ほぼ日刊イトイ新聞

C・シルヴェスター編『THE INTERVIEW』
(1993年刊)によれば、
読みものとしての「インタビュー」は
「130年ほど前」に「発明された」。
でも「ひとびとの営み」としての
インタビューなら、もっと昔の大昔から、
行われていたはずです。
弟子が師に、夫が妻に、友だち同士で。
誰かの話を聞くのって、
どうしてあんなに、おもしろいんだろう。
インタビューって、いったい何だろう。
尊敬する先達に、教えていただきます。
メディアや文章に関わる人だけじゃなく、
誰にとっても、何かのヒントが
見つかったらいいなと思います。
なぜならインタビューって、
ふだん誰もが、やっていることだから。
不定期連載、担当は「ほぼ日」奥野です。

01
ぼくは「名人」じゃない。

──
数あるインタビューの形式のなかでも、
塩野さんが続けてこられた
「聞き書き」というスタイルからは、
「話している人の息遣い」が
ものすごく伝わってくると思うんです。

まるで、その人自身が、
目の前でしゃべっているかのような。
塩野
うん。
──
一般に「聞き書き」には、
そういう感想って、多いんでしょうか。
塩野
多いよね。
──
ほぼ日でやっている対話形式のスタイルも、
聞き書きに近い雰囲気があるかなと
思っているのですが、
聞き書きは「ひとり語り」なので、
表現の仕方自体は、けっこう違いますよね。

取材の方法に、違いはないと思うんですが。
塩野
人の話を聞くってことは同じだよね。

ただ、ぼくがインタビューの名人か、
と聞かれたら、
絶対、インタビューの名人じゃない。
──
え、どうしてですか。
塩野
ぼくは、
誰かの話を聞き書きすることによって、
その人がしゃべったことを、
誰にも読みやすくて、
かつ、大事なことをいっぱい言ってる、
というふうに、
まとめたいなあと思ってるんです。
──
ええ。
塩野
そのためには、
わざと無駄なことを言ってもらったり、
あえて話をずらして、
「じゃあ、子どものときの話しよっか」
みたいなのを挟んだりしてる。

で、聞き書きっていうのはズルくてさ、
そういう部分は、
本にするとき飛ばしてもいいわけでね。
──
はい。
塩野
でも、他のインタビュー形式の場合は、
とくにテレビなんかの映像だと、
そんなこと、ねえ、できないでしょう。

聞き書きの場合は、
どんなに関係ない雑談をしていても、
最後に、
まとまった文章に構成しさえすれば、
オッケーになるんだよね。
──
だから「名人ではない」と?
塩野
うん、そういう意味で、
インタビューが上手かって聞かれたら、
「ぼくは違う」と思うんだ。
──
でも、関係ない雑談を挟んだおかげで
聞けた話も、絶対ありますよね。
塩野
それは、そうなの。
──
塩野さんは、聞き書きの最大の特徴は、
どんなところにあると思いますか。

さっきの
「ご本人が目の前でしゃべってる感じ」
というのは、
ひとつあるだろうなって思うのですが。
塩野
とにかく「一生ぜんぶ聞く」こと。
──
あー‥‥そこは、他のインタビューと、
まったく違っている部分ですね。

この取材もそうですけど、
ふつうは「何らかのテーマ」があって、
そのことについて聞くので。
塩野
聞き書きの場合は、
テーマでインタビューをすることって、
ほとんど、ないんだよね。
──
とにかく「一生ぜんぶ」だから。
塩野
雑誌なんかのインタビューだと、
2つ3つ、
小見出しにできそうな話が聞けたら、
じゃ、そろそろ帰りますかって
なるのかもしれないけど、
聞き書きでは、
「生まれてから、現在にいたるまで」
を、ぜんぶ聞くまで帰らない。
──
そういう方針だと、
事前に質問を準備して‥‥とかでも
ないんでしょうね。
塩野
うん、目の前の人の人生の出来事を、
たんたんと聞き続けて、
聞いてるうちに、
「ああ、ここはおもしろいなぁ」とか、
「ここは、
この人にとって絶対大事だな」とか、
「ここ、あとできちっと聞こう」とか、
そんなこと思いながら、聞いてる。
──
では、構成を考えながら?
塩野
まあ、ぼんやりとね。
──
聞き書きは、最終的なかたちとしては、
取材対象者の「ひとり語り」ですよね。

相手にしゃべらせるために、
「聞き手」である塩野さんの口数って、
少ないんですか、現場では?
塩野
半分は、ぼくがしゃべってる。
──
え、半分も。それは、すごく意外です。

だって、半分って言ったら、
ふつうのインタビューより多いですよ。
塩野
何かを聞くときに
「ぼくの場合はこうだったんだけど、
どうですか」
って聞きかたをしてるし、
「中学のとき、何やってました?」
という質問に、
「野球」って返ってきたら、
「あ、ぼくも野球やってたんですよ。
守ってたのは‥‥」
って反応したりしてるから。
──
取材というより、
ふつうのコミュニケーションに近い感覚。
塩野
やっぱり、ただ聞くだけじゃなくて、
ぼくがどんな人間なのか、
少しでもわかったら、
相手だって話しやすくなるでしょう。
──
ああ、それは、そうだと思います。
塩野
そのために、ぼくが半分くらいしゃべる。

そうじゃないと、
壁に向かってしゃべるようなものだから。
──
とかく「インタビュー」というものは、
聞くばっかりになってしまって、
ふつうの対話、
ふつうのコミュニケーションには
なかなか、ならないと思うんですよね。

ぜんぶ、こっちの都合なんですが。
塩野
そうでしょうねえ。
──
でも、塩野さんの場合、
現場で半分は「自分の話」をしてるけど、
のちの編集段階で‥‥。
塩野
ぜんぶ捨ててる。自分の発言は。

「質問、答え、質問、答え」で聞いて、
まず「質問」をぜんぶ捨てるのが、
第一回目の原稿。
──
質問を、ぜんぶ捨てると‥‥。
塩野
「答え」だけが残る。
──
それだと、
文章としてはガタガタしてないですか?
塩野
それが、そんなことないのよ。

ほんのわずかな主語を補ってやる以外、
よけいなことしなくても、
聞き書きの文章って、成り立つんです。
──
そうなんですか。
塩野
たがいに「同じ話」をしていればね。
──
ああ、なるほど。
コミュニケーションが取れていれば。
塩野
ぼくが「今日、雨ですね」って言ったら、
「そうだね。
昨日は晴れてたけどね、今日は雨だね」
って返ってくるでしょう。

「お父さんは、どんな仕事してましたか」
って聞いたら、
「親父はねぇ、
俺とはまったく別の仕事で‥‥」とか、
「俺はたいやき屋だけど、
親父は箪笥職人だったんだよね」とか、
だいたい、
問いがなくても成り立つ文が返ってくる。
──
だから、ただ聞くだけじゃなく、
「コミュニケーションを取ること」が、
重要なんですね。

同じ話をするために。
塩野
そう。だから「漫才」はダメよ。

「昨日、電車に乗ってさ」って言ったら、
「え、自転車でどこ行ったの」みたいな。
──
同じ話をしてませんね、それだと(笑)。
塩野
何か教えてもらいたいことがあって、
その人のところに来てるわけだから、
「教えてあげよう」という気持ちが
少しでも相手にあって、
かつ、
お互いが「お互いの話を理解しよう」
と思ってさえいれば‥‥。
──
ええ。
塩野
質問をぜんぶカットしても
聞き書きの文章って、成り立つんです。

<つづきます>

2017-07-13-THU