- 水野
- 音楽って「誰々の作品」と打ち出すことが
すごく多いんです。
たとえばぼくが曲を作るとやっぱり、
「水野さんの曲」と受け取られることが多い。
だけど、ぼくは実際はそうしたくないんですね。
自分が作ったものでも、テーブルの真ん中に置いて、
ほかの人と同じ距離で聞きたいんです。
- 糸井
- いいですね。
そして、そうなっていくんじゃない?
そうありたいと思っているから。
- 水野
- なりますかね。
- 糸井
- うん。そしてその感覚は、
ぼくにはすごくかっこよく思えるけどね。
- 水野
- ただぼくは、そんなことを言いながらも
また悩むわけです。
というのが、その
「自分の曲じゃなく、みんなの曲にしたいんだ」
という説明のために、
自分自身がすごく語っているという矛盾と。
- 糸井
- ああ。
- 水野
- さらに、ぼくには
「テーブルの真ん中に自分の作品を置きたい」
と言いながらも同時に、
「作ってるの、俺だな」の気持ちがあるんです。
曲って、みんなが気持ちを入れる
器のようなものだと思うんですね。
そして器って、そのかたちから
持ちかたや飲みかたが変わるし、
中身の楽しみかたが決まってくる。
そしてそういうものとしての歌が、
思いを入れる人の気持ちに
すこしでも影響を与えていると思うことが、
ぼくにはちょっとうれしくて。
- 糸井
- それがうれしいのは、
自然なことじゃないでしょうか。
- 水野
- それ、肯定しても大丈夫ですかね。
- 糸井
- うん。
人間ってそういう
「ちょっとうれしい」が好きじゃない?
神様だと、そういう「うれしい」って
思わない気がするけど。
そういう「ちょっとうれしい」って
明日がきそうだし、すごくいいよね。
- 水野
- あぁ、そうですね。
- 糸井
- あと、水野さんは
「みんなの曲なんです」とも思いながら、
同時に「聴いてくれー!」みたいな、
ガツガツした心の叫びみたいなものも、
ありますよね。
- 水野
- はい、あります。
- 糸井
- エゴかもしれないけれど、
そこも楽しめばいいんじゃないかな。
そういうのって、ある意味では
あざとかったり、品が悪かったりする
考えなんだけど、そこがあるからこそ、
よりおもしろくなるのもあるし。
「風になってしまえ」も憧れるけど、
同時に人間としては、
風を起こす人でもありたいじゃないですか。
- 水野
- いまぼくは、糸井さんがそう
言ってくださったことに、すごく安心しました。
なんだかそういったことを考えたり、
喋ったりしている自分が
「あざといな」という気は、すごくしていたので。
- 糸井
- もちろんそんなことしないほうが
品はいいですよ。
なにも考えず、生まれて、畑を耕して、
結婚して、子供を育てて、
死んでいく人がいちばん上品です。
でも、変な欲をかいたり、
心の底から「ワァッと言わせたい」と思ったりとか、
「この女の子をものにするにはどうすれば」とか
一所懸命考えるのも、人間界のことだから。
そういう部分は人間としての、
「おたのしみ」でもあると思うんだよね。
それがあると、さみしくないんです。
- 水野
- ああ、そうか。さみしくない。
- 糸井
- 昔の宗教の開祖の話に
こういうものがありますよね。
「南無阿弥陀仏と言うと、極楽にいけるんだよ」
という話をしているときに、弟子が
「じゃあ、いまでもいけるんですか?
いつ死んでもいいんですか?」
と聞いたらしいんです。
そしたら開祖は
「いや、いろいろと思い残すところがあって、
いまはまだ」と答えたって(笑)。
死ぬのはやっぱりさみしいもんだよ、
このバカどもといっしょにいたいんだよ、って。
- 水野
- いいなあ。
その「いろいろと思い残すことがあるんだよ」と
言った人、ぼくは大好きです。
- 糸井
- それは親鸞です。
親鸞はそういうことをぜんぶ言う人で、
「それが人だからね」って言うんだよ。
- 水野
- そうなんですか。
- 糸井
- ええ。だからみんながいま
普通に考えているようなことって、
聖書から、親鸞から、大昔から人々が
考えてきてることなんですよね。
- 水野
- いまの親鸞の話で思い出したことで、
たまに
「私は完全に幸せです」とか
「私には欲なんてありません」とか
言いきる人がいるじゃないですか。
でも、ぼくはそういう発言に対して、
「その感覚、ほんとなんだろうか?」
と思うところがあるんです。
それより、なんかすごい失敗したりとか、
泥かぶっちゃった人が言う幸せのほうが
信用できるというか。
- 糸井
- やっぱりそこは、的を狭くすれば、
必ずダーツを当てられるじゃないですか。
現実を一部しか見なければ、
その部分で「完全に幸せ」だってできる。
でも現実は、突風が吹いてきたり、
人が横切ったりするところで
的に当てようとするからおもしろいんで。
そのとき言われる「完全な幸せ」とかって
ゲームボードだと思うとさ、
「その単純なゲーム、買う?」ってならない?
「途中で穴に落ちて3マス戻る」とか、
落ちたときはうわぁと思うけど、
「じゃあどうしよう」とかも含めて
おもしろいじゃないですか。
シンプルなほうが整理はしやすいんだろうけど、
この世って、
「やっぱり未練があるような
ややこしさがあったからおもしろかったよね」
だと思うんだよね。
落とし穴に落ちたとき、泣いたくせに(笑)。
- 水野
- (笑)。
- 糸井
- だから、なんだろう‥‥。
いま、悩んだり、考えたり、
いろいろあるかもしれないけれども、
その「いきものがかり」をしてて、
曲を作ったり、できなかったり、
まぐれみたいにできるものがあったりという
ぜんぶがおもしろいじゃないですか。
- 水野
- はい。
- 糸井
- だから、いまは元気に
楽しんだらいいと思いますけどね。
- 水野
- ちょっとお父さんと話しているみたいな(笑)。
実はうちの父親が
ちょうど糸井さんと同じ年なんです。
- 糸井
- きっと似たようなことを言ってるんじゃないかな。
そんな気がするけどね。
(つづきます)
2016-10-27-THU