池谷裕二さんが書いた絵本
『生きているのはなぜだろう。』が
出版されて数か月が経ちました。
いま改めて池谷さんに問いたいのは、
なぜ世界はここにあるのか、ということです。
絵本を読んでいないみなさんにも
おたのしみいただけるように、この連載では、
本の筋にふれている言葉は隠しています。
隠したまま読んでも、このインタビューは
充分たのしめると思います。
池谷さんのいる東京大学の研究室にうかがったのは、
ほぼ日絵本編集チームの永田と菅野です。
文は菅野がまとめています。
2019年9月3日(火)に、池谷裕二さんによる
『生きているのはなぜだろう。』についての
特別授業があります。
ぜひ生で、池谷さんの講義を聴きにきてください。
絵本『生きているのはなぜだろう。』を
すでに読んだ方は、
ここをクリックしてからお読みください。
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──では、直感の例を挙げるとするならば、
やっぱりブーバ・キキ問題ですね。
いろんな人に
「どっちがブーバでどっちがキキ?」
と訊ねたら、大多数の人が同じ答えを出す、という‥‥。
池谷あ、そうです。
あれは直感です。
子どもはブーバ・キキ問題が苦手なことから、
こうした直感は経験から身につける部分が
大きいことが分かります。
──あれは、日本の人たちだけでなく、
いろんな言語の人がわかるんですよね。
池谷そうなんです。
ブーバ・キキ効果という名前をつけた人は
ラマチャンドランという神経科医なんですけど、
それまでにも、こういったことは
たくさんありました。
ブーバとキキじゃなくても、なんでもいいんですよ、
柔らかい音と硬い音という表現がそれですね。
そもそも「柔らかい音」「硬い音」と
私たちが言ってること自体がおかしいんです。
音に硬いとか柔らかいとか、ありますか?
音は物理実体ではありませんからね。
なのに「この硬い音がキキっぽい」ということが、
私たちにはわかります。
「温かい心」なんて言いますが、
べつに心に温度計を刺せるわけじゃありません。
でも、ぼくらは「温かい心」と聞けば、
わざわざ説明されなくても、
なんのことかがわかります。
そういう感覚が、直感に近いです。
説明不要。なんかわかる。
わかるんだけどモヤモヤしてて、
わかった自分について理解ができない。
なぜわかっちゃうかがわからない。
だからモヤモヤが消えない。
──わからないけどわかってるものがある、
ということを、
まずわからないといけないですね(笑)。
池谷そうなんです。
──その延長線で‥‥‥。
池谷はい。
──私たちがこのように、
知覚、認識してるから、
「この世界はある」
ということになるんですよね?
池谷そうです、そのとおりです。
すごく話がぶっ飛びましたが、
そのとおり。
──はい。
結局は世界のぜんぶを直感で
「モヤッとわかってる」んだな、と思いまして。
池谷「見える」なんてまさにそれです。
だいいち、この世界には、
電磁波しか飛んでないでしょう?
──ん‥‥‥んん?
池谷えーっと、まず、「見て」いるとき、
その見ている対象は電磁波です。
私たちは光でものを見ていますから。
光は電磁波──つまり、
直交した電気と磁気が振動しながら走っています。
この世界には、
さまざまな波長とさまざまな振幅のものが
ピンピンピンピン、飛び交っているんです。
いや、厳密に言えば、ただそれだけです。
そのめちゃくちゃ味気ない世界を、
網膜に写し取って電磁波を神経に変えて
ピピピピと脳に送ると、
色がついて見えたり、
コップに見えたりするんですよ。
つまり、みなさんが見ているのは、
電磁波を疑似カラー表示した風景です。
──えーっと‥‥。
池谷意味がわかんないですよね。
疑似カラーというのは、
人間の大きな特徴なんですよ。
天気予報では、
日本地図に気温や降水量の予想が示されますよね?
色をつけてありますが、
あの疑似カラー表示って、すごいと思いませんか。
ぼくらは説明されなくても、
赤いところが温度が高いとわかるし、
もしくは、雨が多いとわかります。
ぼくたちはふだんから、電磁波の世界を
疑似カラー表示で変換して見ることに
慣れてしまっているから、
あの天気図の表示法は
生理的に受け入れやすいんです。
そもそも世の中に色はありません。
──‥‥はい。
池谷デジカメのCMOSセンサーで
電磁波を受け取って、
これに色をつけて、モニターに表示する。
こうしたトリックが施された結果を
受動的に受け取って感知しているだけのことなのに、
見えたという実感が生じる。
──カメラは電磁波を
人間が見えるように、
再現しているってことですよね。
それをまた見て、
「写った写った」とか「よく撮れてる」とか。
池谷そうそう。
この世界に電磁波は飛んでいるけど、
それは色ではありません。
──でも‥‥、
「もの」はこうして、
たしかに目の前にありますよね。
まずは、この手の中の、ガラスのコップは、ある。
池谷いま、手でコップを持ちあげましたよね?
──はい。
池谷それがなんでわかるかというと、
目で見ているからです。
でも、目で見たものは、色に限らず、すべて幻覚です。
だから、自分の手で
コップを持ち上げていることは、幻覚です。
──‥‥‥‥‥???
池谷じゃあ仮に、
ほんとうに、
自分に手があったとしましょうね。
──はい(笑)、手が自分にあったとしましょう。
池谷いいですか?
手があって、コップを持つ。
いまは話を簡単にするためにも、そのこと自体は
疑わないようにしましょう。
ほんとうは疑わなきゃいけないんですが、
仮に、手でコップを持っていることは
疑わないことにする。
──はい、自分に手があって、
コップを持ったことは確かだと仮にして。
池谷コップをさわって、
皮膚の上にある神経に
ピピピピピピピピと届いていく。
するとコップに触れた感触が生じる。
でも、「これは触覚である」と、
脳が勝手に思いこんでるだけのことですよね。
脳にとっては、ほんとうは
ただのピピピ信号にすぎません。
──触覚じゃなくてピピピですか。
池谷世の中はすべてピピピです。
光は、網膜が電磁波で刺激されて、
ピピピピピピと伝わるだけです。
光そのものが脳に届いているわけでも、
コップの存在そのものが
脳に届いているわけではありません。
あくまでも網膜や皮膚センサーで、
ピピピという神経発火に変換されて、
そのピピピが脳に届けられているのです。
神経発火は、それ自体は、ただの発火で、
すべて同一で、区別がありません。
だから脳は、このピピピは光ってことにしよう、
色はこうやってつけることにしよう、
これは手がさわっている触覚ってことにしよう、と、
あとから解釈してるんです。
これは「アノテーション」といいます。
意味づけするという意味です。
──ピピピピを勝手に意味づけしてるだけ‥‥。
池谷目の前で自分がコップを持った瞬間に
ピピピと来ますから、
こう見えてるんだし手からピピピが入ってきたから、
これは「さわった」と仮定しよう。
なぜなら、つじつまが合うからです。