玉置泰(たまおきやすし)さん。
伊丹プロダクション社長。
伊丹映画を全面的にバックアップしてきたのみならず、
伊丹さんの死後も、まるで留守を守るようにして、
伊丹さんのために尽力されてきた方です。
伊丹さんにすごく近い場所にいた玉置さんに、
その出会いから、はじめての映画づくり、
そして現在へいたるまでのことを
しみじみと、自由に語っていただきました。
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玉置 | 最近、役所広司さんが 監督として映画を撮られたので、 いろんなパブリシティーに 出てらっしゃるんですけど、 うれしかったのは、自分の資料映像として 『タンポポ』のときの映像を使わせてくれって おっしゃってくださったんですよ。 |
糸井 | ああ、出てらっしゃいましたね。 |
玉置 | ええ。役所さんの代表作って ほかにいっぱいあるだろうと思うんですけどね。 やっぱり役所さんにとっても、 『タンポポ』の経験っていうのは、 いまも活きてるんだろうなぁと思って。 |
糸井 | 思えば、『タンポポ』の キャスティングっていうのも なかなかすごいですよねぇ。 山崎努さん、津川雅彦さん、 宮本信子さんはもちろん、 役所広司さんがいて、渡辺謙さんがいて‥‥。 |
玉置 | はい。手前味噌になりますけど、 役所広司さんと渡辺謙さんって、 いま海外で認められている 代表的な日本人俳優だと思うんです。 |
糸井 | そのふたりが、まだ若いころに 『タンポポ』にキャスティングされている。 |
玉置 | はい。あと、『タンポポ』って、 アメリカできちんとお金を稼いだ 数少ない日本映画のひとつなんです。 そういう意味でも、 『タンポポ』での伊丹さんとの経験が、 どこかに活きているのかなぁと。 |
糸井 | あの、渡辺謙さんがプロデュースした 『明日の記憶』っていう映画を 「ほぼ日」でとりあげたことがあるんですけど、 現場での渡辺さんって、 みんなが協力したくなるムードをつくるのが すごくうまかったそうなんですよ。 そういう、ポジティブに全体を引っ張っていく プロデュースのしかたっていうのは、 伊丹さんの影響があったのかもしれませんね。 |
玉置 | そうかもしれませんね。 あの、現場にはね、 伊丹さんに喜んでもらいたい、ほめてもらいたい、 っていうムードがすごくあったんです。 伊丹さんの笑顔っていうのは、すごくいいし、 まぁ、計算はなさってるんでしょうけど、 ほめ言葉がまた、いいんです。 なんか、すごく、心から出たっていう感じで。 そういうことが、伊丹さんの仕事の すごく大きな部分でしたね。 |
糸井 | ほめられたい人たちは、 こう、手に手に大きな魚を抱えて、 伊丹さんのところに集まってくるんですね。 |
玉置 | ええ。もしくは、鵜飼いの鵜みたいに(笑)。 |
糸井 | はははははは。 しかし、駆け足でおうかがいしましたけど、 玉置さんにとっては、 すっごい経験だったんでしょうね。 35とかそこらで、映画の交渉をぜんぶやって、 しかも拠点は松山だったわけでしょう? いまみたいにメールがあるわけじゃないし。 |
玉置 | 月に3、4回は別の仕事で 東京に出てきてましたけど、 ほとんど電話とFAXでしたね。 それでよく憶えているのは、台本です。 『お葬式』のときの台本は 伊丹さんがぜんぶコンビニでコピーして 袋に入れて、送ってたりしたんです。 なにせ、そのときは、 スタッフがひとりもいませんから。 |
糸井 | ああ、そうか、そうか(笑)。 |
玉置 | で、『タンポポ』のときは、 伊丹さんが自分の手書きの台本を 夜中にFAXで送ってきたんです。 まだ事務所もありませんでしたから、 松山の会社に。 で、翌日会社に行ったら、FAXの用紙が もう、こんなに積み上がっちゃってる(笑)。 しかも、昔のFAXって、感熱紙ですから、 時間が経つと、消えちゃうんですよ、文字が。 |
糸井 | いい話だなぁ(笑)。 |
玉置 | (笑) |
糸井 | ま、言えないご苦労も たっぷりあったんでしょうけど。 |
玉置 | だけど、まぁ、人生は一回だし、 こういうふうな道を選んでなかったら どうなってたかっていうと、わかんないですよ。 逆に、自分のいる安定した世界がイヤで 飛び出しちゃったかもしれない。 |
糸井 | そうかもしれませんね。 |
玉置 | だから、伊丹さんに、いい方向へ 引っ張ってもらったっていう思いはあります。 ほかの人から見たら、遊んでるように 思われてるかもしれませんが(笑)。 ‥‥いや、しかし、今日は、 こんなに話すことになるとは思いませんでした。 ほんとに、自分でもびっくりしてます。 伊丹さんが亡くなったあとに ここまでのびのび話したのは、はじめてです。 |
糸井 | ああ、そうですか(笑)。 それは、なんていうか、よかったです。 |
玉置 | 自分自身のことも、なんとなく、こう、 少しわかってきたかもしれない(笑)。 ほんとに、ありがとうございます。 |
糸井 | こちらこそ。 なんていうんでしょうね、 伊丹さんの大きなキャスティングの妙があって それぞれの人が世界を広げて活性化してっていう、 この構造は、愉快ですね。 |
玉置 | はい、愉快です。 伊丹さんと出会って、 俳優さんにしろ、スタッフにしろ、 みんなね、やっぱり、すごくいいものを 得ていると思うんですよね。 だから、すべてを悪く言う人はいないし。 ぼくも、やっぱり、ねぇ、よかったです。 |
糸井 | はい(笑)。 |
(玉置泰さんと糸井の話は今回で終わりです。 お読みいただき、どうもありがとうございました。 今後の「伊丹十三特集」をおたのしみに!) |
伊丹さんのそばにいた方の多くがそう証言し、 「僕の場合は何だか何をやっても表現しきれたっていう と語っていたように、 資金は自ら調達する、 友人である浅井愼平さんは、 また俳優陣には、小津安二郎さんの映画で有名な ちなみに、映画の重要人物のひとりを演じられた さてこの映画は、伊丹さんにとって、 『「お葬式」日記』には 同時に、初監督作品でありながら、 さいわい、この本に掲載されていた伊丹さんの 当時、この映画が日本映画界、 その後、脱税や食品偽装をテーマにするなど、 テレビマンユニオンの浦谷さんの回でも出てきたように、
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