池谷裕二さんが書いた絵本
『生きているのはなぜだろう。』が
出版されて数か月が経ちました。
いま改めて池谷さんに問いたいのは、
なぜ世界はここにあるのか、ということです。
絵本を読んでいないみなさんにも
おたのしみいただけるように、この連載では、
本の筋にふれている言葉は隠しています。
隠したまま読んでも、このインタビューは
充分たのしめると思います。
池谷さんのいる東京大学の研究室にうかがったのは、
ほぼ日絵本編集チームの永田と菅野です。
文は菅野がまとめています。
2019年9月3日(火)に、池谷裕二さんによる
『生きているのはなぜだろう。』についての
特別授業があります。
ぜひ生で、池谷さんの講義を聴きにきてください。
絵本『生きているのはなぜだろう。』を
すでに読んだ方は、
ここをクリックしてからお読みください。
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──『生きているのはなぜだろう。』が
出版されて2か月が経ちました。
お読みになった方々から
感想が届きはじめているのですが、
やっぱりほかの本とは感想が違います。
池谷拝見しました。
──いちばん多かったのが、
「感想に何を書けばいいのかわからない」
というご意見でした。
池谷そうですね。
──それ以外のみなさんは、
大きくふたつに分かれています。
「難しくてわからなかった」という方と、
「スッとわかった。もっと早く読んでおきたかった」
という方。
池谷じつは私自身は「スッとわかった」という方が
意外と多くいらっしゃることに驚きました。
強い拒否反応を示す方が、
もっとおられるのではないか、と。
──拒否感があった方は
私が拝見する限りはそんなに多数ではないのですが、
意味がわからないとおっしゃっている方は、
たくさんいらっしゃいました。
池谷誤解を恐れずに言えば、
「意味がわからないこと」が
この本の目指したことである、と言えると思います。
これは、意味のわからないことが
どこまで自分たちに届くか、
という本なんだと思います。
糸井さんが、この本の紹介を
ほぼ日の「今日のダーリン」で書いてくださったときに
「『長持ちしそうな』わからない」と
表現なさっていました。
あの言葉、ほんとうにそうだなと思います。
2019年5月28日の糸井重里の「今日のダーリン」より
『生きているのはなぜだろう。』という本が出て、
あちこちから感想が聞こえはじめています。
制作中からぼくらが想像していたとおり、
「わからない」という感想はとても多いです。
想像があたったと、自慢したいのではありません。
「わからない」という感想がたくさん出るだろうけど、
この絵本は出そうねと、ぼくらは決めていました。
「わからない」と言われることは、出版社にとって、
とても怖いことではあります。
つまり、「わからない」ものは売れない、と、
どうしても思われるからです。
でも、ちょっと、もうひとつ思うんです。
「わからない」ものを、ぼく自身もさんざん買ってます。
わかると思って買った本も、わからない場合があります。
映画だって、わからないけどおもしろかったりします。
先日、「くまのプーさん」をあらためて読みましたが、
これはもう、日本語がものすごく高度でした。
こども向けの形式で書かれていますが、
大人でなければ、「わからない」だらけなはずですよ。
でも、こどもたちも『くまのプーさん』が好きです。
『生きているのはなぜだろう。』に関しては、
こども、ほぼみんな…だろうな、わからないでしょう。
でも、この本に描かれている「わからない」は、
いつかまたページを開くことになったとき、
「あああ、わかったかもしれない!」と言いそうな、
ものすごく長持ちしそうな「わからない」なのです。
もともとが、池谷先生が東京大学の新入生に向けた
最初の授業『なぜわたしたちはここにいるのか?』で
講義されることが、この本のもとになっています。
東京大学の新入生でも、そのときにわかったかどうか、
ちょっとわからないことです。
でも、「なんだかへんな感動がある」と言われるらしい。
その「へんな感動」と「わからない」は両立するのです。
一冊の絵本でそれができるとしたら、最高です。
で、そういう本ができてしまったのでした。
「わからない」と、どれだけ言われたとしても、
この本を出して、みんなに問いかけてみました。
読んでわからなくても、いつか、また読んでみてね。
池谷この絵本に対して、
嫌悪感をもったとしたら、
それがあたりまえだと思います。
急にこんなこと言われたら
「は?」「意味わかんない」
と思うのは当然です。
──その気持ちを最後につつむように、
池谷さんの解説ページがあって
ほんとうによかったです。
池谷解説の執筆は、編集部のおふたりが
ご提案くださったんですが、
書いておいてよかったです。
──9月3日に池谷さんに行っていただく特別授業には、
絵本の内容についてモヤモヤしている方々が
来られると思います。
池谷どうぞそのまま、
そのまま帰ってください。
追加することはございません。
──そんな!
池谷と、言いたいところです(笑)。
おそらく9月3日に私がやる講演は
あの話をさらに深く掘りさげること、そして、
絵本であるために言葉足らずだった部分を、
例をあげながら補足していくことを
軸にすると思います。
まぁ、当日まで時間がありますから、
まだ話したい内容が変わるかもしれませんが。
でも、ここで言っておきたいのは、
みなさんが感じておられるモヤモヤは
ネガティブなことじゃない、ということです。
──もっとポジティブな‥‥。
池谷そう、芽生えのような。
たとえばぼくは、
東大の学生さんたちを見ていてよく思います。
彼らはこれから旅立とうとしています。
ぼくから見ると、ポテンシャルの高い、
熱く内側にこもった力みたいなイメージです。
このお話があらわしていることもそう。
──「何を言えばいいかわからない」という
感想の次に多かったのは、
「ちょっとはわかってるつもりだけど、
全部がわかったとは思わない」
というご意見でした。
池谷すごく素直な受け止め方だと思います。
──はい、そうですね。
池谷私自身にだって、そんな実感はないんですよ。
──実感は‥‥ないですね(笑)。
池谷頭ではわかったかもしれない。
でもそれは、実感が伴わない理解なんです。
それが「ぜんぶわかったとは思わない」という
素直な感想としてあらわれている。
実感が伴わない理解って、おもしろいんですよ。
ぼくたちには、
わかって理解して進んでいく学習法と、
なんだかわからないけど自然にできるようになる
学習法のふたつがあるんです。
後者は例えば、スキーやテニスが上達するとか、
自転車乗るとか。
──なるほど。
池谷明示的意識には上がらないけれども、
なんだか気づいたらできている。
理屈としての実感が伴わないがゆえに、
わかったような、わかってないような気分になる。
そんな感じの理解のしかたは、たしかにあるんです。
この学習って、最近ちょっと忘れられてるんですよ。
学校の勉強では「どう? わかった?」って、
すぐ聞くでしょ?
あの確認作業によって失われた学習の形態だと
ぼくは思ってます。
──勉強したすぐあとに、
チェックテストのプリントで
定着を確認しますね。
池谷そうそう。そして点数化して「見える化」し、
フィードバックも早くなります。
生徒たちは義務教育の9年間で
いかに効率よくカリキュラムをこなすかという
システムの中に置かれているんです。
それに慣れていると、
「わからないってこと=悪」になってしまいます。
「え、わかんないの?」なんて周りから言われるし、
点数も低いから、自分でもよくないと思ってしまう。
でも、たとえば、魚のことを考えてみてください。
彼らは「わかってない」のに、
逃げる方向が正しい。
それを「動物的な勘」と世間では言います。
専門用語では「直感」。
これを彼らはどうやって身につけたのでしょうか。
チェックプリントのテストを
魚がクリアしたからじゃないんです。