「東日本大震災を実感していない自分は、震災とどう向き合えばいいんだろう?」
ほぼ日でインターンをしている
大学3年生のマツザキが、
あらためて震災について考えた。
メール紹介③

東北で震災に遭われた方からのメール

こんにちは、マツザキです。
引き続き、「東日本大震災を実感していない自分」
というテーマに寄せられたメールを紹介します。

今回は、東北で東日本大震災に
遭われた方のメールを3通、紹介します。

東北で東日本大震災を経験しながらも、
「震災に向き合えない」という気持ちや
「震災を実感していない」という気持ちを、
持っている方々がいらっしゃいました。

それでは、メールをどうぞ。

「被災者」として振る舞うことを期待される苦しさ。
(詩織さん・福島県在住)

私は福島県出身で、
東日本大震災が起こった日も
福島市にある自宅にいました。

こう書くと、私も被災者だと
思われるかもしれません。
しかし、私はどうしても、
自分がいわゆる「被災者」だと思えないのです。

福島県は横に広く、私は内陸部の
福島市で育ち暮らしています。
だから、テレビで流れるような
「津波による悲劇」は体験していません。

震災当時大変だったことといえば、
3月11日の夜に水が出なくなったことくらいです。
しかも震災直後から会津の父方の実家に行ったので、
福島第一原発で爆発が起きたとき、
「被爆したかも」と思うこともありませんでした。

そのため、私は福島県で
多くの人が語る体験を共有することができません。
そんな私を「被災者」と言ってはいけない、と
ずっと感じています。
ですが、福島県に住んでいるので、
震災をまったく他人事のように
語ることもはばかられます。

私は現在、なにか縁があってか、
NPO団体で働いており、県内外の避難者へ、
避難生活に有用な情報を発信することを
メイン業務にしています。

現在の部署に配属されてからは、
震災のことがよくわからないふりや、
「難しい問題ですね」とごまかすことはできないと感じ、
震災について知ろうとしました。
逃げずに頑張ろうとしているのですが、
どうしても疲れてしまいます。

この疲れの原因は、テレビで流れるような
「被災体験」に実感が持てないのに、
私もその体験をしているはずだ、と
周囲に期待されている苦しさなのかなと
ここまで書いて思いました。

震災があって、今がある。
(元合唱部員さん・岩手県で震災を経験)

東日本大震災が起きたとき、
僕は、岩手県内の高校2年生でした。
だから、本当のところは
震災を全く実感していないわけではありません。

しかし、僕は内陸の都市部に住んでいたので、
街が津波にのまれる光景を見たわけではありません。
重油にまみれ燃えている街並だとか、
ひどい被災を受けている状況は、
テレビやラジオの伝聞でしかありませんでした。

震災後数週間ほどして、
部活で海沿いの街に慰問に行きました。
街は、幼いころに見て、感じたものとは
全く変わってしまっていました。
三陸の海も、そのときには
平然な姿を取り戻しているように見えましたが、
きっと本当は、全く別の海に
変わってしまったんだろうと思いました。

今でも、震災のことを思い出したり、
伝えていくことには、恐怖を感じます。
しかしながら、震災について知ろうとすることや、
3.11を思い出しながら生きていくことは、
当時を生きた者の宿命や使命のようなものだと思います。

震災は、これからも、
思い出したくない過去には
変わりないのかもしれませんが、
僕はこれからも三陸の海の恩恵を受けて
生きていくんだと思いますし、
あの日があって、今があります。

将来子供ができて語り継ぐとしたら、
毎年三陸の海を見せに行こうと思います。

自分より大変な経験をした人の話に戸惑う。
(uさん・福島県いわき市で震災を経験)

私は福島県いわき市出身で、
震災当時もいわき市の高校に通っていたので、
東日本大震災を実感したほうだと思います。

ですが、震災から5年が経った今、
あの大きな揺れを体感した私にも、
「どう向き合えばいいかわからない」という気持ちが、
時間とともに生まれてきました。

震災当時のことを振り返ると、
私には津波の被害はなかったものの、
ライフラインが寸断されるなど、
本当にぎりぎりで生きていたと思います。
幸いにも、私の家族や親戚、友人は
みんな無事に生きていました。
しかし、友人の中には、
原発事故で家に帰れなくなってしまった人や、
津波で家が無くなった人がいます。
テレビの中には、家族が亡くなってしまった人がいます。

震災の経験の濃淡を人と比較するのは
変なことだと思うけれど、
やっぱり私のほうが大変じゃなかったのです。
震災についてのテレビを観たり
友人の話を聞いたりして、
私より大変な経験をした人がいるんだと思うと、
震災を実感した私でも、
その話に戸惑うことがあります。

それこそ、同情なのか共感なのか、
なにかもやもやした気持ちが生まれるのです。

今回紹介したメールからは、
東北で被災した方の間にも、
東日本大震災への実感の強さに
違いがあるということがわかりました。

メールを書いてくださった3人は、
ふだん身近な人に打ち明けにくいであろう気持ちを、
メールに書いて送ってくださったのだと思います。

3人の「震災を実感していない」という気持ちを、
自分との共通点として捉えていいのか、
それとも、自分の気持ちとは
性質がちがうと考えるべきなのか、
いまは、わからないままです。

次回に、つづきます。

2016-05-12-Thu