伊藤 | スタイリストという職業だったら、 「まんべんなく揃える」っていうことも 大事だと思うんですけど。 |
糸井 | いや、文章を書くときにも同じですよ。 「あの映画よかったね」ということだったら、 誰でも思ってますよね。 その「よかったね」の中に 素晴らしい発見があったら、 ものすごくいい文章として読めますよね。 でも、口うるさい人の中には、それに対して 「あなたは古今東西のすべての映画を観て、 それを素晴らしいと言ってるんですか」 と言いたがる人も必ずいるわけで、 「どれだけあなたは年間に映画を観てるんですか。 そういう人にこの映画がいいとか悪いとかって わかるんですか」って。 この言い方はもうずっとあるんです。 それこそ、「え、そんなの知りません」と言ったら、 もう褒めちゃいけないみたいな。 そういうふうに思ってる人が山ほどいるんですよ。 |
伊藤 | そうです。どの分野にも。 |
糸井 | どの分野にも。 だから「全部を知っていて、私はこれがいいと思う」 という形を取らないとダメという時代が長くあったんです。 |
伊藤 | そうか。だから、今、「その分野はこれだけ深く 知っている」っていう人が増えている? |
糸井 | 「この作家の作品は全部知ってます」とか、 「何々のドラマの何秒目のところのアレ」とか、 どれだけ知識の分量があるかを前提にして、 「そういうおまえが言うなら俺は認める」みたいな。 |
伊藤 | うんうんうん。勝ち負け、ていう感じですよね。 |
糸井 | でも、「これ、初めて見たんだけど、 本当にビリビリ来た!」って、 ちゃんとものが言えるほうがいいですよ。 |
伊藤 | 知識の量とかではなく。 |
糸井 | 知識の量じゃないですね。 スタイリングも料理もそうで、 背景に図書館のような教養が 必要だったみたいに思い込まされてる、 その時代が終わったんじゃないかな。 伊藤さんが「小娘」の時代に。 |
伊藤 | (笑)小娘時代に。 |
糸井 | いまも「あなたのやってることは間違いよ」 「わたしは何でも知ってるわよ」 というタイプの人がどこかに生きてるかもしれない。 例えば記者歴50年とかっていう人がいたとして、 その人が褒めたら、それは 「何でも知っているわたしが認定します」 という意味になる。 でも、それはそういう仕事であってね。 |
伊藤 | そういえば、 「もっと掘り下げて!」って 言われたことがありました。 |
糸井 | (笑)なるほど。 |
伊藤 | 「え? “かわいい”“使いたい”で いいんじゃないの?」 と思ったことがありました。 本を出しても、すごくいいと言ってくれる人と、 もっと掘り下げて読みたいって言う人もいる。 いろいろいるもんだなと思って、 もうこうなったら自分の好きなことをするしかないと。 |
糸井 | それが「買う」ことにつながるんですよね。 ぼくは買い物というのはそれ自体 クリエイティブなことだと思っているんです。 「これがいい」と思うには、 いいと思わせたい人との呼びかけ合いがあるわけだから、 いい買い物を確実にするというのは 素晴らしいことだと思っていて。 だから、それを仕事にまでしちゃうというのは、 素晴らしいどころじゃなくて、 ちょっと命懸けのところがありますよね。 |
伊藤 | そこまでおっしゃっていただくと‥‥私、 本当に、楽しいからずっとスタイリストをつづけていて、 「こうしたい」というようなことはまったくないんです。 自分の暮らしの中から、おもしろいなとか、 今、これに興味がある! ということを 本という形にまとめてきたんです。 流れに身を任せるように。 |
糸井 | それはプロデューサーが 周りの見えないところにいるんですよ。 雑誌の人とか、出版の人とか。 |
伊藤 | 編集の人って、目を光らせてますもんね(笑)。 |
糸井 | 伊藤さんは、役割としては役者? |
伊藤 | えっ? |
糸井 | 役者って、脚本家も監督もいなければ、 芝居ができないじゃないですか。 でも、役者本人は、その人じゃなければできないことを ちゃんとしてるじゃないですか。 だから、誰か目を光らせてますよ、絶対。 「伊藤まさこを使おう」と。 「今度は、じゃ、京都行ってみない?」とか。 じつはそれは歌手も同じで、 スタッフワークがなかったらできないことって いっぱいありますから。 |
伊藤 | 普通に生活してるだけですよ。 |
糸井 | いや、もたないです。それじゃ、 「1個出してすぐに次」はないんです。 何か自分が無意識に飽きないようする工夫をしているのか、 自分をプロデュースしてる自分がもう1人がいるのか、 周りにそういう仲間がいるのかわからないけれど、 ぼくはやっぱり伊藤さんの仕事はチームプレーだと思う。 |
伊藤 | そうかもしれないですね。 担当編集さんはもちろん、写真家さんとか、 グラフィックデザイナーさん‥‥ いろいろな人たちがあってこその一冊。 著者として私の名前が出るのが いつも申し訳ないなあと思います。 私、すごくうれしかったのが、 ほぼ日の「やさしいタオル」の仕事をさせていただいて、 糸井さんがすごく素敵なことを おっしゃってくださったんですよ。 |
▲やさしいタオル2010 伊藤さんのスタイリング |
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武井 | 撮影のスタイリングに伊藤さんが加わってくださって、 そのとき、1回洗ってしわしわのままの 写真を撮ったんですよ。 それがすごく転換だったと。 「これで、商品を紹介する写真じゃなくて、 生活を提案する写真になったんだよ」。 そんなことまで実はぼくらは考えずに‥‥ |
糸井 | どうして考えない!(笑) |
伊藤 | すごくうれしかったです。 |
糸井 | 伊藤さんが無意識なんだろうね、そこのとこがね。 「変じゃない?」って、思うわけでしょう。 「新品のタオルがあったら変じゃない?」 って思うわけでしょう? |
伊藤 | そうです! |
糸井 | だから、その「変じゃない?」っていうのが 伊藤さんの作品なわけです。 |
伊藤 | その写真に写ってる以外に、 「あ、ここにちょっと、 これから洗濯物取り込もうとしてる人がいるかな」 みたいな予感させる1枚を撮りたい。 そのテーブルの上の料理の、寄りの写真でも、 そこに食べてる人がいるように撮りたい。 つまり、その場の風景をつくるということ。 たとえ写っていないとしても。 |
糸井 | モノ自体の魅力って、 ぼくはよく極端な例で言うんだけど、 すごいブランドの香水でも、 石油缶に入れて路地で売ってたら誰も買わない。 |
伊藤 | そうですよね。 |
糸井 | どんな人がつけるんだろうとか、 どんなときにつけるんだろう、 どんなお化粧をするんだろう、 どんな服を着るんだろう、 どんな彼に会うんだろうっていうのが 全部入ってその「何か」なんです。 だから、多分タオルはタオルで、 「よーく見てればわかる。すごいだろう!」 っていうタオルなんかないんです。 というか、あると思っちゃいけない。 やっぱり、そのタオルの友達になりたい人は どんな素敵な人なんだろうとか、 そのタオルを使ってる人は どんなふうに喜んでるだろうとか、 人の生きてることというのが写真に写ってるのが 素晴らしいなと思ったんですよね。 |
伊藤 | 洗い上がってシワッとなったタオルを撮るだけでも、 写真やチームがいいと、 すごく素敵なページになる。 私だけの力では全然ないんです。 このタオルのロケについては、スタジオではなく 私の知り合いの家を借りて、 実際に生活している中で撮影している。 木のテーブルに、コップの輪ジミがあったりして‥‥。 暮らしを想像させるようなところがあったからこそ、 あの写真ができたと思ってます。 |
糸井 | だから、伊藤さんは、今に至るまで、20年間、 ずっと出身地は生活の場なんですよ。 |
(つづきます) |
2013-10-14-MON
写真:有賀傑 |
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