私は、「NPO法人小網代野外活動調整会議」の
代表理事という仕事をしています。
さきほど糸井さんに、
「本職ではない、別のところで
活きる場所をつくっている人」
として紹介いただきました。
今日呼んでいただいた、この
「活きる場所のつくりかた」という集まりの
「活きる」という字が、
活用の活になっているのが、とてもうれしいです。
私は大学教授として「生きて」きたけれど、
自分の命を「活用」するのは、
これからお話させていただく
活動のほうだと思っています。
私は横浜市鶴見区という、
水害と公害の多い町で育ちました。
生きものが大好きな少年でしたので、
どうやったら、この町を水害や公害のない、
生きものがいっぱいいる世界にできるか
ということについて、
子どものころから、ずーっと悩んでいました。
大学では、進化生態学を研究していましたが、
同時に、どういう枠組みで都市計画をしたら
生きもののにぎわいを大事にできるのか、
自然災害を回避できるのかといった、
地域の生態についても考え続けていました。
地域の生態について考えていくうちに
気がついたのは、
「横浜市」とか「千代田区」という、
枠組みで考えること自体が
ナンセンスだということです。
洪水は「横浜市」や「千代田区」で区切って
起こっているわけではありませんから。
じゃあ、なんなんだろう、
どういう枠組みで考えたらいいんだろうと
悩み続け、たどりついたのが
「流域」という言葉でした。
「流域」とはなにか。
実は日本では、小学校でも中学校でも
高等学校でもまったく教えません。
だからみなさん、「流域」という言葉を聞いたら、
「洪水を起こしている川が、
氾濫している範囲」としか思わないでしょ。
流域というのは、
雨が降って、その水が集まってくる
大地の窪地のことです。
川のいちばん上流の山のてっぺんから、
下流の地域まですべてが流域なんです。
日本には109の巨大な
一級河川を軸とする水系があり、
列島の面積の約7割を覆っています。
それ以外のところにも小さな川があるので、
やはり、すべての地域が
なんらかの川の流域なんです。
さて、われわれが住んでいる、
地球の生きものが暮らせる領域を
「生命圏」と言います。
生命圏は、海と空と大地と地下世界でできています。
われわれが暮らしているのは、大地です。
この大地は3種類あります。
私はアイシーランド(氷河の世界)、
サンディランド(砂漠の世界)、
レイニーランド(雨降る世界)と呼んでいます。
このなかで、雨降る世界というのが、
昔も今も人類を支えている、
生命圏の中心ゾーンなんです。
この大地に雨が降ると、地面は必ず、
雨水が集まる「くぼ地」を隙間なくつくります。
それが流域という構造で、
雨降る世界は、実はうろこ模様のように
流域で埋め尽くされているんです。
そして、流域と流域を区分けするのは尾根です。
尾根は線です。
線以外のところは流域です。
ということは、必然的に、
「雨降る大地」は全て流域で区分できるし、
みなさんがお住まいの場所も、
どこかの流域に属しているんです。
いま私が住んでいるところは、
「東京都町田市~番地」ですが、
地べたの住所でいうと、
「日本列島・本州・関東平野・多摩三浦丘陵・鶴見川流域・
源流流域・谷戸池谷戸流域源流西肩、岸由二」となります。
これだと郵便が来ませんけども(笑)。
下の図の赤い星のところは、
私が育った鶴見区の鶴見川の流域です。
1958年、狩野川台風があり、
この図から1.5キロぐらい下流で
20,000軒ほどが水没して、多くの人が亡くなりました。
1958年から1982年まで、
我が家も鶴見川の水害に遭いっぱなしでした。
ちょっと黒い部分は高度の高い丘陵で、
黄色い星を源流地域といいます。
地名で言うと、町田市です。
ここに豪雨が来ると、雨が丘陵をくだってきて、
この赤い星のところで氾濫するんです。
私が10歳ぐらいのとき、
年がら年中、川で魚を捕っていたのですが、
ゲリラ豪雨が降ることがありました。
川の上流の町田のほうから黒い雲がくるんです。
それで、私の友達たちは、
みな雲を「町田」と呼んでいました。
「由坊、町田が来たぞ。逃げろ、逃げろ」って。
で、私は洪水を起こす黒い雲は、
町田という、とんでもないやつだと
思っていました(笑)。
いま私は東京都町田市の住人です。
30年前に、鶴見川の流域で、
壮大な流域についての活動をやろうとたくらみ、
家族を説得して、
源流の森の近くに越しちゃったんです。
町田市に越して、
市長さんや助役さんと仲良くなって、
子ども時代の話をしたら笑っていましたけど、
これが、いまの活動をするようになった
もとの記憶みたいなものです。
1972年には、
アメリカで出版された、
「流域」に関する研究が紹介された専門書を
翻訳する機会がありました。
そのことをきっかけに、
自然との共生や防災害についての研究は、
人為的な地域の枠で進めるのではなく
地球が自分で刻んだ自然の単位、
「流域」という生態系で進めるべきだと、
確信したんです。
そして、1983年、
私は「小網代(こあじろ)」という
不思議な流域に出会うことになります。
2015-07-17-FRI