池谷裕二さんが書いた絵本
『生きているのはなぜだろう。』が
出版されて数か月が経ちました。
いま改めて池谷さんに問いたいのは、
なぜ世界はここにあるのか、ということです。
絵本を読んでいないみなさんにも
おたのしみいただけるように、この連載では、
本の筋にふれている言葉は隠しています。
隠したまま読んでも、このインタビューは
充分たのしめると思います。
池谷さんのいる東京大学の研究室にうかがったのは、
ほぼ日絵本編集チームの永田と菅野です。
文は菅野がまとめています。
2019年9月3日(火)に、池谷裕二さんによる
『生きているのはなぜだろう。』についての
特別授業があります。
ぜひ生で、池谷さんの講義を聴きにきてください。
絵本『生きているのはなぜだろう。』を
すでに読んだ方は、
ここをクリックしてからお読みください。
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池谷自然を解明するのが科学だと言う人がいますが、
そうではありません。
自然は解明できるようなものではないのです。
人工知能ですらこんなことになっているんです。
自然を人間の理解できる言葉に
「翻訳する」のが科学です。
もし人間が理解できなかったら、
科学とは言わないんです。
──うわぁ、そうか。
池谷だから人工知能の画像は科学ではありません。
だってわからないからね(笑)。
ビッグデータは、
データマイニング──つまり、解析することによって
はじめて本質が理解できた気になります。
しかしビッグデータは、そもそもが真実のことです。
ほんとうは
「真実だから、あれでいいじゃん」
ということなんですよ。
しかしビッグデータは、ビッグすぎるから、
人間には理解できない。
だからそこから、
人間に理解しやすいデータや特徴を
探して解析するのです。
ビッグデータの「ビッグ」という言葉は
人間の都合です。
人の理解のキャパを超えたものを
「ビッグ」といっているに過ぎません。
──うーん、なるほど。
池谷人工知能はビッグデータを
解析する必要がありません。
そのままを解釈して、アノテーションします。
「だってビッグデータでしょ、以上」みたいな感じ。
いや、そもそも「ビッグ」だとは
感じていないですよね。
でも、ぼくたちにとっては、生のままじゃあダメ。
なぜならぼくたち人間は「解釈する生きもの」だから。
科学は自然を解釈する行為です。
しかも人間の、こんなに癖のある脳を使って
解釈しなきゃいけない。
ですから、翻訳者が重要になってきます。
その翻訳者が科学者なんです。
だから、科学はとっても人間臭い所作なのです。
科学者たちは、時代とともに、だんだん上手になり、
昔は翻訳できなかったものを
次々に翻訳できるようになってきました。
これを世間では「科学の進歩」といいます。
しかし、個々の科学者が何をやっているかというと、
「いまの科学のリテラシーをもって、
自然現象の中のこの辺りならば
自分の能力でも翻訳できそう」
ということだけに焦点をしぼって、
翻訳を試みているのです。
当然ながら、都合のいいところだけを見て、
理解した気になってしまっている可能性があります。
──ビッグデータをビッグデータのまま
受け止めるようなことは、
ちょっとできないですね。
そういう芸術はありそうだけど‥‥。
池谷そうですよね、
芸術は「わかる」という必要がないから
科学という作業よりも、ずいぶんと素直です。
科学という職業は翻訳の限界に挑む仕事なのです。
ビッグバンはその臨界点のひとつです。
「ビッグバンの前って何?」という問いは、
ふつうは誰もが思うだろうし、私も思います(笑)。
いまの人間の世界の解釈から鑑みて、
しごく自然な発想です。
しかし、その問いの前提は、
人間が翻訳できる範疇の外側にあるんです。
だから理解しようとしちゃいけないものと言えます。
理解しようとするから困難さを覚えるし、
不安も覚えるし、
まぁ、言ってしまえば、
途方に暮れるわけですよ、もう。
──はい。
池谷でも、理解しなくていいんだ、
そもそも理解できる類のものですらない。
だから、これでいいじゃん、
だってこうなんだもん、
ということで、受け止めましょう。
──ビックデータと同じように、か‥‥。
『生きているのはなぜだろう。』を
読んだ方からいただいた感想のなかに、
「父と母にやさしくしようと思いました」
というメッセージが混じっていたのですが、
その理由が、いまわかった気がしました。
いろんなことを受け止めて、納得はできないままでも、
そう感じることがあるのがいまはわかります。
池谷しかたがないんです。
ぼくらが何かをわかるためには、
実感が必要になってくるんです。
──ああ、そうですね。
池谷例えば平安時代の人に、
ワニを説明するとしましょう。
当時は動物園がありませんから、
人びとはワニを見たことがありません。
さぁ、平安時代の人に、
ワニを一所懸命説明してみましょう。
「細長くて、水辺にいて、
体躯から手足が生えててね、肉食でね」
なーんて、そんな説明をいくら並べられても、
ワニのことなんてほんとうはわかりませんよね。
でも、彼らは先の説明だけで、きっと
「わかった」と言ってくれます。
──ああ、みなさん
「わかった、わかった」と言ってくれそうです。
池谷ときに私たちは、
身近なものに類似例が見つかると
「わかった」と感じます。
たとえば
「ワニって、イモリみたいな生きものだね」
──うわ、違う。
池谷でも、平安時代の人にとっては、
ものすごく「わかった感」あるんです。
なぜなら、彼らの実感が伴うところで
納得しているからです。
さっき見た人工知能のなかみには、
実感が伴わなかったでしょう?
『生きているのはなぜだろう。』の
ということにパッと実感が伴っちゃう人がもしいたら、
それはワニをイモリにたとえてただけのことです。
でも、それはとんでもない誤解かもしれない。
だって、今後、平安時代の人との会話で
ワニの話題が出るたびに、
彼らの頭に浮かぶのはイモリですよ。
てことは、誤解なんです。
ですからもしかしたらあの本を
「わかっちゃった。納得!」
と思うほうが危険かもしれません。
──なるほど。
池谷糸井さんがこの本について言ってくださった
「長持ちしそう」という言葉は、
真実を射抜いていると思います。
このよくわからない物語は、実感を伴いません。
理屈を言っているのはわかるけれども、
実感伴わないからわかんない、
と言ってもらうのが正しいのでしょう。
私自身も実際はそんな感じです。
──池谷さんにも、この本は、わからない。
池谷科学者って無力だな、
ぼくらは非力だな、と思います。
こんな大自然のなかにいて、
何やってんだろう、と思います。
そもそも自分の脳はピピピ信号だし。
──でも‥‥その、
「そもそもピピピ信号なんだよワハハ」
という視点をもっていたほうが生活がおもしろくなる、
ということはわかります。
池谷うん、ワクワクしますよね。
このピピピだけの世界を、
みんなで共有しているたのしさがあります。
ほんとうはピピピです。
そこには価値も何もない。
価値という言葉すら無効化されます。
このおもしろさ自体がわからないことだから、
なかなか人には伝わらない絵本ですよね。
っていうか、そもそも今回のこのインタビューも、
文章になりますか?
──わかってないから、
たぶんできると思います。
池谷あはは(笑)。
いまぼくたちは「わかる」という癖に
どっぷり浸かりすぎているのかもしれませんね。
「わかること、最高!」なんてことになってる。
これは、小学校のときから
「どう? わかった?」と訊かれて育った
宿命ですね。
──やっぱり人間はストーリーテラーなんですね。
信号からあとづけの物語を考える天才だ。
池谷そう。アノテーションで、
ぼくたちは多くのピピピに
意味を与えて生きてきました。
でもね、そうでないと、味気ないでしょう?
ほんとうはピピピなんだけど、
味気ないものには我慢できないし、
そもそもぼくたちは、
味気ないものを理解できないのです。
だからぼくたちは、自分が理解できるように
意味づけを与えていくんです。
──そうして、味つけや意味づけをしていった人間が、
生き残っていったわけですね?
池谷そうそう、うんうん(笑)、
その考え方が好きなんですね。
いろどり豊かな人生‥‥の虚構を、
歩んだ錯覚に陥っている人、のほうが
生き延びるんです。
──はい、私たちは生き延びている。
池谷はい、そうです(笑)。
──ありがとうございました。
池谷ありがとうございました。
9月3日、たのしみにしています。
──はい、とってもたのしみです。
9月3日、特別授業で、
また池谷さんのお話をたっぷり聞きます。
今日はありがとうございました。