの奥さんと糸井の共通点が語られたり、
謎の旅の話をしたり、窓ガラスに鳥がぶつかったり、
だいぶ下品なたとえ話が登場したり。
‥‥でもふと気づくと、いつのまにかそれが
「学校」や「学び」の話にもなっていて。
ふたりが掛け合わさると、こんなふうに話が
広がっていくんだ!という驚きのある全15回。
ま、どうぞ、ごらんください。
- 糸井
- この「ほぼ日の學校」という場所だと、
今日みたいな生配信は珍しくて。
- 伊集院
- そうですか。
僕はもう、ラジオの生放送っ子なんで、
生なことにそんなに緊張しませんけど。
- 糸井
- 生ってね、少なくとも
時間の段取りがありますよね。
それだけでも僕は
「段取りは全部イヤだ」という人間なんで。
- 伊集院
- 意外に僕の考え方は、ラジオの生放送なんかは、
「ま、はじまれば終わるし」っていう。
生のほうが緊張するというタレントも多いんですけど、
結局、録画のテレビとかだと、
機材トラブルとかあると
永遠に終わらないじゃないですか。
だから「生ははじまったら終わるから、
まあいっか」ぐらいの感じ。
‥‥ただ、昔はラジオを完全に悪意で聞いてる人って
いなかったわけですよ。
いまは世の中が性善説みたいなものではなくなってきて、
「なにか言ったらちょっと燃やしてやろう」
みたいな聞き方があるので、
ちょっとだけ怖いかなと思いますけど。
- 糸井
- 「生」という言葉はあれですけども、
僕は「終われば終わる」の気持ちの強い人間なんで、
その意味ではいつも
「なんとかなるべ」とは思ってるんです。
今日も楽屋で久しぶりに顔合わせをして、
要するに「何とかなるべ」で。
- 伊集院
- そうなんですよ。
今日の生配信も、ちょっとは
段取りをやってからはじめるのかと思ったら、
一切なしでしたからね(笑)。
- 糸井
- 「何を喋る」っていう義務みたいなのがあると、
そこのことがいつも頭にちらついて。
- 伊集院
- そうとう前に糸井さんと
「MOTHER」に関する対談を生配信でやったんです。
そのときも僕も、はじまってんのわかんなくて(笑)。
ずっと雑談をしてると思ったら
「もうはじまってる!」みたいな。
糸井さん、構えないでスッと入ってくんです。
終わってるのかもよくわからない。
そういう感じでしたね。
- 糸井
- 僕はいつもそうですね(笑)。
やっぱり、段取りとかなしにやっていったほうが、
よそにないものが出るんですよ。
「初めて考えたことがふたりとも多い場合のほうが、
腕組みしてウンウン言ってたとしても、面白い」
っていうのが僕の考えなんで。
- 伊集院
- 一所懸命決めちゃったやつだと、なんか
「できあがっちゃってるやつ」の確認になりますもんね。
- 糸井
- 「こんなにいいこと今日言うぞ」って
用意してきて出したものって、
やっぱりどこか冷えてるというか。
- 伊集院
- 自分はラジオでたまに、いろんな都合で
「どうしても生ができません」ってときに
録音するんですけど。
録音は、どっかに
「やり直せる」って意識があるから。
緊張感が足りない。
いちばんひどかったのは、
2時間の番組を40分録り終わったとこで、
「‥‥ごめん、ちょっと最初からやっていい?」って。
- 会場
- (笑)
- 伊集院
- 生はなんか「後戻りできない」と思ってるから、
絞り出すじゃないですか。
自分が黙っちゃおうが、
生放送中に機械がうまくいってなかろうが。
でも録音だと
「これはなんとかなるんだ」が、
「最後の美味しい一滴を出してくれない」みたいな。
生って、スタッフが転んじゃって大騒ぎになっても
なんとかするじゃないですか。なんとか繋ぐけど。
録音は止めちゃうから。
- 糸井
- 止めますね。
- 伊集院
- その最後の一滴が出ないというのは、
もったいないですね。
- 糸井
- アメリカ人のプレゼンテーションの
上手な方みたいな場合は、
「ここで2歩動いて」「ここで手をあげて」
みたいなところまで完全に全部決めておいて、
何度も反復練習してやるとか聞きますけど。
- 伊集院
- へぇー!?
それで言うと、生と録りを両方やる現場で、
僕がいままで出合った最高峰だと思ってるのが、
うちの師匠の円楽が、ある地方の高校で、
ラジオを録りながらライブで落語をやったんです。
俺は弟子だったから、まだ18歳ぐらい。
一所懸命師匠の落語を
勉強してる頃じゃないですか。
したらこう
「隠居いるかー? 隠居いるかー?
隠居、聞こえないのか?」
みたいなのが、いつもより明らかに長いんです。
べつに、僕にしか違和感はないけど、
なんなら、いつもより長いし面白いんです。
「返事がないとこ見ると死んだのかー?」
みたいな話を、ずーっとしてるんですけど。
後で楽屋に帰ってきて、
「どうしてあそこ、いつもより隠居が
長く出てこなかったんですか?」
って聞いたら
「表に選挙カーが通ってた」と。
- 糸井
- あーー。
- 伊集院
- つまり、ラジオ用に録音してるものを、
あとで編集しなきゃならなくなるのがわかったと。
だけどそこでライブのお客さんを
待たせるのはおかしいから、
「その選挙カーの声を
マイクが拾わない音量になるまで、
アドリブで繋いだ」って言うんですよ。
それ聞いたとき、
「あ、これはどっちのよさも入ってる、
すげえやつだな」って思ったんです。
- 糸井
- そうですねえ。
- 伊集院
- そのときの師匠の感じを覚えてるから、
自分もインタビューとかで、
プロ野球のキャンプって沖縄でやるんですよ。
新人選手とかに、ほんと時間がないなか
インタビューするんですけど、
沖縄って基地があるから、
とつぜん猛烈なジェット機が通るんです。
いちばん大事なとこが、
「これ録れてない!」
ってわかるんですよ。
それは音声さんとアイコンタクトしながら、
頭のなかでちょっと編集しつつ、
「でも、あそこまでは録れてるはずだから」
「ここでなんとかもう1回同じことを
言ってもらうにはどうしたらいいんだろう?」
とか、わりとやりますね。
- 糸井
- それはいわば「事故」ですよね。
なんか「事故のときにどう対処するか」が、
「その人」のような気がして。
- 伊集院
- わかります!!
- 糸井
- だから今日も、もし打ち合わせをしてたら
僕はもうガチガチです。
「さて」って言うだけで、たぶんガチガチです。
- 伊集院
- いやいやいや(笑)。
だけど今日、俺はいちおう、
「漠然と『学校』というテーマが決まってる」
みたいな話をマネージャーから
聞いてたんだけど
‥‥いまんとこ、そうでもない。
- 会場
- (笑)
- 伊集院
- その話に、僕のほうが縛られてて。
「それだけは決まりなんだろうな」
と思ってたら、さっきエレベーターのなかで、
糸井さんが「それすらもどっちでもいい」みたいな。
行っても行かなくてもいいぐらいの感じだと聞いて。
- 糸井
- まぁ、よく言えば、
「それが学校の話かな」と思うところがあって。
- 伊集院
- はい、はい。
- 糸井
- 大昔まで戻って、ソクラテスのじいさんが
しゃべってるのを聞いてた人は、たぶんそれを
「学校だ」と思って聞いてなかった気がするんですよね。
- 伊集院
- ああ、なるほど。
「今からこの科目のこれをやろうと思う」
ってよりは、
「なに言うんだろう? また面白いこと言うのかな」
とか思いながら聞いてたのもあるだろうし。
- 糸井
- どんな人たちの話でも、
「これを教えてやろう」「これを聞こう」
ばかりが学校じゃなくて。
きっと円楽師匠と伊集院さんの関係でも、
「普段なに言われたか」のほうが
覚えてるわけじゃないですか。
- 伊集院
- そうなんですよ、ほんとに。
こぼれ話だとか。
本線のところは、落語が好きで入ってんだから、
テープでもCDでも聞いて好きに覚えりゃいい話で。
そうじゃないときの話の方が全然覚えてるし。
- 糸井
- ですよね。
- 伊集院
- ましてや僕は「古典落語」っていう学校を
完全に中退してるから。
それで言うと、古典落語のすじ自体は
それほど僕にとって財産になってないんだけど、
「そういうときに師匠はどういうふうに
切り替えてたか」みたいなほうは、
よっぽどためになってて。
そのことはすごく思います。
- 糸井
- 伊集院さんの師匠である円楽師匠もまた、
その上の師匠たちがずーっと並んでるところの
こぼれたものを拾っては、自分のものにしてきて。
「どういう気の利いたことを言うか」なんて
習ったわけじゃないけど、
「あれかっこいいなぁ」と思った。
そこからの
「俺もああいうのできたらいいな!」が
いちばんの「学び」であり、「学校」じゃないですか。
- 伊集院
- いや、すごいわかるわ。すごい。
だからほんとに、
そういうことって師匠の側も教えようとして
言ってるわけじゃないから、
半分自慢話で言ってるんですけど。
(つづきます)
2024-01-31-WED
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