天才学級のきざなやつ? 「13の顔」を持っていた、伊丹十三さんのこと。

第9回 伊丹十三特集が、はじまります。
糸井 いやー、今日はありがとうございました。
ホントにおもしろかったです。

やっぱり、
となりで見てた人の話って、すごいわ。
浦谷 んー、どこがおもしろかったのか‥‥
自分じゃわかんないけどね(笑)。
糸井 そもそも浦谷さん、
このDVDって、何で頼まれたんですか?
浦谷 いや、これはね‥‥。

糸井 自分で勝手につくったんですか?
浦谷 うん。オレが企画書を書いて、持ってったの。
まずはフジテレビとテレ朝に。
糸井 え、テレビマンユニオンの副社長みずから?
浦谷 松山にね、伊丹十三記念館ができるという、
そういうタイミングだったんです。

だから、このチャンスを逃したら、
もう、つくれないかもしれないと思ってさ。
糸井 はー‥‥、そうだったんですか。
浦谷 うん、ホラ、これだけど、自分で書いたんだ。
ま、通らなかったんだけど。だからボツの企画書(笑)。

糸井 涙が出るなぁ‥‥。
浦谷 そこで、CSの日本映画専門チャンネルに
持っていって、「どうでしょう」と。

で、そっちはオッケーもらえたんですね。
2時間番組として。
糸井 おお。
浦谷 それで、その番組放送権と
DVD化して、その販売収益と合わせ技にすれば、
なんとか商売になるかなと。
糸井 原資はいくらぐらい‥‥って、言えます?
浦谷 日本映画専門チャンネルの番組版と、
DVD版、そのふたつのソフトを合わせた金額で、
1300万くらいかな。
糸井 それは、安い‥‥んでしょうね?
浦谷 うん、あれだけCMの映像が入ってるし。
糸井 ああ、そうか、かかるのは「権利」か‥‥。
浦谷 ええとね、たとえば『遠くへ行きたい』は
読売テレビが放映権を持ってるでしょ。
糸井 ええ。
浦谷 番組は、テレビマンユニオンがつくってるんだけど、
DVDに収録するさいには、お金を払ってるんです。
糸井 うん、そうでしょうね。
浦谷 あと『天皇の世紀』って番組も入れたんだけど、
あれ、うちの今野勉(テレビマンユニオン副会長)演出で
カメラマンも、うちの「師匠」の佐藤利明。

でも、権利を持ってるのは、国際放映なんですね。
糸井 はい、はい。
浦谷 あれだけおもしろいものを
はずすわけにいかないから、やっぱりお金を払って。
糸井 うん。
浦谷 で、いちばん安く使えたのが、CMなんです。
糸井 あ、そうなんですか。
浦谷 ふつうは、いちばんめんどくさいのが
CMなんだけど
もう「オレがつくったんだからさぁ」って、
拝み倒して(笑)。
糸井 気合ですか(笑)。
浦谷 だから、他のところでは、ほとんどオレなんです。

このDVDのパッケージのデザインも、
パンフレットの構成も、文章を書いたのも、オレよ?
糸井 うわー、ほんとですか。

浦谷 伊丹さんが「13の顔」って言うけどさ、
‥‥オレもだよな(笑)。
糸井 はぁー‥‥浦谷さん、すごいわ(笑)。
浦谷 これも、伊丹十三記念館がオープンするし、
ぼくなりの恩返しだと思ったから、できたことであって。
糸井 浦谷さんからの「花輪」ですよね。
浦谷 いまのところ、記念館と、
記念館のホームページでしか売ってないんだけど。
糸井 でも、本気で売るべきものですよね、本当はね。
本気でっていうのは、他でも買えるように。
浦谷 そう?
糸井 売れると思うし、売れてほしいんです、これ。

なんでかっていうと、
伊丹十三という人は、いろんなことやってたけど、
そのひとつひとつの仕事を、
すごく大事にしてたんだって話が、したいんです。
浦谷 ああ‥‥。
糸井 このDVDのなかでも、
グラフィックデザイナーの佐村(憲一)くんが
伊丹さんに
『大病人』のロゴのレタリングで、
なんどもダメ出しを喰らってるじゃないですか。
浦谷 うん。
糸井 その仕事でお金を取ってるプロフェッショナルに
むかし「書き文字屋」だったとはいえ、
素人のはずの伊丹さんのほうが、
より厳しい目で、「商品」を見てたという‥‥。

あの場面はもう、すごいですよ。
浦谷 そうだよね。
糸井 仕事って、
天から降ってくるもんじゃない‥‥というか。
浦谷 うん。
糸井 「おまえは、この仕事をやりなさい」
じゃなくて
「おまえ、この仕事やっていいよ」って
言われたときの、喜びとか、うれしさ。

このDVDのなかの、伊丹さんの姿をみているとさ、
そのあたりのことが、すごく、よくわかるんです。

浦谷 そうですか。
糸井 ぼくらの伊丹十三特集をつうじて、
ひとつ、できること、話せることがあるとすれば、
そのあたりかもしれないなぁ‥‥。
浦谷 つぎは、誰のとこに行くの?
糸井 順番からすると、村松(友視)さんかな。
松山の記念館にも行こうと思ってます。
浦谷 ああ、楽しみですね。
糸井 それじゃあ、今日の浦谷さんの話から、
「ほぼ日」の伊丹十三特集を
スタートさせてもらいますので‥‥
どうぞ、よろしくおねがいします(笑)。
浦谷 いや、はい、こちらこそ。
おもしろい話になってたら、いいんだけど。
糸井 ‥‥このへんの、企画書とかっての資料って。
浦谷 あ、お渡しできますよ。
糸井 もしかして、ページに出しちゃってもいいですか。
浦谷 どれ?
糸井 このボツの企画書とか。
浦谷 あ、いいけど。‥‥おもしろいかな?
糸井 いや、これを見る人がいると思うだけでも、
ゆかいだなと思って(笑)。
浦谷 そう? オレはぜんぜんいいけど。
糸井 あと、こっちのテレビマンユニオンの社内報も
おもしろいですよね。

浦谷 テレビマンユニオンニュースね。

‥‥これは、伊丹さんって、1976年に
テレビマンユニオンのメンバーになったんだけど、
そう決めたときにしゃべった言葉が載ってる。
糸井 へぇー、おもしろい。

ーー テレビについて一と言
伊丹 現代のこの閉じた世界そのものに
テレビが異議を申し立てようとする場合、
その鍵は表現にあると思われます。
何を主張するかも無論重要ではありますが、
むしろ、いかに自由に発想し表現しうるか、
テレビにおける形式や制約から
いかに自由でありうるかという、そのこと自体が、
まさにテレビにおける
最大の主張たりうるのではないかと考えております。
これが現在の私の心境です。
ーーテレビマンユニオンニュース NO.81より抜粋
浦谷 ちなみに、著名人で、うちのメンバーになったのって
欽ちゃん(萩本欽一さん)と伊丹さんだけなんです。
糸井 おもしろいねー‥‥。
浦谷 こっちもさ、いいでしょう?

たぶん、伊丹さんが映画を撮りはじめる直前の
ことばなんじゃないかな。1983年だから。

伊丹 失ったものの大きさが
いかに凄いものかという自覚から
始めないとダメだな。
サイレント映画の末期には、
映画は完成の域に達してたんだからね。
ーーテレビマンユニオンニュース NO.415より抜粋
糸井 うわー、いいコメントですねぇ‥‥。
浦谷 「伊丹十三の映像解読術講座」って銘打って
インタビューしたんだよ。
糸井 浦谷さんが?
浦谷 うん、訊いてるのはオレ。

‥‥ああ、あとこれこれ、これもいいと思うんだ。

「体験的テレビマンユニオンを語る」って特集で、
伊丹さんのインタビューがあるんだけど
『遠くへ行きたい』について話してるところが‥‥。

伊丹 『遠くへ行きたい』って非常に楽しい番組なんだよネ。
僕としても、ああいう体験は初めてだった。
というのは、結局あの、
大体ピラミッド型の人間組織な訳ネ、
モノって云うのをつくる場合は
テレビにしても何にしても。
でテレビの例えば『遠くへ』なんかの場合は
いっせいに駆け出すしかない訳。
キャメラ、録音、ディレクターにレポーターと‥‥
おばあさんがあっちのタンボから来たらもう、
皆んなその場でディレクターになってやるしかないのネ。
レポーターはおばあさんから一番良い話を聞こうとし、
キャメラはその状況を自分の興味で
撮っていこうとするし、
ディレクターはその場の設定と
目を光らせて様々な判断して、
音の人はそう云った事をすべてきっちり録り、
全部が同時に走るって感じで‥‥。
そう云う所がとても面白くて、非常に新鮮だった。
ーーテレビマンユニオンニュース NO.432より抜粋
糸井 はー、言ってることが、ブレてないなぁ‥‥。
いやぁ、おもしろーい(笑)。

浦谷 でしょう?
糸井 いや、浦谷さん、ホントいい素材だよ、これ。
もう、ぜんぶ出しちゃってもいい?
浦谷 んー、いいんじゃない?
糸井 テレビマンユニオン的にも、怒られない?
浦谷 うん、怒られない。たぶん(笑)。

  <終わります>


08 テレビマンユニオン

今から約40年前のこと、
まだテレビは白黒で、テレビ業界も
いまよりもずっと小さかったころ、
テレビ番組はテレビ局で制作されていました。

あるとき、TBSテレビで、
外部からの圧力によりある番組が放送中止となり、
制作者の大異動が行われる、
ということがありました。
その経営判断に対して一部の社員が
「大きな会社に属していては、
 制作者として自立しきれない」と
会社を離れて独立。
「自分たちが作りたい番組を、
 自分たちの責任において作ろう」と、
ひとつの制作者集団を作りました。
これが日本で最初の独立系制作プロダクション、
テレビマンユニオンのはじまりです。
テレビディレクター、カメラマン、
デザイナーが約30人が集まっていました。

ここから生まれた番組には、
「遠くに行きたい」「課外授業 ようこそ先輩」
「世界ふしぎ発見!」「世界ウルルン滞在記」
「わたしが子どもだったころ」などの
レギュラー番組や、
「アメリカ横断ウルトラクイズ」、
伊丹十三さんがレポーターとして参加した
ドキュメンタリードラマ「欧州から愛をこめて」、
特番のドキュメンタリー、教養番組が多数あります。
そして、放送の枠を越え、
カンヌ映画祭主演男優賞を受賞した
「誰も知らない」などの映画の制作、
カザルスホール、紀尾井ホールでの音楽公演、
長野冬季オリンピックの開会式のプロデュースも
行ってきました。

テレビマンユニオンではひとりひとりの制作者が
のびのびと制作に打ち込み、
自分の力を活かしきるにはどういう組織がいいかを、
「テレビとは何か?」「表現とは何か?」とともに、
いつも熱く議論し、みんなで組織を作ってきたそうです。
「自由のために、経営と制作は切り離してはいけない」、
という設立当初の理念のために、
制作者は全員株主になり、会社に対して
同じ権利と義務を持つフラットな組織を作りました。
そして、このようなテレビマンユニオンを
おもしろく思った伊丹十三さんも
参加されることになったそうです。


公式ホームページはこちら


2009-06-18-THU


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(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN