池谷裕二さんが書いた絵本
『生きているのはなぜだろう。』が
出版されて数か月が経ちました。
いま改めて池谷さんに問いたいのは、
なぜ世界はここにあるのか、ということです。
絵本を読んでいないみなさんにも
おたのしみいただけるように、この連載では、
本の筋にふれている言葉は隠しています。
隠したまま読んでも、このインタビューは
充分たのしめると思います。
池谷さんのいる東京大学の研究室にうかがったのは、
ほぼ日絵本編集チームの永田と菅野です。
文は菅野がまとめています。
2019年9月3日(火)に、池谷裕二さんによる
『生きているのはなぜだろう。』についての
特別授業があります。
ぜひ生で、池谷さんの講義を聴きにきてください。
絵本『生きているのはなぜだろう。』を
すでに読んだ方は、
ここをクリックしてからお読みください。
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──魚の直感って、
たとえばどういうものですか?
池谷川のなかにいて、岩が前にあって、
背後から大きい魚に追われている。
自分は右か左に逃げなきゃいけない。
「えーっと、岩の右側は秒速◯メートルで
川の流速は、左は▲メートル、右は‥‥。
自分の筋力を考えたら右なら逃げられるはずだ」
なんてことは、魚は考えないで、
一気にスパッと逃げます。
その直感は、でたらめじゃないんです。
その直感が正しかった者だけが
進化の過程で食われずに、
淘汰されずに、生きていきます。
結局、いま残っているのは
直感の正しい生きものなんです。
偶然だけではここに来ない。
直感が正しく、つまり、
明示的な理解がないままなぜか正解できてしまう、
「わかったような、わかんないような感じ」の
モヤモヤで正解しつづけて、
みなさんはここまで来たんです。
──モヤモヤの正しい判断をして、
私たちは「人間」まで来られたんですね。
池谷しかし進化の過程で、
サルになったとき、急に大脳皮質が大きくなりました。
直感の部分、つまりテニスのスイングのように
「なんだかわからないけどできちゃう」ものは、
脳の線条体というところで学習しています。
線条体の外側にあるのが大脳皮質です。
──それがサルで大きくなって‥‥。
池谷人間は、大脳皮質がとても大きくなってしまった。
もちろんそれは悪いことではないのですが、
ほかの動物との大きな違いになりました。
つまり、数でいえば、大脳皮質がまさっちゃうんです。
大脳皮質が多数決では強い。
人は、そんなことが起こってしまった
ほぼ唯一の種なんです。
──そうすると、何が起こるんですか?
池谷バカにしはじめるんですよ。
──直感のほうを。
池谷そう。
「おまえ、何もわかってねぇじゃん?」ってね。
いや、ほんとうはそうじゃない、
わかんないほうが本質なんです。
でも、大脳皮質のほうが大きいせいで
「何もわかってないじゃないか。できないやつだな」
という判断をしてしまいます。
線条体でやる学習のほうは、進みも遅くて
わかりにくいし。
──『生きているのはなぜだろう。』は
自分にかかわることですから、
その「わかりにくいほう」の
学習かもしれないですね。
池谷そう。ですから
「わかったようなわからないような」という感想が
いちばん素直で、だから私もうれしいんです。
そのとおりなんです、と共感したい。
──その直感というのは、
絶対音感のような能力にも言えるんですか?
池谷あ、絶対音感はすこし違うんですよ。
絶対音感は、赤ちゃんはもっています。
──そうなんですか!
池谷最初にもっていた能力を
成長過程で捨てていくんです。
意識にのぼらないだけじゃなく、
積極的に活用しないようにあえて蓋をしています。
それが相対音感です。
しかし、明示的には絶対音感を
捨てたようにみえる大人の脳でも、
まだ絶対音感を感じている脳の領域があります。
──へぇえ!
自分はわかっていなくても、
脳だけが感じている‥‥。
では、学習して得る「直感」とは、
またちがうものなんですね。
池谷「無意識」な情報処理という点では
共通しているんですけれどもね。
学習によって完成されていくのが勘だとすると、
絶対音感は学習することによって捨てていく能力です。
じつは、絶対音感があると
暮らしていくのに多少不便があるんです。
「こんにちは」と女の人が言ったときと
「こんにちは」と男の人が言ったとき、
意味は同じでも、音の高さが違いますよね。
「こんにちは」とラの音からはじめた、
「こんにちは」とミ♭の音からはじめた、
これにいちいち反応しないためには、
絶対音感を捨てなくてはならない。
表層的な音の特徴にとらわれることなく、
言葉の内容に集中するうえで、
絶対音感は邪魔になります。
──しかし、いまラやミがわからない私であっても、
脳はわかってるんですよね?
池谷そう。脳は感じる。
フーリエ変換って知ってます?
──いえ。
池谷音を周波数に分けることをそういいます。
オーディオ機器なんかであるイコライザーで、
流れている音楽がスペクトラムみたいに
表示されているのを見たことはありませんか?
それがフーリエ変換です。周波数に分けているんです。
耳には蝸牛という器官があって、
ホルンみたいにクルクルと螺旋を巻いています。
蝸牛では耳の鼓膜を振動させた音を、周波数に応じて
ヘルツの低いものや高いものに分けています。
つまり、我々の耳は音をフーリエ分解してるんです。
そして分解された周波数を、神経に振り分けて、
脳に届けています。
それが最初に脳に届くのが聴覚皮質です。
聴覚皮質では、
音が周波数分解された状態のままですから、
ミとラの音では違う場所の神経が反応しています。
これをトノトピーと言います。
聴覚皮質には音階の神経反応があるのです。
ですから私たちはみな
神経としては絶対音感を持っています。
──では、野球の川上哲治さんが
「ボールが止まって見える」
とおっしゃったのは、おなじように
捨てていった能力ですか?
それとも直感ですか?
池谷ボールが止まって見える‥‥ことに
ちょっと近いのかも知れませんが、
幼稚園児は訓練を積むと
おはじきをバラバラッと机に16個まいて、
「いくつある?」
と訊いたら「16です」と答えますよ。
1秒かかりません。
ほぼすべての人が、訓練さえすれば
身につけることができます。
──へぇえ。
幼稚園生のときはできたのかもしれないけど、
いまはできません。
それは絶対音感と同じく、
捨てていったのですよね。
池谷不便じゃありませんか。
本の左右の文字数がぴったりわかる人も、
大人の方で、いらっしゃいます。
けれども本はまず、文を読むものでしょう?
そんなときに
「ああ、これ一行26文字ありますね」
なんていうことを気にしていられないのです。
──ということは‥‥、
多くの人はその能力を要らないと判断した。
言い換えれば、
捨てた人たちが生き残ってきた、
ということでしょうか
池谷そうです。
これを捨てることによって
新しく有益な能力を開発した、
大人になるとそういう人が増える、
ということです。