- 水野
- さきほど糸井さんが、
自分が書いた文章やコピーについて
「誰が書いたかどうかはどうでもいい」
ということをおっしゃいましたが、
糸井さんに、そこで葛藤した時代はありますか?
たとえば、いまのぼくくらいの年代とか、
自分の仕事がどんどん世の中に
広がった時期があると思うんです。
そのとき「これは自分が作ったものだ」とか
言いたくなったりはしなかったでしょうか。
- 糸井
- うーん‥‥誰かが勝手に真似してたら
「それはダメでしょう」と思いますけど、
ほかの人より、その思いはないかもしれない。
ぼくは出身がコピーライターなので、
もともと気持ちが匿名なんです。
- 水野
- ああ。
- 糸井
- ただ、近くの人に褒められたときには
すごく「俺だよ」とか言ってると思います(笑)。
つまり、うちのカミさんはそういうことを
まったく褒めない人ですけど‥‥。
- 水野
- (笑)。
- 糸井
- だけど、もしカミさんが
「あれ良いね」って言ったら、
そのときぼくはものすごく
「オレオレ」とか言うと思いますね。
あと、社内の人たちから
「糸井さんのこれ、すごく好きです」とか言われても、
メッチャクチャうれしい。
でも、知らない人が褒めても褒めなくても、
そこはどっちでもいいです。
- 水野
- その感覚、ぼくもまったく同じです。
「自分がやったんだぞ」と言いたいのは、
身近な人たちに褒められたときというか。
- 糸井
- 自分のやったことで周りが喜んでくれるのは、
「おもしろいゲームの発起人をした」
みたいなことなんですよね。
ちょっと、高級ステーキをみんなに
奢っているような気分にも近かったりする。
そういう周りへの「俺が考えた!」は、
ほかの人より言うかもしれない(笑)。
でも、そういうときくらいかな。
- 水野
- ただ、糸井さんのことばというのは
「おいしい生活。」だったり、
社会に大きな影響を与えることも多いですよね。
そこに喜びや不安を感じることはないですか?
- 糸井
- それはもちろんありますよ。
だけどそこも自分は
コピーライター出身なのが大きくて、
書いたことばが良いだの悪いだの
いろいろと言われていく道のりは、
最初から想像しながら書いてますから。
- 水野
- 起こる波を、事前に想像してある。
- 糸井
- ええ。だからたとえば
「おいしい生活。」の決裁者は
当時の西武百貨店社長の
堤清二さんという人だったんですが、
「このことばに決まった場合、
それこそ女性問題とかが出たとき、
週刊誌とかに『堤清二のおいしい生活』って
書かれますよ。それでもいいですか?」
といったことは確認しています。
そこは覚悟しておいてもらう必要があるから。
そのとき堤さんからは、
「それはもう結構ですよ」と
言ってもらったんですけど。
- 水野
- ええ。
- 糸井
- あと、いまはツイッターとかで、
知らない人から変に非難されて‥‥
もありますけどね。
なにかあるたびに、
「糸井は電通から金をもらってるから」
みたいなことを言う人が必ずいるんです。
仕事しないでもらったこと、ないけどね。
ただそれには、
「さびしいなあ」と思うだけですよね。
- 水野
- それも受け入れるんですか?
- 糸井
- 受け入れたくはないですけど、
そう思った人がいたのは事実ですよね。
そして、そういう話って、
発言した人は信じ切ってると思うんです。
その本人が固く信じていることばを
「違うんだよ」と変えさせる自信は、ぼくにはない。
- 水野
- ああ。
- 糸井
- もちろん、そこで嫌な気持ちに
ならないわけはないです。
たぶん水野さんも、勝手にいろいろと言われて
傷つくネタはいつでもあるでしょう?
人からは
「あなた、傷つくことなんてないでしょう?」
とか言われるんだけど。
- 水野
- あります、あります。
- 糸井
- そこはぼくもそうですよ。
傷ついたり疲弊したりがないわけはないです。
だけどそこで
「なんとかその誤解を解きたい」と
動きはじめたら、
それがライフワークになってしまう。
そんなことをしている暇はない。
だけど、その同じ時間にたとえば、
拾ってきたドングリを土に埋めて、
芽が出て、人が「どれどれ」って寄ってきたら、
誤解は解けないかもしれないけど、
喜ぶ人は増えますよね。
同じ時間なら、ぼくはそういうことに使いたいんです。
- 水野
- なるほど‥‥。
ただ、ぼくはまだみんなに
わかってほしい気持ちが強くて(笑)。
「誤解されてるな」と思ったら、
すべてを説明できないのもわかりつつ、
すごくガタガタと自分の作品について
説明してしまったりしています。
- 糸井
- いやいや、その気持ちはありますって。
- 水野
- そうですか?
- 糸井
- それはそうですよ。
とはいえ、誤解や伝わらないことって、
ついてくるものだと思うんです。
- 水野
- ああ、そうですよね。
- 糸井
- 表現で仕事してるのって、
やっぱりちょっと変だと思うんですよ。
たとえば、水野さんもたぶん暮らしのなかで
「もうちょっと考えたら詞になるな」
と思うこととか、いっぱいあるでしょう?
だけどそんなふうに日常を見てるの、
変じゃないですか。
たとえばお母さんからしたら、
「この子、なにかすごく考えてるけど、
いまは早く食べてほしいなあ」みたいな。
- 水野
- わかります。
- 糸井
- そういう変わったことを考えているわけだから、
伝わらなかったり、
やいやい言われるのはしょうがない。
だから、誤解をなんとかしようとするより、
「その変な自分がもっと楽しくなるには
どうすればいいんだろう?」
とか考えるほうがいいんじゃないかな。
そして、その変さって、
やめられるならやめてもいいんだと思うけど、
やめられないものだし。
表現者はみんな、そのあたりのことを
しょっちゅう行き来しているんじゃないでしょうか。
- 水野
- 糸井さんもそうですか?
- 糸井
- それはそうですよ。
そして、そういう大もとの
「もともとやめてもいいような
変なことを始めたんだよな」
という感覚は、
なにかこう、心の片隅に
大事なものとして持ってたほうが
いいと思うんです。
もちろんそうやって言いながらも、
「でもやめないよ」も大人の約束なんだけど。
(つづきます)
2016-10-24-MON