- 水野
- 「考えるのではなく、歩き出せ」
といういまの話で思い出したのが、
ぼくらのキャリアで一番ヒットしたのが、
『ゲゲゲの女房』という番組の
主題歌の「ありがとう」という曲なんですね。
- 糸井
- はい、はい。
- 水野
- いまだから言えるんですが、
この曲、作ったときはまったく自信がなくて、
「大丈夫なんだろうか」と思いながら
出してしまったものなんです。
自分の手ごたえがなくて、すごく不安で。
だけど、それが世の中に届いていった。
- 糸井
- いやいや、いいねえ。
- 水野
- どうしても書き手って、自分の手ごたえを
大事にしてしまう性(さが)があって、
出したあと、世の中から
いいと言われているのを聞いても、
「それでもやっぱり、
自分がピンときてないんで、
だめなんじゃないか」
みたいに思ってたんですね。
だけどそれが、あるとき変わった瞬間があって。
- 糸井
- うん。
- 水野
- 近所のお弁当屋さんに行ったら、
隣で同じくらいの歳の若い夫婦が
お惣菜を選んでいたんです。
そしたら、たまたま有線放送で
「ありがとう」が流れてきたんです。
すると奥さんのほうが、
「あ、『ゲゲゲ』の曲だ。私これ好き」
みたいな感じで話し出して、
そしたら旦那さんも鼻歌を歌いはじめてた。
そんなふうに、ふたりで楽しそうに
歌の話をしてるんですよ。
もちろんぼくのことなんか気づいてないし、
ただ普通の日常の会話があって。
そのとき、
「自分の手ごたえなんかより、
こっちのほうがはるかに尊いぞ」
と感じて。
- 糸井
- はい、はい。
- 水野
- この夫婦の何気ない日常の会話の
きっかけになったということは、
これはもう、自分の手ごたえなんかより、
じゅうぶん価値を生めているんじゃないかって。
そこで意識が変わって、
やっと「この曲はいい曲です」と
言えるようになったんです。
- 糸井
- よかった、よかったねえ。
- 水野
- そのことはすごく思い出に残ってて。
そういうことがあって、一気に
曲に対する考えかたが変わりました。
- 糸井
- いまの話は、水野さんのサイズが
大きくなった感じがしますね。
たとえば実際、腹が減って死にそうな旅人の前に
ウサギがやってきて、
「じゃあ、いいことばをあげるよ」
とか言ってきても、違うんです。
旅人は、食べられるものがほしいんですよ。
「それよりおまえを食ってしまいたい」
かもしれない。
だから、ひどい話だけど、そのウサギが、
「自分を丸焼きにして食べてください」
って言ったらそれこそもう、
感謝を超えた感謝みたいになりますよね。
自分の肉って、自分が作ったものでは
ないじゃないですか。
天から与えられたもので。
それを差し出すっていうのは
すごい「ありがとう」になりますよね。
- 水野
- なりますね。
- 糸井
- そんなふうに、頭で考えてできたものより、
ただいる自分の存在のほうが
でかいんじゃないでしょうか。
- 水野
- ああ、そうですね。
- 糸井
- だから「ありがとう」なんていうのは、
タイトルからしてもう、
そのへんの石を拾ってきて置いたみたいなもので。
- 水野
- そう、そうなんですよ。
‥‥ってきっぱり言いますけど(笑)。
- 糸井
- その「ありがとう」は、いままでの人間が
歴史をかけて積み上げてきたもので、
頭で考えたことより、ずっとでかいわけです。
「ありがとうってことばを、俺は自分流の
もっといい感じで言い換えるぜ」
なんて、大したことじゃないんじゃないかなあ。
- 水野
- それこそネット上の批判としては
「この曲、何も書いてないじゃないか」
と言われるんですけどね。
だけど、ぼくにしてもそこは、
「そうなんですよ!」という話で(笑)。
何も書いてないところに、さきほどの夫婦みたいに
いろんな人が思いを入れてくれる。
それこそに、すごく価値があると思ってて。
何か書いてしまって、
「こんな状況でありがとう」とか言ってしまうと、
途端に誰ともつながれなくなる。
みんながそれぞれにこめる「ありがとう」は
家族へのありがとうなのか、
先生へのありがとうなのか、
ちょっとものを拾ってくれたときの
ありがとうなのか、
どれかはわからないけど、どれもが尊くて。
それらみんなにつながれるのは、
そのどれでもないことばじゃないといけない。
そして、それぞれの人の心にふっと入って、
ふっと出て行くみたいな。
実はそういうことをできるということが
曲にとっては、すごく大事なことじゃないかと
思っているんです。
- 糸井
- それがわかったのはたぶん、
すごくよかったですよね。
そこに気づけないと泥沼に入りますよね。
- 水野
- 入りますね。
いや、まだまだ浸かってる気はするんですけど。
(つづきます)
2016-10-26-WED