「いつか来る死を考える。」で
訪問診療医の小堀鷗一郎先生に
初めて「ほぼ日」にご登場いただきました。
あの対談がきっかけとなり、
2020年11月、小堀先生と糸井重里が
「死」について語った
『いつか来る死』が出版されました。
その刊行記念となるオンラインイベントが
新宿の紀伊國屋書店新宿本店にて開かれ、
小堀先生と糸井、さらに撮影を担当した
写真家の幡野広志さんも加わって、
「死」をテーマにした座談会が生配信されました。
その内容を連載にしてお届けします。
編集 中川實穗
- 糸井
- 歳をとって「先は限られている」と知る時期は
あると思うんですよ。
30代の人はまあ、思ってないですよね。
- 幡野
- 思わないですね。
- 糸井
- 40代になると人は病自慢を始めます。
最近はもう徹夜ができないとか、
ときには下ネタも混ぜて、
「もうダメだな!」と自分を貶めるように話す。
そういう見栄がある気がします。
嘘で言ってるわけじゃないんだけど、
まだ安全圏なので笑って言えるんですよ。
だいぶ距離がある。
50代でもそういうことは言うんだけど、
ちょっとずつその深度が深まっていって、
60代で定年のポイントになる年齢で、
「求められていない」ということがありうる。
その辺りから、
「生きるのに期限があるのか」と
気がつくんじゃないかなと思うんです。
- 幡野
- ああ、なるほど。
- 糸井
- 自分もどこかで
「昔できたことができなくなっている」
ということが混じってきましたし、
あるいは、友人や先輩が亡くなります。
「そうか、このくらいなんだ」と思って、
「俺は死なないんだ」という場所から
離れていきます。
「何度も会えるわけじゃないんだから
会っておいたほうがいいよ」
ってよく言うじゃないですか。
あれは結構本当だから、
自分もちょっと丁寧に生きてみたいと思います。
やりたいことを我慢せずにやりたいし、
「待ってればいいんじゃない?」ってことも
取りに行こうとしたりする。
これはおそらく、先が短くなることが、
ぼくに勇気をくれたような気がするんです。
「遠慮してたらそのまま死ぬよ!」って。
- 幡野
- ぼく、よく思うんですけど、
病気になって一番感じるのは、
「できたことが、できなくなる」ことなんです。
たとえば身体的なことでも、
ぼくは一時期、歩けなくなったんですよ。
下半身が動かなくなって、
車いすで移動することになりました。
できたことができなくなるって、
すごい恐怖感なんです。
それはもう、死にたくなるんです。
ぼくの場合は、
放射線の治療で胸の腫瘍を取ったことで、
また歩けるようになりました。
逆に「できなかったことが、できるようになる」
というのはめちゃくちゃ楽しいんです。
歩くことひとつとっても、
それがあると「生きよう」という気に
なってくるんですね。
極端なことを言うと、
病気になってからだと遅いんだな、とは、
ちょっと思います。
健康な人がよく
「余命1年だったら世界一周したい」とか
「会社やめて◯◯したい」とか言うんですけど、
本当にそうなったときにはできない場合が多いです。
だから、健康なときほど
好きなことをしたほうがいい。
ぼくも今、好きなことをたくさんしてますけど、
それでもやっぱり健康なときのほうが
楽しさはもっともっと多いと思います。
- 糸井
- 小堀先生は、
ご自身の死については考えていらっしゃいますか?
以前「ほぼ日」の連載で、ぼくが
「ちょっと死の準備をしておきたい」と言ったとき、
「そんなことする必要がないんじゃないか」と、
靄をパッと晴らすかのようにおっしゃいましたけど。
- 小堀
- 私は自分の死については
かなりちゃんと考えています。
- 糸井
- わははは、ちょっとずるい気も。
教えてください。
- 小堀
- 特に2年前に妻が亡くなってからは
まったくのひとりですから。
子供は独立して世話も必要ないし、
接触を持たないで生きています。
自分の家をどのように処分するかなど、
すべて遺書を作って弁護士事務所に預けてあります。
実印もすべてわかるようにしています。
昨今はコロナの問題が非常に身近にありますからね。
ぼくが診ている患者さんも
いちいち検査していくわけにもいきませんから、
そのあたりは具体的なことも考えてます。
- 糸井
- 先生、ぼくには
そんなことおっしゃらなかったのに。
- 小堀
- 「85までは考えなくていいんじゃないの?」
と、ぼくは言いましたよ。
- 糸井
- そうでした(笑)。
忘却という薬を飲みながら
平常心で生きているわけじゃなくて。
- 小堀
- 幡野さんだって
まったく忘れているわけではないでしょう。
背中が2日くらい痛かったら、
やっぱりそういうことも考えないといけない。
そういう日々は、82歳の老人も同じですよね。
- 幡野
- そうなんですよ、
背中が痛いだけで怖いんです。
なにか大きい病気があるんじゃないかって。
この前、首を寝違えて
5日間くらい痛かったんです。
寝違えただけですよ?
でも、めちゃめちゃ怖かったです。
それで痛い痛いって言ってたら、
妻も不安がっちゃって、
腫瘍ができてるんじゃないか
くらいに思っちゃうんです。
普通だったら「そんなことないよ」で
済んじゃうことが、
一回そういう経験をすると、
恐怖感がすごいんですよね。
これをなんとか、
なくしたいなと思うんですけど。
- 小堀
- でもね、それがなくなったら、
あなたの作品にキレがなくなるかもしれない。
- 幡野
- (笑)じゃあ、残そうかな。
- 糸井
- 小堀先生の切り込みがすごい(笑)!
(つづきます)
2021-01-15-FRI
『いつか来る死』
すべての人に等しく関係がある「死」について、
400人以上を看取ってきた訪問診療医の
小堀鷗一郎さんと、糸井重里が語りあいます。
「『胃ろうは嫌だ』の決り文句に騙されない」
「親の死に目に会えないことは親不孝ではない」
など、これまでの死に対する考えが
少し自由になるような一冊です。
(C) HOBONICHI