みなさんがご存じなさそうなところでいうと、 伊丹さんはタイポグラフィーのデザインとかも されてたんですよ。 「伊丹十三が書く明朝体は 日本一きれいだ」っていわれてました。 |
|
へぇー。 | |
で、俳優さんになって、 いろんな作品に出たりしたあとに、 ワイドショーのレポーターなんかもやってた。 |
|
えー! | |
それがまた、おもしろくてね。 ただ現場からニュースを読む人、みたいな レポーターとはまったく手法が違ってて、 いろんな発明をしてた。 たとえば、ある事件があって、 事件現場の説明をするときに、 紙でつくった模型、それも、 業者がつくるようなやつじゃなく、 小学生が工作でつくったような模型をつかって 事件を説明していくんです。 ここのドアがこう開くと、人が倒れてて、 みたいなことを、その場その場で 絵に描いたりしながら説明していく。 |
|
へぇー。 | |
いまのテレビでも、 若い女の子のアナウンサーが 手づくりの模型をつかって説明する なんてことをやってますけど、 なんていうか、あれよりもずっと チープなんだけど、なんか、かわいくて しゃれてるのを伊丹さんはやってるんです。 それから、いまのワイドショーで、 こう、パネルにいろんなものを書いて それの上から紙を貼って見えないようにして、 やたらにその紙をぺっと剥がしながら 説明する人がいるじゃないですか。 |
|
(笑) | |
隠してあるから、続きが気になる。 で、めくりながら説明されると ずっと観ちゃうっていう仕組みですけど、 ああいうテレビの工夫もね、 伊丹さんが生んだ発明工夫の なれの果てっていう感じがしますね。 |
|
なるほどー。 | |
すごいですね。 | |
ワイドショーのレポーターまで。 | |
新しいことに関わるのが 好きだったんだと思います。 ワイドショーっていうもの自体が あのころは新しかったし、 レポーターという役割の人も それまではいなかったと思うんです。 芸能記者っていう人はいたでしょうけどね。 伊丹さんはそういう「最初の人」になるのを おもしろがる人だったと思う。 |
|
だから、いつも、 そのあとの人に大きな影響を。 |
|
与えてたと思いますねぇ。 たとえば、「話し言葉」っていうのを ちゃんと文章にしたっていうのも、 伊丹さんがはしりなんですよね。 内容を箇条書きにしてまとめたら、 誰が話してもおんなじになっちゃうようなことも、 その人の口調とか、言い方とか、 そういうものを残してまとめるとすごく味が出る。 まぁ、ぼくらの世代も話し言葉を 自然と文章につかってたから、 「昭和軽薄体だ」なんて言われたんですけど、 それはぼくらがオリジナルじゃなくて、 伊丹さんの影響が大きいと思います。 |
|
なるほどー。 | |
もちろん、伊丹さんより前にも、 話し言葉をつかった人はいたでしょうけど、 ぼくらの印象としては 伊丹さんのインパクトが大きかったですね。 『小説より奇なり』っていう 人から聞いた話をまとめた本があるんですが、 そこにも話し言葉を活かした おもしろい話がたくさん載ってます。 ハゲてることで有名な 小説家の先生とかに電話して、 「どういうふうにしてハゲたのか?」とか 「どういう薬をつかってるか?」とか そういうことをしつこく訊いて 「なんだ、キミは」って怒られたりとかね。 |
|
(笑) | |
伊丹さん自身が興味をもって、 おもしろがっているっていうのが 読んでいてすごく伝わってくる。 |
|
なにをやられるときも それが基本になっているようです。 |
|
あ、そうですね。 あの、伊丹さんが村松(友視)さんとつくった 『問いつめられたパパとママの本』 というのがあるんですけど、それは、 「人工衛星はどうして落ちないの?」とか、 そういう子どもに訊かれて パッと答えられないようなことを 正しく説明するための本なんです。 じつはぼくも、子どものころ、 少年雑誌の端っこのほうに書いてある 「月が出たときは大きく見えるのに、 高くのぼると小さくなるのはなぜだろう?」 みたいな小さな記事を読むのが大好きで、 その本もすごくおもしろく読んだんですけど、 伊丹さんも、そういうのが 好きだったんだと思うんですね。 なにか不思議に思うようなことがあって、 その理由をうまく説明されて 「へぇー」って納得するようなことが。 |
|
なるほどー。 | |
(つづきます) | |
2009-08-25-TUE |
26. 伊丹さんとワイドショー。 テレビマンユニオンと おもな出演番組は、 1974年『3時にあいましょう』(TBS)、 です。 とくに『アフタヌーンショー』木曜日の このコーナーで取り上げた事件は このコーナーの見どころは、
同じく世間の事件を取り上げた『小川宏ショー』では 伊丹さんはこうした番組に出演するたびに |