HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

いまは走れば、
いいんじゃない?
<対談> 水野良樹(いきものがかり)× 糸井重里
5.人間界のおたのしみ。
水野
音楽って「誰々の作品」と打ち出すことが
すごく多いんです。
たとえばぼくが曲を作るとやっぱり、
「水野さんの曲」と受け取られることが多い。
だけど、ぼくは実際はそうしたくないんですね。
自分が作ったものでも、テーブルの真ん中に置いて、
ほかの人と同じ距離で聞きたいんです。
糸井
いいですね。
そして、そうなっていくんじゃない?
そうありたいと思っているから。
水野
なりますかね。
糸井
うん。そしてその感覚は、
ぼくにはすごくかっこよく思えるけどね。
水野
ただぼくは、そんなことを言いながらも
また悩むわけです。

というのが、その
「自分の曲じゃなく、みんなの曲にしたいんだ」
という説明のために、
自分自身がすごく語っているという矛盾と。
糸井
ああ。
水野
さらに、ぼくには
「テーブルの真ん中に自分の作品を置きたい」
と言いながらも同時に、
「作ってるの、俺だな」の気持ちがあるんです。

曲って、みんなが気持ちを入れる
器のようなものだと思うんですね。

そして器って、そのかたちから
持ちかたや飲みかたが変わるし、
中身の楽しみかたが決まってくる。
そしてそういうものとしての歌が、
思いを入れる人の気持ちに
すこしでも影響を与えていると思うことが、
ぼくにはちょっとうれしくて。
糸井
それがうれしいのは、
自然なことじゃないでしょうか。
水野
それ、肯定しても大丈夫ですかね。
糸井
うん。
人間ってそういう
「ちょっとうれしい」が好きじゃない?
神様だと、そういう「うれしい」って
思わない気がするけど。
そういう「ちょっとうれしい」って
明日がきそうだし、すごくいいよね。
水野
あぁ、そうですね。
糸井
あと、水野さんは
「みんなの曲なんです」とも思いながら、
同時に「聴いてくれー!」みたいな、
ガツガツした心の叫びみたいなものも、
ありますよね。
水野
はい、あります。
糸井
エゴかもしれないけれど、
そこも楽しめばいいんじゃないかな。

そういうのって、ある意味では
あざとかったり、品が悪かったりする
考えなんだけど、そこがあるからこそ、
よりおもしろくなるのもあるし。

「風になってしまえ」も憧れるけど、
同時に人間としては、
風を起こす人でもありたいじゃないですか。
水野
いまぼくは、糸井さんがそう
言ってくださったことに、すごく安心しました。
なんだかそういったことを考えたり、
喋ったりしている自分が
「あざといな」という気は、すごくしていたので。
糸井
もちろんそんなことしないほうが
品はいいですよ。
なにも考えず、生まれて、畑を耕して、
結婚して、子供を育てて、
死んでいく人がいちばん上品です。

でも、変な欲をかいたり、
心の底から「ワァッと言わせたい」と思ったりとか、
「この女の子をものにするにはどうすれば」とか
一所懸命考えるのも、人間界のことだから。
そういう部分は人間としての、
「おたのしみ」でもあると思うんだよね。
それがあると、さみしくないんです。
水野
ああ、そうか。さみしくない。
糸井
昔の宗教の開祖の話に
こういうものがありますよね。
「南無阿弥陀仏と言うと、極楽にいけるんだよ」
という話をしているときに、弟子が
「じゃあ、いまでもいけるんですか?
いつ死んでもいいんですか?」
と聞いたらしいんです。
そしたら開祖は
「いや、いろいろと思い残すところがあって、
いまはまだ」と答えたって(笑)。
死ぬのはやっぱりさみしいもんだよ、
このバカどもといっしょにいたいんだよ、って。
水野
いいなあ。
その「いろいろと思い残すことがあるんだよ」と
言った人、ぼくは大好きです。
糸井
それは親鸞です。
親鸞はそういうことをぜんぶ言う人で、
「それが人だからね」って言うんだよ。
水野
そうなんですか。
糸井
ええ。だからみんながいま
普通に考えているようなことって、
聖書から、親鸞から、大昔から人々が
考えてきてることなんですよね。
水野
いまの親鸞の話で思い出したことで、
たまに
「私は完全に幸せです」とか
「私には欲なんてありません」とか
言いきる人がいるじゃないですか。

でも、ぼくはそういう発言に対して、
「その感覚、ほんとなんだろうか?」
と思うところがあるんです。
それより、なんかすごい失敗したりとか、
泥かぶっちゃった人が言う幸せのほうが
信用できるというか。
糸井
やっぱりそこは、的を狭くすれば、
必ずダーツを当てられるじゃないですか。
現実を一部しか見なければ、
その部分で「完全に幸せ」だってできる。

でも現実は、突風が吹いてきたり、
人が横切ったりするところで
的に当てようとするからおもしろいんで。

そのとき言われる「完全な幸せ」とかって
ゲームボードだと思うとさ、
「その単純なゲーム、買う?」ってならない?

「途中で穴に落ちて3マス戻る」とか、
落ちたときはうわぁと思うけど、
「じゃあどうしよう」とかも含めて
おもしろいじゃないですか。

シンプルなほうが整理はしやすいんだろうけど、
この世って、
「やっぱり未練があるような
ややこしさがあったからおもしろかったよね」
だと思うんだよね。
落とし穴に落ちたとき、泣いたくせに(笑)。
水野
(笑)。
糸井
だから、なんだろう‥‥。
いま、悩んだり、考えたり、
いろいろあるかもしれないけれども、
その「いきものがかり」をしてて、
曲を作ったり、できなかったり、
まぐれみたいにできるものがあったりという
ぜんぶがおもしろいじゃないですか。
水野
はい。
糸井
だから、いまは元気に
楽しんだらいいと思いますけどね。
水野
ちょっとお父さんと話しているみたいな(笑)。
実はうちの父親が
ちょうど糸井さんと同じ年なんです。
糸井
きっと似たようなことを言ってるんじゃないかな。
そんな気がするけどね。
(つづきます)
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2016-10-27-THU