1983年、私は「小網代(こあじろ)」という
不思議な流域に出会いました。
藤田祐幸という、
物理学が専門の同僚が小網代に引っ越して、
「岸、俺んちの裏に原始林がある」と言うんです。
「あるわけねえだろう。
なんで三浦半島に原始林があるんだ」
と言いながらも、
行かなきゃいけないなと思って、
1984年の11月に行きました。
ちょうど30年前です。
そうしたら、そこは原始林ではなく、
農業が全部止まって回復途上とみえる森でした。
農家が炭薪を取るために使っていた林や田畑を売って、
大手の企業がこれから開発の準備に
入ろうとしていた場所だったんです。
三浦半島の先端、この赤い星のところです。
地名は「小網代(こあじろ)」、
正式には、神奈川県三浦市三崎町字小網代といいます。
黄緑色で囲んだ場所が、ひとつの川の流域です。
このエリアに降った雨はすべて
裏の川を通って小網代湾に流れ込みます。
なにがすごいかって、
この流域が全部自然のままだということなんです。
この小網代という場所を実際に見て、
「ぼくの夢の場所がここにあった。
この大きさだったら、
流域を守れるかもしれない」
と、非常に尊大なことを思いました。
ただ、当時はこの場所の7割が
ゴルフ場やリゾートマンション、ホテル、
某大企業のヨット基地というふうに
開発で潰されることになっていました。
そういう状況のなかで、
小網代の自然を残すために考えたのは、
「開発に賛成すること」でした。
ここが私の変なところなんですけど、開発大賛成。
ただし、「半分残す開発」を
やってみようと言ったんです。
なぜなら、小網代の自然が守られたのは
土地を持っている企業と
地元の方々のおかげとも言えます。
もしリゾート開発計画がなかったら、
ここはもっと早く普通の住宅街と
港になっていたと思います。
だから、自然保護によくある
反対運動のかたちをとることはしませんでした。
以後、企業が主体となり
開発計画が進みましたが、
その後も、私はただの一度も
開発に反対したことがありません。
ずっと「賛成」と言ってきました。
これがあまり理解されなくて、
一部の人たちからは
「なんでお前は企業に反対しないんだ」
と言われました。
そのたびに、
「開発に賛成しています。
ただし、半分自然を残す開発に賛成」
と言い続けてきました。
だから私のことを、
企業側も行政側も悪者にできなかった。
だって半分とはいえ、賛成しているんですから。
そのころ、30年前の小網代は、
木がとてもちっちゃくて、めちゃくちゃに
荒れ果てていた森だったんです。
当時のここを知っている地元の人たちは、
「こんなつまんない雑木林の
どこがいいんですか?」
と言いました。
JC(青年会議所)の会議に参加したときも、
JCの幹部から、
「自然といえば、俺たちカナダやハワイへ行くんだ。
沖縄にも行くんだよ。
なんでこんな汚い所に先生は来たがるの?」
と言われました。
「ここはダイヤの原石だから、
磨けばとんでもないところになる」
と言っても、まったく信じてもらえませんでした。
そして、1987年にはこんな本を出しました。
『いのちあつまれ小網代』。
アカテガニの写真がついています。
それからもいろいろありまして、
1990年に「国際生態学会議」が
横浜で開かれました。
私も一応、真面目な学者という立場だったので、
この会議に参加させてもらったんです。
しかも、神奈川県に、
「岸先生は英語しゃべれるから、
案内でついてきて」
と言われて、
小網代に世界の景観生態学の
トップの学者たちをご案内しました。
そしたら、小網代の景色を見た学者たちが、
ワーッと手を挙げて
「こんなすごい生態系の構造と景観は、
同じ緯度で地球をぐるっと巡って調べても、
たぶんここにしかない」
と言ったんです。
はっきりと、そう言いました。
「アジアにもない、
アメリカにもない。ここだけだ」と。
ひとつの川の流域が、
干潟まで含めて全部自然のままだという場所は、
関東地方ではここ小網代の1ヵ所だということを、
私はすでにわかっていたんだけど、
まさかそんなすごい評価をもらえるとは
思っていませんでした。
そのころ、行政の自然保護課の課長さんで、
いつも私を憐れむように、
「岸先生ね、この場所は守れないんだよ。
無理なんだから、早く帰りなさい」
と言っていた方がいました。
その方が、学会が終わった後、
後ろから走って追いかけてきて、
「岸先生の言うことが分かったから。
俺、命かけるから」
と言ってくださったんです。
その方は、この小網代の保全に、
行政官僚としてはただひとり
命をかけてくださった方でした。
彼が小網代を守ったと、私は思っています。
その後も、いろんなことがあったんですが、
行政、トラスト、企業、
みんなの力を合わせて小網代を守りました。
このとき、この運動全体を応援してくれた
一番の仲間が、たまたまこの流域にいた
「アカテガニ」というカニです。
アカテガニを人気者にすることで、
この場所をもっと知ってもらおうと思いました。
アカテガニは山に生息しています。
夏の満月と新月の夜には
山を下りて、ミジンコみたいな幼生を海に放します。
それから1ヵ月間海で育ち、
小さなカニになってまた上陸してきて、
山に帰っていきます。
この話、感動的でしょ。
こういう話をしていたら、
「アカテガニって天然記念物ですか」
と聞かれることがあるんですけど、
実は、どこにでもいるカニです(笑)。
まったく珍しいカニではありません。
珍しいカニじゃないけど、
このカニがやっていることを現場で見たら、
感動しない人のほうがおかしいくらい、感動する。
人の心を動かすのには、
珍しいとか珍しくないとか、
絶滅危惧1種だとか2種だとか関係ないんですよ。
小網代には貴重な植物が
何種類もいるから守りたい、なんて
私はほとんど言ったことがありません。
「アカテガニかわいいよ。
はさんでもらったら気持ちいいよ」くらいです(笑)。
2015-07-21-TUE