伊丹さんが「師匠」と呼んだ男。
 
第3回 伊丹万作さんのこと。
ほぼ日 『遠くへ行きたい』のお話にまた戻るのですが。
佐藤 うん。
ほぼ日 DVDで部分だけ拝見して、
とても気になったのが、「お習字」の回で。
佐藤 ああ、伊丹さんが習字を習いに行くやつ。
ほぼ日 はい(資料を見る)。
「奈良・お習字の旅」ですね。
レタリングには自信のあった伊丹さんが、
「僕は呆れ果てるくらい字が下手だ」と、
書家の方に習字を習いに行くという。
佐藤 あれはね、何がすごいったって、
あの中にね、カルタが出てくるんですよ、カルタ。
ほぼ日 あ、カルタ。
出てきてましたね。
佐藤 あれはお習字のために出てくるんですけど、
あれはすごかったねえ、あのカルタは。
感動しますよ。
伊丹万作さんが自分の子どものために
書いたカルタですから。

〜DVD『13の顔を持つ男伊丹十三の肖像』より
ほぼ日 伊丹さんのお父さんである
伊丹万作さんが、
カルタのことばを書きかえているんですよね。
佐藤 そうなんだよ。
戦争中のカルタって、なんて言うの?
軍国少年向けに作ってあるから。
ほぼ日 「すすめ一億火の玉だ」とか。
佐藤 そうそうそう、そんなやつ。
それはだめだ、けしからんって、万作さんがね、
普通に、きれいなことばのカルタに
1枚ずつぜーんぶ書きかえてるんだよ。
絵まで描いて。
ほぼ日 絵も、お父さんが描きかえたんですか。
佐藤 そう。
伊丹万作さんて、
惚れ惚れするくらい字が上手いんです。
十三さんもけっこう上手いんだけど、
「やっぱりかなわない」って、
しょっちゅう言ってましたね。
ほぼ日 そうですか。
お父さんのお話は
時々されていたんですか?
佐藤 そんなに話してたわけじゃないけどね。
まあ、万作さんという人は、
そうとう厳しかったんじゃないかな。
僕が忘れられないのは、あれですよ、
飛行機の模型の話だよね。
ほぼ日 飛行機の模型。
佐藤 お父さんは、若くして結核になって、
ずっと床についていたじゃないですか。
いつも不機嫌だったらしいんです。
悔しかったんだろうね、才能にあふれた人だから。
ほぼ日 はい。

〜DVD『13の顔を持つ男伊丹十三の肖像』より
佐藤 戦時中のある日、
伊丹少年がナイフで木を削って
模型飛行機を作ったんですよ。
イギリスの戦闘機。
一生懸命、伊丹少年は作ったわけです。
ほぼ日 戦闘機を。
佐藤 そしたらね、お父さんはどうしたか。
伊丹さんが言ってました。
「親父は何を思ったか、
 こんなもん飛ぶわけないだろうって、
 足で踏みつぶしたんだよ」って。
ほぼ日 ‥‥踏みつぶした。
佐藤 だから、結核でイライラしてたらしいんだ。
自分の同僚たちがさ、大活躍してるのに。
ほぼ日 はい、それは悔しかったことでしょう。
佐藤 万作さんって、
『赤西蠣太』とかさ、
名作揃いですよ、あの人の脚本は。
めっちゃくちゃ上手いもんね。
僕もあこがれてましたよ、万作さんには。
ほぼ日 伊丹さんにとって、
お父さんの存在というのは
やはり常に大きなものとしてあったのでしょうか。
佐藤 まあ、そうとう意識はしていたでしょうね。
ほぼ日 お父さんは
40代でお亡くなりになったんですよね。
佐藤 そうですね。
ほぼ日 十三さんが、まだ13のときです。
佐藤 うん。
‥‥‥‥あのね、
『伊丹万作全集』の中で、万作さんは
「いいキャメラマンっていうのは、
 仕事の早いキャメラマンだ」
というようなことを書かれていたんですよ。
ほぼ日 仕事が早い。
佐藤 「早いキャメラマンが、いい」って。
ほぼ日 そうでしたか。
佐藤 忘れられないよ、このひと言。
ほぼ日 はい。
佐藤 キャメラマンをやってると、わかるんです。
早いキャメラマンは、やっぱりすごいって。
ほぼ日 実感として理解できるわけですね。

〜DVD『13の顔を持つ男伊丹十三の肖像』より
佐藤 で、またさ、伊丹さんが似てるんですよ、
そういうところが。
ほぼ日 ああ、そうなんですか‥‥。
佐藤 うん。
ほぼ日 伊丹さんが亡くなって、12年が過ぎました。
佐藤 もう、そんなになるのか。
ほぼ日 そのくらいですね。
佐藤 僕はあそこの、松山の伊丹さんの‥‥
ほぼ日 記念館?
佐藤 記念館。
着工のときから、撮りに行ってるんです。
ほぼ日 そうでしたか。
佐藤 伊丹さんが
お父さんのお墓を作ったときにも、
いっしょに行ったな。
ほぼ日 伊丹さんといっしょに。
佐藤 うん。
あのときは伊丹さん、
なんだか変に、はしゃいでてね‥‥。
「これで肩の荷がおりた」って、
たしかそんなことをね、言ってましたよ。
ほぼ日 そうでしたか。
佐藤 僕はあんまりそういうのって‥‥
つまりお墓を作って肩の荷がおりるとか、
そういうことがぴんとこない人間だからね。
へえ、伊丹さんでもそういうこと考えるのかって、
そのときは思ったりしましたねえ。
ほぼ日 お父さんのことになると。
佐藤 お父さんのことは、
ずっと気になってんだな。
まあそれは当然なんだろうけど。
やっぱりどこかで、こう、ライバル‥‥。
ライバルっていうと、また違うのか。
とにかく、こう、
親を越える、越えないっていうことを
いつも意識していたような気がしますね。
ほぼ日 お父さん、すごい方ですから。
佐藤 そうなんだよ。うん。
お父さんの全集なんか読むとさ、
すごくてね。
そういうのに触れるとさ、
超えた、なんてことを簡単には思えないよね。

(つづきます)
column 伊丹十三さんのモノ、ヒト、コト。
21. 伊丹監督第2作『タンポポ』。

初監督映画『お葬式』で大成功をおさめた伊丹さんが
次に手がけたのは、伊丹さんのエッセイのファンなら
にやりとしてしまう、食べものの映画でした。

1985年11月に公開された『タンポポ』は、
一軒の傾いたラーメン屋を立て直す、
というストーリーとともに、
伊丹さんお得意の、食べものにまつわるエピソードが
ちりばめられています。

スパゲッティの食べ方、チーズをぐいぐい指で押す話、
フランス料理店での注文の仕方など、
その描き方は伊丹さんのエッセイ同様、
ちょっとシニカルでユーモラスにあらわされ、
楽しいおもちゃ箱のような映画になっています。

本筋である、宮本信子さん扮する
女主人のラーメン屋さんの話は、伊丹さんが
この映画のメイキングである
「伊丹十三の『タンポポ』撮影日記」の中で
「『シェーン』のラーメン版」と語っているように、
通りすがりの腕の立つヒーロー・山努さんが、
かっこよくヒロインを助け、街の人々を喜ばせる
(おいしくて本格的なラーメン屋の誕生!)物語です。

できたてのラーメンは熱くなくてはいけない、
スープは澄んでなくてはいけない、と、
これを観るとだれもがラーメンについて
ちょっときびしめになってしまいます。

この映画にも、『お葬式』と同じく、日本映画界の
名優たちがたくさん出演しています。
柳太朗さん、加藤嘉さん、大滝秀治さん、
中村伸郎さん、原泉さんなど、枚挙に暇がありません。
そして特筆すべきは、
それまでほとんど映画出演のなかった役所広司さんや、
努さんプロデュースの舞台『ピサロ』
(脚本の翻訳は伊丹さんが担当しました)での
演技力の高さで頭角を現し、1987年のNHK大河ドラマ
『独眼竜政宗』の主役が内定していた渡辺謙さんが
登場していることでしょう。

またこの映画には、伊丹さんの次男である、
池内万平さんも『お葬式』に続き、出演しています。
伊丹さんのお父さんである伊丹万作さんも
監督になる前に俳優をしていたことがあり、
伊丹さん自身は2歳で殿様の赤ちゃん役で
スクリーンデビューをしているため、
三代にわたっての俳優一家の誕生でした。

伊丹さんはまた、ホームレスの人たちが
ラーメンの先生を見送るシーンを
父・万作さんの映画『気まぐれ冠者』への
オマージュとしています。

何事にも本格を求める伊丹さんは、
この映画で出てくる食器にもたいへん凝ったようで、
フードコーディネートを担当した石森いづみさんは
食器集めの苦労と伊丹さんの目利きのすごさを
『伊丹十三の映画』の中で語っています。
また石森さんは、『タンポポ』の中で
とくに人気の高い食べもののひとつ、
たまごがとろりと流れ出すオムライスのオムレツは、
伊丹さん自身がフライパンを振ったものということを
明かしています。
実際に伊丹さんはオムレツに夢中になった時期があり、
友人である浅井愼平さんに、傑作を食べさせてあげよう、
と、何個も失敗作をかさねながら
オムレツを作り続けたこともあるとか。

この『タンポポ』は、伊丹映画の中でも特に
海外で評価の高かった作品です。
役所広司さんは海外で、『タンポポ』に出ていたと話すと
知っているという人が多く、誇らしかったそうです。
また2007年のハリウッド映画で、2009年1月に
日本でも公開された『ラーメンガール』
(主演ブリタニー・マーフィ、西田敏行)について
ロバート・アラン・アッカーマン監督は、
アサヒ・コムの取材に対し、
「『タンポポ』に刺激を受けた、だから山努さんにも
 出演してもらった」、と語っています。

(ほぼ日・りか)


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参考:『伊丹十三の映画』(新潮社)
   『NHK 知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』
   アサヒ・コム
   ほか。


(コラムのもくじはこちら)

 
2009-07-23-THU
  (C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN