伸坊さんにきいてみよっか?

第1回 おもしろいと思ったことだけ

お、鯛焼き?
ぜひ、召しあがってください。
桃林堂の小鯛焼です。
いただきまーす。
いただきまーす。
みんなでわいわい。
伊丹さんの話は、
鯛焼きがなくなってからでいいか。
(笑)
うん、おいしい。
えーっと、今日は、
伊丹さんについてよく知らない世代代表として
弊社のなかでも、比較的若めのメンバーが
集められたわけですけど。
あくまで「比較的若め」ですが。
ちなみに、みなさんは、
伊丹さんについて
どのくらい知ってらっしゃるんですか。
わたしは、
映画の『タンポポ』を観たことがあって、
ああ、あれの監督さんだったんだって。
あと、これも映画なんですけど、
『家族ゲーム』っていう作品に
伊丹さんがお父さん役で出演されていた。
『家族ゲーム』は
けっこう前の映画ですよね。
そうですね。
わたし大学で映画の専攻をしてたので、
その授業で観たなぁ、
っていうくらいの知識なんですけど。
わたしは、もっと知らなくて、
映画監督の方、有名な人、巨匠、
みたいな感じの認識です。
なるほど、なるほど。
わたしは、映画監督で、
絵も料理も上手でっていうことは
ぼんやり知っているんですけど、
基本的に、自分の記憶の中の伊丹さんは、
「ツムラのコマーシャルに出てる人」。
ああー、入浴剤ね。
はい。入浴剤のCM。
だから、おもに「お風呂場にいる人」。
ははははは。
なるほど、わかりました。
まぁ、ぼくも、伊丹さんのことなら
なんでも知ってるというわけじゃなくて、
むしろ知らないことのほうが多いんですけど、
とりあえず、よろしくお願いします。
よろしくお願いしまーす!
ええと、いま挙げてもらったことの
なかでいうと、『家族ゲーム』。
あの映画は森田芳光さんが監督で、
亡くなった松田優作さんが主演でね。
伊丹さんは、お父さんの役で、
俳優として出演されてたんですけど、
たぶん、そのころにはもう、
映画を撮ろうという気持ちが
あったんじゃないかと思うんです。
まぁ、もともと伊丹さんは
映画についてものすごく詳しいんですけど、
監督としての自分のイメージがあったのか、
『家族ゲーム』の撮影現場で、
映画の話をものすごくよくしていたらしい。
これは監督の森田さんから聞いたことなんですが、
撮影現場で伊丹さんが映画について話しだすと、
森田さんは、松田優作さんたちと、
「あー、また、伊丹さんの
 うんちくがはじまっちゃったよ」って
ささやき合ってたという。
(笑)
そうやって、いろんなことに
うんちくがあるっていうのが伊丹さんの特長で、
とにかくいろんなことに詳しいんです。
森田さんと松田優作さんっていうのは
まぁ、ぼくらよりも一回り若い世代なんで、
伊丹さんがいろいろしゃべりだしたときに
「また、うんちくがはじまった」なんて
笑える余裕というか、豊かさがあったわけですが、
ぼくらの世代というのは、
ほんとうに情報が少なかったので、
自分よりも、ものを知っている人たちがいたら、
もう、すーぐに尊敬しちゃってたのね。
たとえば、伊丹さんは、
ぼくらが高校生くらいのときに
『ヨーロッパ退屈日記』っていう
ヨーロッパのいろんなことについて書いた
エッセイ集を出すんですけど、
これが、もう、すごくおもしろいわけです。
それは、文章の力というのも
もちろん大きいんですけど、
そもそも、日本中の人たちが、そのころは
まだ海外旅行をしていなかったから。
あー。
海外に行く人はいるんだけど、
なんか、それは、仕事だったり、留学だったり、
特別な用事があって行ってたんです。
だから、エッセイにゆったりとまとめるような
余裕のようなものがない。
伊丹さんは、英語ができるので、
『北京の55日』っていう
チャールトン・ヘストンなんかが出た
海外の映画に出たんですね。
そのあとに、ピーター・オトゥールが主演した
『ロード・ジム』という映画にも出て、
そのころに、ヨーロッパに長く滞在した。
はっきりは知りませんけど、たぶん、
ゆったりしたスケジュールだったんじゃないかなぁ。
『ヨーロッパ退屈日記』には、
その当時の経験が書かれているんですけど、
おもしろくないわけがないんですよね。
だって、もう、海外に行った人はさ、
それだけで偉かったわけだから。
(笑)
そういう時代だったんですけど、
伊丹さんは、ヨーロッパのことを書きつつも
当時のインテリ海外経験者とは違ってて、
自慢とかお説教を軸にするわけじゃなくて、
自分がおもしろいと思ったことだけを書く。
それがぼくらにはおもしろかったんです。
だから、たとえば、
「ヨーロッパのスパゲッティーはかたい」とかね、
そういうことをおもしろおかしく書くわけ。
いまとなっては、みんなが
知ってることなんだけど(笑)。
アルデンテだ。
みんな知らなかったんですね。
そうそう。
アーティチョークという野菜があるとかね。
ああー。
いま聞くと「それで?」って
言われちゃいそうなことなんだけど、
そのときは誰も知らなくって、
伊丹さんが向こうに行って、知って、
おもしろいと思って書いて、
それを、高校生のぼくらとかが、
「この人、ちょっと違うぞ」って嗅ぎ分けた。
で、そのエッセイはものすごく売れたんです。
カレーのつくり方なんていうのも、
そこで知りましたからね。
つまり、最初にタマネギをみじん切りにして、
キツネ色になるまでフライパンで炒めて‥‥
っていうところからつくっていくやり方ね。
それまではカレー粉とメリケン粉入れて、
みたいなものしか食べてないから、
タマネギからつくると、やっぱりコクが違う。
自分でつくって、そういうものができあがると、
もう、天下を取ったような気になってさ。
(笑)
「オレがつくった」とか言って。
「うまいだろう、うまいだろう」って
ものすごく威張ってましたよ。
で、ずっと経って、結婚して、
「じゃあ、今日はオレがカレーつくるから」
とか言って、台所に立ってつくったりして。
高校生のころから、まったく進歩してないの。
(笑)
(つづきます)
2009-08-24-MON
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伊丹十三さんのモノ、ヒト、コト

25.『女たちよ!』。

1968年、伊丹さんの第2作目のエッセイ集
『女たちよ!』が刊行されます。

前作の『ヨーロッパ退屈日記』から3年、
処女作で確立していたスタイルをそのまま踏襲する、
粋で、うんちくがあって、
ちょっとした冗談もある語り口で、
取り上げたテーマはここでも、食べもの、ファッション、
音楽、女性論や恋愛、生き方など‥‥
というおとなっぽいエッセイでした。

でもこのときの伊丹さんは、まだ35歳。
すでに海外旅行経験のある人生だったとはいえ、
ずいぶんお若かったのでした。

『女たちよ!』は、伊丹さんのエッセイについて
よく引き合いに出される、
正しいスパゲッティの調理法についてのお話から
始まります。
スパゲッティに対する間違いを糾弾するためというよりも、
正しいスパゲッティのゆでかたや
ソースの作り方に行を割いて書かれています。
伊丹さんのサービス精神は、
このようなところにもあらわれます。

同様に、食べもののところを読めば、
すぐにまねてこの料理が作りたくなり、
ファッションの話では具体的に
どの映画のどの女優を見ろ、と書かれているので
見たくなり、
楽器についての項を読めば、
何かしら楽器を習いたくなってくる‥‥
つまり、すぐに実践したくなることばかりです。

ちなみに『女たちよ!』のあと『再び女たちよ!』という
この本の続きのようなエッセイの後半から、
伊丹さんは聞き書きや取材による
ドキュメンタリー風な書き物に移行されていきます。
以後『女たちよ!』のようなエッセイが
なかったわけではないのですが、
ひとり語りで著者の趣味嗜好が
全体を貫いている作品としては、
2作目にしてこれがこの分野の伊丹さんの最高潮であった、
という気がします。

さて、このエッセイは、序文でも有名です。

「寿司屋で勘定を払う時、板の向こうにいる職人に金を渡すものではない。彼らは直接食べ物を扱っているのだから。このことを私は山口瞳さんにならった。
包丁を持つ時には、柄のぎりぎり一杯前を握り、なおかつ人さし指を包丁の峰の上にのせるのが正しい。私はこのことを辻留さんにならった。(中略)
と、いうようなわけで、私は役に立つことをいろいろと知っている。そうしてその役に立つことを普及もしている。がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身は――ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない。」

伊丹さんは無内容というより、
伊丹さんというおもしろいフィルターであり、
メディアであり、システムであったのだと
今はいろんなふうに考えることができますが、
当時伊丹さんが
自分のことをこのように思っていたということに、
まじめで、真摯な姿が垣間見える気がします。

(ほぼ日・りか)


『女たちよ!』表紙。
この絵とデザインも、伊丹さんの手によるものです。Amazonではこちら。

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