── | 岩崎さんの『点滴ポール』の最後に、 「この本作りは 37歳にして、はじめての『仕事』です」 とあったのが、とても印象的でした。 |
岩崎 | それまで、はたらいたことが、なかったので。 |
── | どうでしたか、はたらいてみて。 |
岩崎 | やはり、好きな五行歌を書くということでも 「仕事でやる」となると、 いままでとは、ぜんぜんちがうことでした。 |
── | それは、どんなところが? |
岩崎 | まず仕事ですから、厳しい面があります。 ナナロク社の担当の村井さんに いろいろと、アドバイスをいただいたり、 真剣な「打ち合い」をやりました。 |
── | いわゆる、ダメ出しとかも? |
岩崎 | ありましたね。詩とか五行歌について 考えたり、悩んだりすることばかりでした。 |
── | そこでは「プロ」としてのアウトプットを 要求されていたってことですね。 |
岩崎 | だから、全力を尽くしました。 そのぶん「仕事をしている」実感‥‥というか、 充実感を味わうことができました。 ちょっと身体が大変でも、 仕事を優先しなければならないこともあって。 |
── | 締め切りとかに、追われたりも? |
岩崎 | しましたね(笑)。 あと、 「なんとしても、答えを出さなきゃならない」 という経験は 「仕事」とか「はたらく」ならでは、ですね。 |
── | ご自身のブログに 締め切りとかもなく書いていたときとは‥‥。 |
岩崎 | 緊張感が、ぜんぜんちがいます。 やっぱり、何かをつくろうと 一生懸命「はたらいている」わけですから、 なんとしてでも、これを‥‥ という気持ちが生まれてくるんです。 |
── | 妥協できないぞ、みたいな。 |
岩崎 | 私なりに「いい仕事がしたい」と思って 全力で、取り組みました。 身体の疲れすらも「仕事の実感」でした。 がんばりすぎて、 すこし具合が悪くなっちゃったりしたときも あったんですけど(笑)、 でも、それだって「仕事のうち」でした。 |
── | たのしかった、ですか? |
岩崎 | たのしかったです。 |
── | 「はたらく」とか「仕事」って、 なんなのかなあって、よく考えるんです。 |
岩崎 | そうですね‥‥はじめてはたらいてみて、 思ったのは 「仕事をする」ということは、 「生きる」ってことだな、ということで。 |
── | あ、そう思われましたか。 |
岩崎 | だって、そこでは、まさに私は 「生きていることを、している」感じだったから。 つらいことや苦しいこともたくさんあるけど、 たのしくて、幸せなこと‥‥というか。 |
── | あの、岩崎さんは仙台在住ですけど、 東北の地震のあとに 一時的に「詩が書けなくなってしまった」と 本に書かれてましたよね。 |
岩崎 | ええ。 |
── | それって、どういう感覚だったんでしょう。 はたらくことが「生きること」だとしたら 岩崎さんにとって 詩が書けなくなってしまうというのは‥‥。 |
岩崎 | あれはもう、絶望的な状況、でした。 |
── | 書けない、というのは。 |
岩崎 | それをふくめた、震災全体の状況が、ですね。 でも私自身は、多くの人のおかげで、 僥倖のように、「生きる」ことができました。 |
── | そうだったんですか。 |
岩崎 | 私、地震で停電すると、困ってしまうんです。 人工呼吸器って電気で動いているから。 |
── | 実際、電気は‥‥? |
岩崎 | 震災当時、マンションに住んでいたんです。 両親やヘルパーさんが、 私のことを、必死に護ってくれたんですが、 やはり、停電が起こりました。 |
── | ええ。 |
岩崎 | 119番に電話をかけたんですけど 地震による影響で まったく、つながりませんでした。 大変なことになるって思ったんですが 自分では、どうすることもできない。 でも、そのとき、 たまたまマンションのようすを見に来た方が 玄関から声をかけてくれたんです。 |
── | 大丈夫ですか、と? |
岩崎 | 別に救援活動の仕事をしていたわけではない、 ふつうの、一般の方だったんですが 人工呼吸器に電気が必要だという事情を お話ししたら、 外に、救急車を探しに行ってくれたんです。 |
── | その人が? |
岩崎 | そう。 |
── | 震災直後に救急車って、見つかるものですか? |
岩崎 | もう、本当に、ものすごく、 走り回ってくださったんだろうと思います。 どこでどうやって見つけてくださったのか わからないんですが、 何時間かあとに、連れてきてくださった。 |
── | すごい。 |
岩崎 | だから、その方のおかげで、助かりました。 緊急時のバッテリーが切れる前に 救急車で電源確保することができたんです。 |
── | 本当に、奇跡的というか。 |
岩崎 | その方の家族や知り合いだって、 少なからず、大変な状況だったと思います。 でも、目の前の私を、助けてくれたんです。 |
── | まさに命の恩人ですね。 |
岩崎 | 私自身は、そうやって助けていただきました。 でも、今度は、地震の被害の全体状況が わかってくるにつれて 心を「暗黒のかぎ爪」で掴まれてしまいました。 歌を詠むなんてできなくなりました。怖くて。 |
── | 怖いというのは、具体的には‥‥。 |
岩崎 | 震災に、自分の言葉で触れるのが、怖くて。 |
── | なるほど。 |
岩崎 | それからひと月、歌を詠みませんでした。 そうしているうちに、 詩を通して出会った、東京に住む友だちが 訪ねてきてくれたんです。 そして、私が歌を書いてないって知ると 「今こそ歌を書くときだ」って、 「今書かないで、いつ書くんだ?」って、 そう、言ってくれたんです。 そして、その言葉を聞いたら なぜだか、 こわばっていた心が解けていったんです。 |
── | また、書けるようになった? |
岩崎 | ひとつの大きなきっかけに、なりました。 |
── | はじめは、どのような詩を? |
岩崎 | そうは言っても、葛藤は続いていたんです。 ですから、いちばん最初に詠んだのは 「もう言葉が出ない、書けない」 という状況自体を歌ったものになりました。 |
── | なるほど。 |
岩崎 | でも、それから徐々に 自分自身が感じたことや、体験したことを 書けるようになっていったんです。 |
── | その、「書け」と言った人もすごいですね。 あの地震の揺れを体験した人に対して、 簡単には言えないと思うんです。 強い信頼とか覚悟がなかったら、簡単には。 |
岩崎 | ですから、 はたらくことが「生きること」だとすれば 「今書かないで、いつ書くんだ?」って 言ってくれた友人は もうひとりの、命の恩人なんだと思います。 |
── | いまのお話を聞いていたら 「はたらく」というのは「希望」ということに とても関係しているように感じました。 |
岩崎 | そうですね、たぶん「希望」というのは 「これからも、生きていくんだ」 という気持ちのことだと、思うので。 |
── | なるほど。 |
岩崎 | きっと「はたらく」には 「自分自身の足で歩いていくこと」が必要で、 そしてそれは 「生きるたのしさ」そのものだろうなあって、 そんなふうに、思います。 |
── | でも‥‥そうは言っても、 ついつい「怠け心」が出ちゃうなんてことも あったりします‥‥か? 岩崎さんも、僕らみたいに。 |
岩崎 | もちろん、ありますよ。 |
── | そこをふくめて「はたらく」ですものね。 ‥‥と、怠惰な自分を 正当化するわけじゃないんですけど(笑)。 |
岩崎 | (笑) |
<おわります> |