- 水野
- 糸井さんも「やめたい」とか
思うことはあるんでしょうか?
- 糸井
- 若いとき、すぐに「やーめた」と
言っていた時期はありますよ。
そのときはやめる代わりに
「解散はおもしろおかしくやる」というのが
ぼくのやりかただったんですけど。
ただ、いまやってる「ほぼ日」とかって、
やめるつもりがなくなったことなんです。
「自分ひとりの話じゃないなあ」みたいな。
おそらく歌の人も、そういうところが
あるんじゃないですか?
聴いてくれたり、買ってくれたり、
サポートしてくれたりする人まで含めて
大きい自分、みたいな。
- 水野
- すごくわかります。
だけどそれ、苦しくないですか?
- 糸井
- たしかに苦しさもありますよ。
でも、喜びもある。
子供を育てるときと同じようなもので、
「義務だから育てなきゃ」とか以上に
子供が笑いかけてくれるとか、
ちょっと余計にことばを覚えたとか、
そういうのが楽しいわけで。
- 水野
- ああ。
- 糸井
- 自分がやっていることが、周りとの関係のなかで
もくもくと入道雲みたいに広がっていく。
それは「水平線、遠いなあ」「おーい!」みたいな、
自分では作れっこない
広い海のおもしろさにも似てくるんですよね。
そしたらもう「やーめた」はできない。
だからいまはもう
「どうすればこの海を、よりよく残せるんだろう?」
みたいなことを考えています。
- 水野
- ぼくはまだ、ぜんぜんそこまで
行けてなくてですね‥‥。
ぼくのものづくりは、もともと
「さみしさ」からスタートしていて。
- 糸井
- いや、そうだと思うよ。
「さみしさ」はすべてですよね。
- 水野
- 10代の男の子によくある話だと思うんですが、
学校内でコミュニケーションがうまくとれない。
でも、自分の存在も認めてもらいたい。
そのときにたまたま持っていた武器が
「曲を作ること」だったんです。
そしたらクラスメイトがそれを聴いて、
「お前すごいよ」「これいいよ」とか言ってくれて。
それがすごく自分の肯定感につながって。
- 糸井
- うん、うん。
- 水野
- そしたら、自分は友達を作るのが
ほんとうに苦手だったのに、
路上ライブをするようにもなって。
お客さんが集まってくれて、知り合いが増えて。
人がだんだんこっちを向いてくれるようになって。
やり続けるうちに仲間も増えて。
さらにたくさんの人の助けを借りて、
大きなことをできるようになって、
そういう延長にいまがあるんですけど。
- 糸井
- それ、すごくうれしいよね。
- 水野
- うれしいんですよ。
そして「いきものがかり」はぼくに限らず、
3人ともそれぞれの思いがありますけど、
まぁ、みんなその「さみしさ」が
すごく大事なところがあるんです。
そんなふうに「さみしさ」から
はじまってるものですから、
この状況は、もちろん幸せなんですね。
うれしくて。
だけど、こんどはだんだんその、
もともと自分たちの夢だったことが、
「自分たちの夢だけではなくなっている」怖さに
気づきはじめていて。
‥‥たぶん、それがいまのぼくらで。
- 糸井
- それ、怖いですよね。
- 水野
- そうなんです。
だから、どうすればいいのか、
考えつづけているんですけど。
- 糸井
- だけど、その怖さはこれからも
ずーっとあり続けるんじゃないでしょうか。
- 水野
- そういうものですか。
- 糸井
- だと思うんです。
そして、ぼくもそうですけど、
ほんとはみんないろいろな場面で
「ぜんぶやーめた」とか言いたいんです。
そうやってやめても、うまくいくかもしれないし。
それで、そういうときのぼくの感覚は
「だんだんと父親的になる」って言いかたが、
いちばん近いかもしれない。
どんなにすべてを投げ出したくても、
子供を置いていけないんですよね。
- 水野
- ああ、なるほど。
- 糸井
- 水野さんはいま、おいくつですか?
- 水野
- ことし34になります。
- 糸井
- じゃあきっと、そういうことを考えながらも、
いろいろなことがおもしろくて
しょうがないんじゃない?
「ここを押したら、あっちが動いた」
みたいなことだらけで。
- 水野
- はい、あります、あります。
- 糸井
- だからまずは、考えることは脇に置いて、
その状況を楽しめばいいと思うけどね。
まあ、この「楽しめ」は大人の発言で、
当事者には言えないんですけど。
客観的にはそうだと思います。
大したことじゃない。
- 水野
- それは「開き直る」とは違うんでしょうか。
- 糸井
- 違いますね。
いま、すごく大きな山に見えているものも、
実はみんなの人生でふつうにあることの
サイズ違いだけだなんじゃないかな。
だから、動けばいい。
- 水野
- 考えなくてもいい。
- 糸井
- うん、いや、考えるかどうかって、
自分の都合なんですよ。
「どれだけ考えたか」とかって
本人はえらく価値だと思いがちなんだけど、
周りからみたら、とくに価値じゃない。
「歌を作るのが好きだ」と同じように
自分が考えたいから考えてるだけで、
ほかの人には関係ない。
昔の自分にも言ってあげたいくらいだけど(笑)。
考えても考えなくても、どっちでもいいんです。
むしろ大事なのは
「誰を喜ばせたんだろう?」
「自分は楽しかったんだろうか?」のほう。
あとで振り返ると、
気にすべきことはそっちなんですよ。
- 水野
- そうか。
- 糸井
- 動物同士だったら、
もし餌が足りない状況があって
そこで餌をとってきたやつがいたら
ただただ「ありがたい!」じゃないですか。
そこで、餌がないことに悩んで
「餌を手に入れる意味は?」とか
「犬としての人生は‥‥」みたいなこと考えて
動き出さない犬がいても、困るじゃない?
- 水野
- そこじゃないですね(笑)。
- 糸井
- うん、だから考えても考えなくても
そこはどっちでもいいんだけど、
「とにかく歩き出せ」ということだと思うんです。
(つづきます)
2016-10-25-TUE